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2009年5月25日 (月)

万民の願い、健康と長寿の秘訣を“中村天風”に学ぶ

生き方、考え方、経営のあり方など多くの事を学び一歩でも近づきたいと
慕い尊敬する我が師 稲盛和夫先生 や、先日京都のPHP研究所に訪問し
その魂の片鱗に触れた松下幸之助翁、そして、現代の偉大な方々の書籍等を読んで
いると、よくよく中村天風という方の名前や、その教えと云うものが紹介されています。
私も、いつの日からか、PHP研究所から出版されている“哲人・中村天風が語る
運命をひらく言葉”「ほんとうの心の力」の私の習慣と題する短い文章を寝る前に
口に出して読むようにしています。
 
今日は、この哲人中村天風の「健康と長寿の秘訣」という講演録を聞き、
万民の願いである、健康と長寿の秘訣を学び、これからの人生の指針としたく
その内容を自分なりにまとめてみようと思います。
 
講演CDを数回聞いただけでは理解できない事ばかりですが、
自らを変化させ成長させ、より良き人生を全うしたいがために、講演の内容を
列記しながら、少しでも理解を進めたく、本日は特に文章が拙く、まとまりが
ありませんが、中村天風先生の教えを理解する為の第一歩の試みとご理解いただき
御意見等頂ければ幸いです。
 
先ず、中村天風という方の紹介を簡単にさせて頂きます。
明治9年に東京に生まれる。日露戦争時軍事探偵(スパイ)として満州で活躍。
帰国後肺結核を患いわずか数か月の余命であると、世界の名医と言われた北里先生に宣告される。その後、病を治すために世界をめぐり色々な事を学ぶが真実の教えを
体得できず帰国する事になる、しかし、その途中スエズ運河で船の事故があり、
余儀なく滞在していたエジプトで聖者カリアッパと出会い、導かれ、ヒマラヤの麓で
ヨガの指導を受ける事になる。
そして、病を克服し、醍醐し帰国する。帰国後は、実業界で活躍するが、大正8年に
社会的地位や財産を放棄し新に生甲斐のある人生を活きるための実践哲学について
講演活動を始める。
昭和43年12月1日逝去、享年92歳。
 
今回の講演録「健康と長寿の秘訣」は、一言で現わすと「心身統一法」です。
この言葉の通り、形ある体と無形の心を統一する事なのですが、
この心身統一の根本条件は、生命の生存を確保する事であり、生命の生活を考える
事なのであります。と言われても容易に理解はできません。
 
そして心身統一の為には、
人間の心と体を大自然(宇宙)の営みに同調させ精神生命を積極的にさらしめること。
そうすれば強い命をつくり、価値高い人生を生きる事ができると説かれています。
 
その実際の肉体生命の生存条件に背かない生活方法として、
①食物は、出来る限り植物性の物を食べて血液を弱アルカリ性に保つこと。
②心の持ち方は消極的でなく、絶えず積極的であり、積極的に生きる事。
③飲み物は、先ず酒を飲み過ぎない事。そして、コーヒーや紅茶等を控え、
 煙草は止めるが一番。
④運動と睡眠は、過不足の無いように。
⑤新陳代謝を高める為に、時々深呼吸をする。深呼吸は息を十分吐き出す気事が大切。
⑥皮膚の温熱作用を調整する。その為には、冷水摩擦や冷水浴がよい。
 ただこれは、急に行うのではなく訓練的に、積極的に体を少しずつ慣れさせていく
 ことが大切である。
 
こういう生活を積極的な心を持ち行っていき心身統一の法が身についてくると
期せずして、生命の内容が増大する。これは生命を確保する大切な要素である。
生命の内容とは、①体力②胆力③判断力④断行力⑤精力⑥能力である。
この一つでも欠けてはダメである。
そして、生命内容の力が増大すると、人生の三大不幸という、病、煩悶、貧乏と
縁が切れ、すこぶる幸福な人生が出来、生きがいを感じる様になるという事です。
 
一般的に健康になろうとか、病を治そうとすると肉体的作用のみを考え、
薬を飲んだり、食事療法などおこなうが、最も大切なことは、神経系統の重要性を
知り自然療能力を高め、そして、神経と心の関係をよく理解しながら、
心と体の稼働率を高める事であると言われています。
 
