ミムラボ・ランニングシューズのすごい威力 & 姫路城の歴史(14)
平成22年11月23日(勤労感謝の日)に開催された第20回福知山マラソン大会が開催され、秋の福知山を気持ちよく走ってきました。(フルマラソンです。)
この大会で初めて履いたのが、あの靴作りのマイスター(名工)といわれる三村仁司社長に作って頂いた㈱ミムラボさんのシューズです。
三村仁司さんは、マラソンランナー高橋尚子や野口みずきのシューズを作り、金メダルを取らせた影の立役者ともいわれています。野口みずきがオリンピックで金を取った時、靴にキスしているシーンを憶えておられる方もおられるのではないでしょうか。
また、アシックス勤務当時は大リーグで活躍する 鈴木イチロー選手の靴の製造や、現在もセリーグの首位打者 青木宣親選手の靴をはじめ多くのトッププロの靴を作り続けておられます。
今回の福知山マラソンでは、私は大いに練習が不足していたので、予想タイムは早くても4時間半位と思っていました。が、しかし、結果は意外にも4時間ブレイクの 3時間47分33秒で走る事が出来ました。
今まで履いていた靴は、靴底の厚く、重たく、しっかりした靴を履いていましたが、この度ミムラボの自分の足にフィットした靴を履いた瞬間、軽やかに足が動き出したという感じがしました。
正直、靴を履いている感覚がないとっても言い過ぎではありません。
㈱ミムラボの靴の作成には、靴を履く部分の足の長さ、幅、高さ等の計測やコンピューターを使用した立体分析、そして更に、足首の堅さ・柔らかさ、膝の曲がり具合、O(オー)脚の具合や、左右の足の長さの計測など、色々な角度から、その個人の特徴を捉えて行きます。
また、靴のマイスター 三村社長が実際に、足の計測値と、実際の足の形などを見ながら懇切丁寧にインタビューをしてくれます。
こうして作られる靴は素晴らしく、前日に軽く試し履きをしただけで、正にジャストフィットの快速ランが出来ました。
因みランニングシューズの重量を計ってみると、1足の重さが160gでした。今まで履いていた靴は、何と330gです。マイスター三村社長によれば、靴の重量が10g違うだけで、消費エネルギーがフルマラソン換算で、260kcalも違うそうです。
今回のマラソン大会で、私は靴の重量だけで、今迄よりエネルギー消費を4,250kcal少なくできた事、そして、足首がとても柔らかい事で薄い堅い底の靴を作ってもらった事など、ジャストフィットするミムラボ・シューズが、予測タイムを40分以上もクリアさせてくれたのです。
恐るべしミムラボ・ランニングシューズの威力です。
「ありがとう、感謝します、ついている。が実感です。」
㈱ミムラボでは、靴の作成はハンドメイドの為、1日僅か10足位しか作れず、足サイズ等の計測から靴の完成迄には1ヶ月位掛りますが一度ミムラボの靴を作らられては如何でしょうか。
次に、㈱ミムラボの三村仁司社長の略歴とミムラボや三村仁司社長のことがインターネットでも色々紹介されていますので、三つサイトを掲載しておきます。
1948年8月20日兵庫県加古川市生まれ。県立飾磨工業時代には陸上部キャプテンを務め、長距離選手としてインターハイ等で活躍。高校卒業後は大学からの誘いを断り、オニツカ株式会社(現アシックス)に入社。 成型係、仕上係、研究室を経て1974年たった一人で別注シューズの制作を開始。陸上競技にとどまらず、野球、サッカー、テニス、バレーボール、バスケットボール、ボクシング、モータースポーツ、近代五種など多岐にわたるジャンルのシューズを手がけ、現在に至る。常に選手のことを考えた仕事ぶりとその職人かたぎな人柄は、多くの選手から愛されている。
マラソンの高橋尚子選手や野口みずき選手など、数多くのトップアスリートのシューズを作り「靴作りの名工」として知られる三村仁司氏だが、アシックスを退職後、世界のアディダスからの強い依頼を受けて専属アドバイザー契約を締結し、株式会社ミムラボ(M.Lab)設立。今後ミムラボで製作されるシューズはすべてアディダス製品として販売され2011年秋冬モデル以降、ワールドワイドでの展開を予定している
*ミムラボ工房潜入 http://yume.tloem.jp/article/13827318.html
*アディダスジャパン、靴作りのマイスター三村仁司氏と専属アドバイザー契約を締結http://news.livedoor.com/article/detail/4547024/
*ミムラボ http://ameblo.jp/xzgxy/entry-10701369223.html
以上、ミムラボ・ランニングシューズのすごい威力を御紹介させて頂きました。
* * * 姫路城の歴史(14) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *
姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。
第14回目は、 姫路城の歴史 『 焼野原となった城下町 』をお届けします。
姫路城の上空に米軍機の爆音が鳴り響いたのは、1945年(昭和20)7月3日午後11時50分のことでした。サイパンから飛来した107機のB29戦略爆撃機から、1万発を越える焼夷弾が降り注ぎ、城下は瞬く間に火の海となり、人々は着の身着のままで逃げだすのが精一杯でした。
翌朝、市民たちは瓦礫の山となった町を見て呆然となりますが、廃墟の中に朝日に輝く天守を見て、「ああ、お城は無事やったか」と安堵し、人々は復興に向け、力強く歩き始めました。
この爆撃による死亡者は173人、全焼した家屋は10,248戸、罹災した人は45,182人に上り、歴史ある姫路の城下町は、野里地区と船場地区の一部を除き、全てが消え失せてしまいました。
姫路城が焼け残った理由について姫路城では、戦後の長い間「アメリカは日本の歴史的な都市や遺物を空襲の対象からはずしていたからだ」と言われてきましたが、近年、姫路に招かれた米軍パイロットは、そもそも姫路に城があることなど知らされておらず、レーダーに映った姫路城は濠を沼か湿地帯と勘違いしたため攻撃しなかったのではないかと語っています。現実に姫路城の「三の丸」の高台にあった学校が焼夷弾によって全焼、「西の丸」でも不発弾が見つかっていることから、姫路城が罹災から免れたことは奇跡としか言いようがありません。
以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”のP15 から
『 焼野原となった城下町 』をご紹介させて頂きました。
最後までお読み頂きありがとうございます。
藤橋家homepage http://www.fujihashiya.com/
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コメント
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投稿: ブランド 腕時計 スーパーコピー 代引き 治療 | 2021年7月 7日 (水) 11時11分
こんにちは 2年前に 右足親指の付け根をねんざしてよりランニングやゴルフをするとき 少し痛みます ゴルフ靴をつくりたいのですが?費用どのぐらいかかりますでしょうか09019513373
投稿: 仲井英治 | 2011年6月 8日 (水) 16時25分
ミムラボの靴ほしいんですけど、作ってもらうにはどうすればいいですか?
投稿: 青森県で陸上やっている者 | 2011年1月 2日 (日) 20時37分