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2010年11月29日 (月)

ミムラボ・ランニングシューズのすごい威力 & 姫路城の歴史(14)

平成221123日(勤労感謝の日)に開催された第20回福知山マラソン大会が開催され、秋の福知山を気持ちよく走ってきました。(フルマラソンです。)

この大会で初めて履いたのが、あの靴作りのマイスター(名工)といわれる三村仁司社長に作って頂いた㈱ミムラボさんのシューズです。

三村仁司さんは、マラソンランナー高橋尚子や野口みずきのシューズを作り、金メダルを取らせた影の立役者ともいわれています。野口みずきがオリンピックで金を取った時、靴にキスしているシーンを憶えておられる方もおられるのではないでしょうか。

また、アシックス勤務当時は大リーグで活躍する 鈴木イチロー選手の靴の製造や、現在もセリーグの首位打者 青木宣親選手の靴をはじめ多くのトッププロの靴を作り続けておられます。

今回の福知山マラソンでは、私は大いに練習が不足していたので、予想タイムは早くても4時間半位と思っていました。が、しかし、結果は意外にも4時間ブレイクの 3時間47分33秒で走る事が出来ました。

今まで履いていた靴は、靴底の厚く、重たく、しっかりした靴を履いていましたが、この度ミムラボの自分の足にフィットした靴を履いた瞬間、軽やかに足が動き出したという感じがしました。

正直、靴を履いている感覚がないとっても言い過ぎではありません。

㈱ミムラボの靴の作成には、靴を履く部分の足の長さ、幅、高さ等の計測やコンピューターを使用した立体分析、そして更に、足首の堅さ・柔らかさ、膝の曲がり具合、O(オー)脚の具合や、左右の足の長さの計測など、色々な角度から、その個人の特徴を捉えて行きます。

また、靴のマイスター 三村社長が実際に、足の計測値と、実際の足の形などを見ながら懇切丁寧にインタビューをしてくれます。

こうして作られる靴は素晴らしく、前日に軽く試し履きをしただけで、正にジャストフィットの快速ランが出来ました。

因みランニングシューズの重量を計ってみると、1足の重さが160gでした。今まで履いていた靴は、何と330gです。マイスター三村社長によれば、靴の重量が10g違うだけで、消費エネルギーがフルマラソン換算で、260kcalも違うそうです。

今回のマラソン大会で、私は靴の重量だけで、今迄よりエネルギー消費を4,250kcal少なくできた事、そして、足首がとても柔らかい事で薄い堅い底の靴を作ってもらった事など、ジャストフィットするミムラボ・シューズが、予測タイムを40分以上もクリアさせてくれたのです。

恐るべしミムラボ・ランニングシューズの威力です。 

「ありがとう、感謝します、ついている。が実感です。」

㈱ミムラボでは、靴の作成はハンドメイドの為、1日僅か10足位しか作れず、足サイズ等の計測から靴の完成迄には1ヶ月位掛りますが一度ミムラボの靴を作らられては如何でしょうか。

次に、㈱ミムラボの三村仁司社長の略歴とミムラボや三村仁司社長のことがインターネットでも色々紹介されていますので、三つサイトを掲載しておきます。

1948820日兵庫県加古川市生まれ。県立飾磨工業時代には陸上部キャプテンを務め、長距離選手としてインターハイ等で活躍。高校卒業後は大学からの誘いを断り、オニツカ株式会社(現アシックス)に入社。 成型係、仕上係、研究室を経て1974年たった一人で別注シューズの制作を開始。陸上競技にとどまらず、野球、サッカー、テニス、バレーボール、バスケットボール、ボクシング、モータースポーツ、近代五種など多岐にわたるジャンルのシューズを手がけ、現在に至る。常に選手のことを考えた仕事ぶりとその職人かたぎな人柄は、多くの選手から愛されている。

 マラソンの高橋尚子選手や野口みずき選手など、数多くのトップアスリートのシューズを作り「靴作りの名工」として知られる三村仁司氏だが、アシックスを退職後、世界のアディダスからの強い依頼を受けて専属アドバイザー契約を締結し、株式会社ミムラボ(M.Lab)設立。今後ミムラボで製作されるシューズはすべてアディダス製品として販売され2011年秋冬モデル以降、ワールドワイドでの展開を予定している

