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2008年2月25日 (月)

旅先での早朝ランニングの楽しさ 長崎編

先週は、所用の為、長崎県長崎市へ行って来ました。
空港から乗ったバスが長崎の街中に入ったのは夜の9時過ぎでしたが、
沢山の大きな人形の様な(あのねぶた祭り等で見かけるやつ)物が
各所に立ち並びカラフルな光で彩られ、眩いばかりに輝いていました。
長崎はランタン祭りの最中だったのです。ラッキー!!
宿にチェックインするなり、とても空腹だったので、すぐに食事に出かけました。
“一心”と云う居酒屋へ入りました。店舗のつくりが良く、清潔感溢れ、
しかも “一心”というそのお店の名前にも引かれたからです。
一心とは、“知・情・意”を一つにするという禅の教えであると思いました。が・・・

食事も美味しく、お店の皆さんの暖かいもてなしに
心を和ませ、ゆったりと寛いだ気分になり感謝するばかりです。。
お店の美しい女性(ここの娘さん)に名前の由来を伺うと、
この店は、家族でやっており、家族みんなが、心を一つにして
やって行きたいとう思いがこの名前になったとの事。
なるほど、名前というものは、体を表す大切なものであると改めて感心させられました。

大将の話では、この一心という名前にするかどうか開店直前まで迷っていたそうです。

Good チョイス!!

そして、翌朝、いつもの様にジョギングで旅先の町“長崎”を走りました。
長崎駅近くにある ①日本26聖人殉教地に先ず立ち寄り、手を合わせ、
②長崎港に出て、出島を走り、次にとても整備された ③美しい長崎水辺の森公園の
海際をはしり抜け、そのまま西に向かい、町外れ迄出てから急な坂を駆け上がりました。

坂の上の丘にあるのは、④グラバー園そして、グラバースカイロードです。
グラバースカイロードから長崎の街と長崎湾を一望することが出来ます。
その眺望は、長崎市繁華街と対岸にそびえる稲佐山や、
小さな富士山のように見える金毘羅山(長崎にもあるんだ!!)など
長崎という美しい小さな街だけでなく、山や海の自然の織り成す美しさを
堪能できるすばらしスポットである。
その後、急な階段と坂を下り ⑤カトリック教会の大浦天主堂に行きました。
そっと扉にふれると、扉は鍵がかからず開いている。誰もいない廊下と階段を
登り二階の聖堂に入っていった。
美しいステンドグラスに飾られた聖堂に入れるとは思ってもいなかった。これまたラッキー!!
大きなステンドグラスの前に立ち、世界平和を先ず祈り、そして、当社の経営理念を唱えました。
恵まれない子供達への気持ちばかりの寄付をして教会を後にしました。
その後は、 ⑥ オランダ坂を駆け上がり、 ⑦御崎道を駆けおりて、
真っ赤な提灯の様な、ランタンで埋め尽くされた ⑧新地中華街を駆け抜け
一時間のジョギングを満喫した次第です。

今回の出張もタイトなスケジューリングの中の敢行でしたが、
町中をランニングしたお蔭で 、心充足し、沢山のおまけの様な喜びを頂き、
そして、新たな発見と喜びがありました。

出張でもレジャーでも、同じ一つの旅を有意義にしてくれるのが朝のジョギングです。
皆様も大いにトライして頂きたいと熱望いたします。

本日も最後までお読み頂きありがとう御座います。

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2008年2月18日 (月)

農畜連携の実例に学ぶ

農畜連携事業の実例に学ぶ為に、先週九州に行って来ました。
現在約60町の田畑を耕作し、夏場は主にとうもろこし(デントコーン)を栽培し、
冬場にケール、ジャガイモ(馬鈴薯)等を栽培している。
南九州の温暖な気候を利用し年中作物を栽培し、農業就労の定着にも力を入れている。
デントコーンの栽培に当っては、事前に100件以上の牛の牧畜農家を訪問し、
牧畜農家が何を求め、何を必要としているのかを話し合い、如何に農業と畜産が
連携し合って事業を進めていけるかと言う事を考えながら取り組みを続けている。

青汁の元となるケールについては、大手の医薬品会社と契約を結び計画的な栽培と販売を行い、また、馬鈴薯については、大手の製菓会社と契約を結び、ポテトチップスの原料として販売を行なっている。

以上の様に文章に纏めると全てが順調にとんとん拍子で進んで様に感じられるかもしれないが、ここまでたどり着くには10年以上の歳月を要している。
デントコーンの収穫には、大型の自走式ハーベスターを昨年導入し極めて短時間で効率的に行なえるようになり、最も大変だった収穫作業の問題も漸く解決できたと言う。
また、バンカーサイロも設置し、短時間に高密度でサイレージを詰め込むことが出来る様になった為、サイレージの品質も安定する様になったそうだ。
大型ハーベスターやバンカーサイロなど設備投資はかなりの金額になるが、
農業事業の大規模化と効率化を進めて漸く採算に乗り出したそうである。
この事業を推し進めた背景に、わが国が海外に依存仕切る輸入飼料穀物の高騰にある。