この講演の後半は、この神経系統の重要性について説かれています。
心と体と神経の関係、そして、神経系統の生活機能をが完全にすることが、
生命存在にこれくらい大切なものはない。生きていられるのは神経系統の
お陰であり、神経系統の生活能力を完全に作用せしめることが一切の全ての
先決である・・・・・・・。
 
講演録をまとめ理解しようと思いながら、益々解らなくなって来ております。
 
これから、中村天風先生の教えについて研究を進め、先生の説かれる心身統一の法
得とくしていく決意です。
 
最後に、先日読んだ、日本経営合理化協会から出版されている中村天風
「君に成功を贈る」は、人生を明解に生き抜く法を簡単に書かれています。
お勧めいたします。
 
本当にまとまりの無い文章となりましたが、最後までお付き合い頂き
ありがとうございます。
 
           藤橋家homepage  http://www.fujihashiya.com/

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2009年5月18日 (月)

不況を吹き飛ばす企業訪問勉強会 PHP研究所へ

5月15日(金)に㈲がんばれ社長 の武沢信行社長が主催する研修会に参加して
きました。研修のタイトルは、『不況を吹き飛ばす企業訪問勉強会』であり、
サブタイトルは、『PHP京都本部「根源の社」で瞑想し松下幸之助とPHPの
精神を勉強しよう』です。
 
武沢社長の熱い思いによる素晴らしい研修の企画と幸運により参加出来こと、
そして、PHP研究所の方々のあまりにも熱心で御丁寧なご指導を頂けた事に
心から感謝申し上げこの場を借りて御礼申し上げます。
 
今日の“おたまはん日和”では、松下幸之助翁がPHP研究所を創設した経緯や
その精神に少し触れてみたいと思います。
恥ずかしながら、PHP研究所が松下幸之助翁により創設された事を最近まで
存じ上げませんでした。
 

 

松下幸之助翁は、第二次世界大戦で日本が敗れ、GHQの支配下のもとでの日本の
再建が覚束ない時に、松下電器を再建する以上に、日本の国を再建するする事が非常に
大事あり、このまま放っておいたら日本の国は潰れてしまうという強い危機感をもち
ます。国の政治の方針や国民の考え方をどうしたらええのやろうかと考えた時に、
繁栄と平和と幸福という言葉が頭に浮かんできたいと、松下翁は言われています。
 
繁栄と平和と幸福というものは、人間が如何なる立場の人でも、皆願う悲願であり、
その繁栄のため、平和のため、幸福のための運動を行なおうと運動を始めます。
ただ、これが日本だけの運動であってはいかんと“フッ”と気づかれ、今の3つの
言葉を英語で表現し、Peace and Happiness through Prosperityの頭文字PHPをとり
運動を始めるのです。
 
PHP研究所の創設は、終戦から1年と3ヵ月が過ぎた昭和21年11月です。
それは、GHQにより松下電器が、財閥家族の指定を受け、松下幸之助翁が公職を
追放された直後の事です。
 
また、この度の研修で学んだ大切な事の一つは、松下幸之助翁が亡くなるまで願い、
提唱し続けたのが「素直な心になりましょう。」という事です。
松下幸之助翁は、自身も絶えず素直な心にならないかんと言い続け、そして、修業し
続けられました。しかしながら、翁は修業を続けて30年以上たっても、それでも
なかなか本当の素直な心にはなれず、「じきにもういろいろとこう邪心が出てくる。
せやから、何もにのにもとらわれない、本当の真実の姿でものを見ていき、そして
行動していくという事を、絶えずこころ強くしてせないかんと。」と言われています。
PHPの普及運動は自然にお任せして、PHP研究所はそれをお世話をするという
基本的な方針を取りながら、たった一つ強く提唱したのが、この「素直な心になり
ましょう。素直な心はあなたを強く正しく聡明にします」という事です。
 
今御紹介した内容は、「PHPと私の願い」という文章に綴られている松下翁の言葉を
私が拙く纏めたものです。そのため、松下翁の口調を出来る限り再現しようとしており
ます。
 