*ミムラボ工房潜入 http://yume.tloem.jp/article/13827318.html

*アディダスジャパン、靴作りのマイスター三村仁司氏と専属アドバイザー契約を締結http://news.livedoor.com/article/detail/4547024/

*ミムラボ  http://ameblo.jp/xzgxy/entry-10701369223.html

以上、ミムラボ・ランニングシューズのすごい威力を御紹介させて頂きました。


* * * 姫路城の歴史(14) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

姫路円卓会議発行の姫路ぶらぶらから姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

14回目は、  姫路城の歴史 『 焼野原となった城下町 』をお届けします。

姫路城の上空に米軍機の爆音が鳴り響いたのは、1945年(昭和20)7月3日午後11時50分のことでした。サイパンから飛来した107機のB29戦略爆撃機から、1万発を越える焼夷弾が降り注ぎ、城下は瞬く間に火の海となり、人々は着の身着のままで逃げだすのが精一杯でした。  

翌朝、市民たちは瓦礫の山となった町を見て呆然となりますが、廃墟の中に朝日に輝く天守を見て、「ああ、お城は無事やったか」と安堵し、人々は復興に向け、力強く歩き始めました。

 この爆撃による死亡者は173人、全焼した家屋は10,248戸、罹災した人は45,182人に上り、歴史ある姫路の城下町は、野里地区と船場地区の一部を除き、全てが消え失せてしまいました。

姫路城が焼け残った理由について姫路城では、戦後の長い間「アメリカは日本の歴史的な都市や遺物を空襲の対象からはずしていたからだ」と言われてきましたが、近年、姫路に招かれた米軍パイロットは、そもそも姫路に城があることなど知らされておらず、レーダーに映った姫路城は濠を沼か湿地帯と勘違いしたため攻撃しなかったのではないかと語っています。現実に姫路城の「三の丸」の高台にあった学校が焼夷弾によって全焼、「西の丸」でも不発弾が見つかっていることから、姫路城が罹災から免れたことは奇跡としか言いようがありません。

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック姫路ぶらぶらP15  から

  『 焼野原となった城下町 』をご紹介させて頂きました。

最後までお読み頂きありがとうございます。

藤橋家homepage     http://www.fujihashiya.com/

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2010年11月22日 (月)

日本の空洞化を止めて、この国に活力を! & 姫路城の歴史(13)

11月21日(日)の日本経済新聞の朝刊1面のトップ記事は、【新卒就職 年明けも支援】である。先月101日時点の新卒就職内定率は57.6%と前年同期に比べて4.9ポイント減少。2003年度(60.2%)を下回る過去最悪の状態だったそうです。そして、このペースだと卒業時点の就職内定率が過去最低だった1991年度の91.1%を下回る可能性があると報じています。

 この結果を受け就職支援の為に、リクルートや就職情報大手の学情とパソナも、これまでとしては異例の年明けの企業説明会を開催したり、来春卒業予定の大学生を中小企業の工場などに実習生として送り込む就業体験支援事業なども始めるそうです。また、政府・中小企業庁はこの事業の助成金として実習生に日額7,000円、受け入れ企業には日額3,500円を支給するとあります。

上記の対策が功を奏して、学生の就業チャンスが増え、若い力がこの国の発展の為に、そして、各企業の力となり活躍してくれることを切に願わずにはいられません。

 しかしながら、就職内定率が過去最悪となっている根本原因を改革しなければ大きな期待は出来ないでしょう。現在就職氷河期と言われていますが、今に始まった事ではなく、リーマンショック前のニ年位を除けば、若者の就職内定率は、悪い状況が長い間続いて来ているのです。

日本の飛び抜けた労働コストの高さや国内の多くの規制等により製造原価が高いという理由で、国内の企業が海外へ出ていくのが当り前の時代。今まで国内で製造していた企業が海外に出ていくという事は、日本国内の職場が減っていくという事を意味する事は誰でも解る事です。

労働コストが高いのは、大手企業を始め、現在就労している私たちが、自分たちの賃金の下落を一生懸命食い止め、そして、社会の変革をしようとしない為でもあります。

結局その事が、自分達の子供や、次世代を担う若者たちの就職の機会を奪っているという事も明白な事実として改めて認識する必要があると思います。

・国内企業が、海外へ出ていくことを誰も止めない日本。

・経済は破綻しているのに、若い就労者の給料より沢山の年金を支給し続け、過去と現在の付けを膨らませ続ける日本。

・国内自給率は40%と言われ、命の源である食の生産力が低迷する中、TPPに加盟をしようと発言する管直人首相。ほんまに、あかん(管)のではないでしょうか。(TPPの言葉については、参考の為に、最後にweblio辞書より説明を引用しています。)