そして、この事業者の日本の農業の復興にかける思いの純粋さと強さが無ければ
ここまで到達し、事業モデルの構築を成し得ることはできなかったと強く感じた。
そして、これからも事業への絶え間ない努力と研究が続いていくのだ。
今回の訪問は、ある方の御紹介のお蔭で実現しました。
ご紹介頂いただけでなく、一緒に訪問してご指導いただいた事と、
この事業者の方々も、多忙の中にありながら、丁寧に熱心にご指導を
頂けた事を心から感謝し御礼申し上げます。
我社も農業事業に取り組んでいます。今回の実例から学んだ事は大変多い。
そして、“日本の食の力を取り戻す” という目標に向って進む大きな励ましを頂きました。

本日も最後までお読み頂きありがとうございます。

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2008年2月 5日 (火)

西表島を受け継ぐ人 そして、ゆいまーる

2月3日(日)の夜 NHK教育テレビのETV特集をみました。
タイトルを新聞の番組表のまま紹介します。

『神々と古老の島・沖縄西表島▽都会から移住した青年が見た離島の今』
▽森とさんご礁に囲まれた自給自足生活
▽イノシシ狩に沖縄伝統料理・古老に教わる島暮らしの知恵
▽500年の奇祭

この、番組の主人公の中坂眞吾さんは、オーストラリア旅行中に知り合った純さんと、
西表島は良いから移り住んで住もうとプロポーズして結婚する。
そして、二十歳の時、夫婦で都会から西表島に移り住み10年が経つ。
三十歳になった今、村の古老達に受け入れられ西表島の文化・伝統を
受け継ぎ支える人となっている。村人と共に暮らし、二人の子供を生み育て、
田畑を耕し、海のものや山のものを自分で手に入れるほぼ自給自足の生活を
送りながら、季節の移ろいと共に 古老たちとの触れ合いを盛り込みながら
奮闘する若者の姿を飾らずに映し出した番組です。

食生活を支えるのは、六年目にして漸く借り受けることが出来た田んぼで作る米である。
普通の白米と昔から受け継がれてきた黒米と呼ばれる古代米を稲作する。
稲作は、苗作り、田植え、刈り取りなど全てを手作業で行なうが、村人達が助け合って
作業をする。 
この助け合いの事を 沖縄の方言で 『ゆいまーる』と言う。
「ゆい」は結いと書き、人々が協力し合い共に働く事を意味する。「まーる」は順番の事である。
すなわち、『ゆいまーる』は順番に皆で助け合い作業をしあう事を意味するが、
西表島では、農作業だけでなく村人が、信頼と絆で結ばれ、相互扶助をし合いながら
生きていく村落協同体の仕組みそのものと言う大きな意味があるようだ。

中坂眞吾さんは、自分の夢を
『この島で覚えた事を 後世に教えられる人間になりたい。』 と語る。

中坂さんが稲作についても古老から大切な言葉を受け継いでいく。
「田んぼに雑草の種が残れば、その種は30年残る。」
「田は、歩くほどに稲は育つ。」これは、裸足で田を歩く事で
雑草刈りだけでなく、田んぼのガス抜きと稲の根をしっかりと
踏みしめる事の大切さを教える。

田植えの『ゆいまーる』を始める時には、
“田植じゅーしー”という特別な炊き込みご飯を女達がつくり、
作業をする男達をもてなす大切な行事がある。
炊き込みご飯は、大きな釜で薪で炊き、蓋には庭のバナナの葉を使う。
今年は、中坂さんの奥さん 純さんが担当し、旨く炊けたことを古老から褒められる。

ひた向きに西表島の沢山の風習を学び受け継いで行こうとする中坂さん一家を
島の古老たちは、時には厳しく、そして、暖かく家族の様に見守り、島の人間として
育んでいく。

島で生まれた子供達の多くは、島を離れ都会に出て行ってしまう。
最近は、都会から西表島に移り住もうとする人も少なくないようであるが
古い風習等になじめず挫折し、都会に帰っていく人も多いと言う。

この番組で、人間と人間が濃厚に触れ合いながら助け合い生きる姿をみせられ、
何か現代人の多くが失っている大切なものを教えられた様な気がする。
それを象徴するのが 『ゆいまーる』という言葉だと思う。

いつか、西表島や沖縄の島をゆっくりと訪れてみたい。

本日も最後までお読み頂きありがとうございます。

                  藤橋家homepage       http://www.fujihashiya.com/

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