PHP研究所へ訪問させて頂き驚いた事は、松下幸之助翁の著書のとても多い事。
そして、講演録やその映像が沢山残され今も編纂が続いている事です。
これほどまでに、著書、講演の文章や画像が残っている経営者は他にいないと思います。
 
その理由は、松下幸之助翁は、まだ創業まものない頃から、事あるごとに従業員に
次の様に話をされておられる事から理解できます。
 
「松下電器は何をつくるところかと尋ねられたら、
 松下電器は人をつくるところでございます。
 併せて電気器具もつくっております。こうお答えなさい。」
 
そして、他の企業に類を見ない、企業内に学校や研修施設をもち、社内外において
徹底的に研修・教育を行っているのです。
 
松下幸之助翁は、明治27年11月27日和歌山県に、恵まれた地主の8人兄弟の末っ子に生まれます。しかし、4歳の時一家は破産し、故郷をはなれ、9歳から大阪で奉公生活を始めます。その苦境を朗らかに生き抜く姿を垣間見ていると、ふと、二宮尊徳翁と松下幸之助翁がダブって見えて来ました。ただ、松下幸之助翁は、体が弱かったようですが、85歳の時に松下政経塾を開塾されたり、87歳で国際科学技術財団設立にご尽力されるなど、繁栄と平和と幸福の実現には人を創らねばならないという強い思いを持ち、実践され生き抜かれた御生涯であったと感じます。平成元年4月27日94歳で亡くなられました。
 
PHP京都本部の根源の社で祈り、“経営の神様”と言われた偉大なる松下幸之助翁の
片鱗に触れる事が出来た事にもう一度感謝の意を表し本日の“おたまはん日和”を締めくくらせて頂きます。ありがとうございます。
 
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2009年5月11日 (月)

市民活動 町の活性化

先週の週末土曜日と日曜日に姫路の市民球場で、プロ野球ウエスタンリーグ公式戦
阪神タイガース 対 オリックス・バッファローズの試合が開催されました。
この大会は、有志が集まり、“ウエスタンリーグ姫路公式戦実行委員会”なるものを
立ち上げ、市民活動の一つとして開催されたものです。
連日、晴天に恵まれたこともあり沢山の観客でにぎわいました。
また、土曜日には少年野球教室も開かれ、プロ野球を目指す沢山の子供たちが
憧れのプロ野球選手の指導を受け夢を膨らませていました。
 
この様な大きなイベントは、姫路市等の行政や商工会議所などの公の団体が行って
いると思われがちですが、予算や収支見込み、事故発生時の対応責任や問題を如何に解決するかなどなど、開催までの色々な経緯をたどり、結局は、ある一部の市民達が
集まりが、運営・開催されているというケースの多い事に驚かされます。
私もその市民活動に参加しボランティアとして活動しておりました。
 
先日参加した山口・萩の往環マラニックも実はある個人の方が主催し、実行委員会を
立ち上げ開催しているものです。
かなり以前より姫路市においても大きなマラソン大会を開催し、町の活性化を図ろう
という動きがあります。小さなランニングの大会が姫路城のまわりで行われているのも
、実は大きなマラソン大会を開催する為の予行演習の様なものなのです。
大きな大会を開くとなると、先ず事故が起きたらどうするか?交通規制の協力体制は?
など、一般的に言われる総論賛成、各論反対で、なかなか実現出来ないものです。
 
東京都の世界的なマラソン大会の開催や、オリンピックの招致活動など、
街の活性化の為に元気な首長の呼びかけがあればこそ大きな壁を打破できます。
 
『姫路に国際マラソン大会を招致しましょう!!』という動きに私も賛同し、
いつの日か姫路城のまわりで世界的なマラソン大会が開催され、ランナーとして
参加出来る事を夢見ております。
 
 
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2009年5月 6日 (水)

挑戦しつづけたい。山口・萩往環140kmを完踏して

年頭の目標に掲げた山口・萩往環140kmマラニックに参加し、
これまでの大会で最高と言われる位に天候に恵まれ、元気に、気持ちよく
完踏してまいりました。(マラニックとは、マラソン&ピクニックという意味です。)