特に、食料の生産という事は国家の基本であり、根本であり、最も重要な国力であることを今ここで認識する必要があると思います。

最近の事件として、レアメタルの輸出に制限を加え、自国の主張や影響力を行使しようとする事からも良く分かる通り、自国の食の生産力がない国は、食料の輸入が止まれば飢えるしかないのです。

我が国歴史上で「再建の神様」と言われる 二宮尊徳翁の次の言葉を読み返してみたいと思います。

「農は国の本なり」

古より国本たる農業の盛んなる時は国豊富にして、仁義礼義行われ、四民各その生を楽しめり、この業 衰うる時は国衰貧にして災害起こり、四民手足を措く処なく敗亡を免れず、天下国家の治乱盛衰は多端なるが如しと雖も、要するに本糧の盛衰にゆらざるはなし。

この言葉は、私が国内の食料問題を取り上げる時に良く引用させて頂く文章ですが、改めて噛み締めています。

日本経済新聞の就職難の事を書いた一面トップ記事を読み、我が国日本に活力を呼び戻し、良い国づくりの強い意志を国民みんなが持つ時が来たと強く感じています。

* * * 姫路城の歴史(13) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

姫路円卓会議発行の姫路ぶらぶらから姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

13回目は、  姫路城の歴史 『姫路の城下町の町名』をお届けします。

戦国時代に生まれた城下町では、同じ職業や同じ出身地の者が、同じ場所に集められて町を形成する場合が多く、姫路城の城下町にも商品の名がついた「呉服町(ごふくまち)」や「塩町(しおまち)」、「魚町(うおまち)」、職業の名がついた「博労町(はくろうまち)」や「鍛冶町(かじまち)」、「金屋町(かなやまち)」、地名がついた「龍野町(たつのまち)」や「堺町(さかいまち)」、「吉田町(よしだまち)」などの町があり、中之門筋では、刀匠が住んでいたという「新見町(あらみまち)」、二階建ての茶屋が並んでいたという「二階町(にかいまち)」や、城下の中心地に設けられる「本町(ほんまち)」などの町名があります。

また中曲輪には「大名町(まち)」や「桜町(まち)」、「岐阜町(まち)」などの武家町がありましたが、外曲輪の武家町は町人町と区別するため、「十二所前」や「北条口」のように「町」という字を用いりませんでした。

 ちなみにどこの町でも「○○町」を「○○ちょう」と読むのか「○○まち」と読むのか悩むところですが、姫路の城下町では、わずかな例外を除いて「○○まち」と読み、「○○ちょう」と読む町の殆どは昭和以降に誕生した新しい町です。成立したばかりの姫路市は旧城下町のみを市域とした小さな市で、「町」といえば旧来の城下町を指していたのですが、昭和初期に入ってから周囲の町村との合併により、新しい町が生まれることになります。しかし伝統ある城下町に住む旦那衆は、新しい町に住む人々を一緒にされることを嫌い、新しい町は「○○ちょう」とするよに働きかけたのだと町の古老たちは伝えています。

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック姫路ぶらぶらの P14  から

『 姫路の城下町の町名 』をご紹介させて頂きました。

最後までお読み頂きありがとうございます。

藤橋家homepage     http://www.fujihashiya.com/

追伸:

TPP(weblio辞書より)の語意を次に添付します。

http://www.weblio.jp/content/TPP

2006APEC参加国であるニュージーランドシンガポールチリブルネイ4ヵ国が発効させた、貿易自由化目指す経済的枠組み工業製品農産品金融サービスなどをはじめとする加盟国間で取引される全品目について関税原則的に100%撤廃しようというもの。2015をめどに関税全廃実現するべく協議が行われている。

201011現在、すでに米国オーストラリアペルーベトナムマレーシア5ヵ国がTPP参加次いでコロンビアカナダも参加意向表明している。

日本これまでTPP対す姿勢を明らかにしていなかったが、201010開かれた新成長戦略実現会議」で、菅直人首相TPPへの参加検討表明した。しかしながらTPP原則として例外認めない貿易自由化協定であることから、コメをはじめ国内農業漁業壊滅的な打撃を受けるとして反発する声も上がっている。