先ず、この山口・萩往環140kmマラニックという大会がどんなものであるかという事を簡単に説明申し上げます。5月3日の18時に山口市の瑠璃光寺を出発し瀬戸内の防府市まで走り折り返します。
スタート地点の山口市瑠璃光寺脇を通過して、萩市を目指し北上し、萩市内を一周して
また同じ道を瑠璃光寺まで帰るコースです。(時間制限は24時間。)

通常のマラソンの様にアスファルトの道路を走ると想像していましたが、
山口市と萩市の往環道路は、5割以上が山岳コースであり、かなり険しい山道に驚かされました。また、夜間は真っ暗で、参加者各自が電燈をもたねば進むことがでず、道に迷う方も少なくないようです。
私の所要時間は20時間51分で、ゴールをしたのが翌日の14時頃です。

この140kmの他には、250km、70km、35km等の部門があります。

250kmの部では、366名の申込に対して、完踏者は222名でした。
この部のスタートは、140kmの前日の5月2日の同時刻18時です。
時間制限は48時間ですので、ゴールの制限時刻は140kmと同じで
各部のランナーが一緒にゴールする事になります。

140kmの完踏者最高年齢は、71歳、最若令は25歳。
250kmの完踏者最高年齢は、70歳、最若令は28歳です。
参加されている方の平均年齢もかなり高く60歳代の方が多いのに驚きます。
今迄私の持っていた、運動能力の適応年齢といいますか、限界年齢というものが
今回の大会参加で殆ど覆り、飛んでなくなってしまいました。
私の以前からの目標である70歳までウルトラ100kmマラソンを続けるという事が
60歳を超える元気なランナーの姿を見て、至極普通の事と思えるようになりました。

140kmの部を完踏すると、250kmの部の参加権を得る事になります。
多くの高齢な先輩達に励まされ、来年250kmの部に挑戦したいと思っています。
今回の140kmの長さで、今までウルトラ100kmでは体感できないものを得ました。
何事においても、まだ見知らぬものへ挑戦しつづける、チャレンジャーでありたいと
思います。

 
後は、余話としてお読みください。
山口県は、幕末の歴史ゆかりの名所が多く、吉田松陰先生所縁の史跡を眺めたり、
志士坂本竜馬や西郷隆盛翁達による薩長の秘密会談等を行った枕流亭なども垣間見て歴史に思いを巡らせました。
また、春の一番素敵な季節でもあり、山岳コースの自然の美しさ等に魅了されました。
夜中には白く浮かび上がる美しい花が、昼間にシャガの花である事が解りました。
ノアザミ、藤、さつきに椿、山笑う新緑の美しさ、山口の人々の優しさ。
体は、とてもとても痛くても、痛みに優る素晴らしい世界の中で走る事が出来たこと、
この長距離を走らせてくれる体に恵まれたこと、そして、この様な長時間の大会に
参加出来る事などなど、素直に感謝の気持ちで溢れて嬉しくなってきます。

大会後、懇親会(参加者交流会)に参加しました。
参加申し込みの半数以下という約50名ばかりの小さな懇親会になりましが、
今大会最高年齢で70kmの部に参加し完踏された76歳の方や、フランスから
わざわざこの大会の為に帰国された、1週間近く走り続けるマラソン大会の記録を
つくられた方、又々、大きなマラソン大会の公式地図をGPSを使って作っておられる
方等々、大変楽しい交流もさせて頂きました。

帰路、山口駅から山口線で新幹線乗り換え駅の新山口駅に着くと、SLのD5711が
客車を引っ張り黒い煙をもくもくと上げ、耳に穴のあくほどの大きな汽笛を鳴らし出発するところに運良く遭遇しました。
楽しい旅路をさらに盛り上げてくれたワンシーンでした。

140kmの過酷なコースを20時間以上走り、美しい自然に触れ、そして、沢山の方々との交流を通して感じとった強い思いをこれからの人生で生かさねばならぬという感慨で胸いっぱいです。そして、この幸せにもう一度あらためて感謝いたしております。 
 
                                               合掌
最後までお読み頂きありがとうございます。
 
          藤橋家homepage    http://www.fujihashiya.com/

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