201011月9閣議決定ではTPPへの参加決定されなかったものの、下記通り「関係国との協議開始する」との決定が下された。

            

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2010年11月15日 (月)

CVTV WINKの “いま、輝いている” & 姫路城の歴史(12) (“YouTube”にアップしてます。)

姫路市民におなじみの 姫路ケーブルテレビ WINK様から、先日一日掛けて弊社を取材をして頂き、今現在、アナログ9ch、デジタル111ch91chで放映されています。

期間は、11月8日から11月28日の約3週間です。是非ご覧下さい。

この番組をそのまま、 YouTube  でアップしてみました。是非、ご覧ください。

途中にこの番組のスポンサーの銀行様の広告が入りますがその広告もじっくりご覧頂き引き続きご覧下さい。15分番組です。

下記URLでジャンプします。

http://www.youtube.com/watch?v=GJ15H13ZaRw

その番組のタイトルは、『 いま、輝いてます。~season2~ 』という15分番組で、テーマは、【姫路で働く人々にスポットを当て、仕事に対する熱い思い、夢をまっすぐにお送りする】というドキュメンタリー番組です。

WINKさんの放映日時 

   月曜日~木曜日 11:3011:45 23:0023:15

   金曜日~日曜日 11:3011:45 18:3018:45

姫路ケーブルテレビ WINKは、一般のテレビだけでなく映画やアニメ、スポーツだけでなく、その豊富なプログラムには有名ですが、地元姫路の情報についても、本当に沢山の充実した番組を放映されています。

今、色々なキャンペーンもされています。HPへは、次のURLをクリックしてください。

http://www.winknet.ne.jp/

地元のコミュニティーチャネルの紹介ページは次のURLへ。

http://www.winknet.ne.jp/communitych/cmmu_top.html#list

* * * 姫路城の歴史(12)  姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

姫路円卓会議発行の姫路ぶらぶらから姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

12回目は、  姫路城の歴史 『「白銀町」は姫路の銀座 』をお届けします。

「十二所線」という戦後に作られた道路を超えると、そこは「白銀町」(しろがねちょう)です。

「白銀町」の白銀とは「銀」のことを指し、かつてはここに銀を扱う職人が暮らし、彼らは後に両替商を兼ねるようになります。

つまり江戸時代の「白銀町」は、多くの銀行が建ち並ぶ姫路の「銀座」だったのです。

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック姫路ぶらぶらP14  から

『「白銀町」は姫路の銀座 』をご紹介させて頂きました。

最初にご紹介しました姫路ケーブルテレビ WINK様の番組をご覧頂き、是非皆様から色々なご意見、ご感想を頂ければ幸いです。

本日も最後までお読み頂きありがとうございます。

藤橋家homepage   http://www.fujihashiya.com/

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2010年11月 8日 (月)

天風哲人の“心身統一法” & 姫路城の歴史(11)

si 本日のおたまはん日和は、これまでに何度も取り上げてきました、哲人 中村天風先生の心身統一法の実践法について学びなおしてみようと思います。 

 この心身統一法については、今回と次回の 2回に分けてお届けします。 

 そして、11回目となります姫路城の歴史 では、あの「播州皿屋敷」のお菊さんの話をご紹介します。 

 最後に、スペシャルメニューとして、月刊致知の「人間力メルマガ」116日号から「感動の実話」をそのまま引用してお届けします。涙なくして読めません。感謝、感動、感激です。 

さて、では先ず心身統一法について、始めたいと思います。 

『 心身統一法について 』 

 心身統一法とは、盛大な人生を送るために、心身一如になる方法を説く実践哲学です。 

その為には、心を断然積極的にして、天風誦句集の最初にある言葉誓いの詞の様に日々を過ごす様に説かれています。 

先ず、その天風誦句集誓いの詞を紹介させて頂きます。 

『 誓 詞 』 

今日一日 

怒らず 怖れず 悲しまず、 

正直 深切 愉快に、 

力と 勇気と 信念とをもって 

自己の人生に対する責務を果たし、 

常に平和と愛とを失わざる 

立派な人間として活きることを、 

厳そかに誓います。 

積極的な心とは、常に 尊く 強く 正しく 清く と言う事であると、天風哲人は言われています。 

心身統一法とは、具体的にどの様なことをするのか、日々どの様な修練をすればよいのでしょうか。 

中村天風哲人の心身統一法については、沢山の書籍が出版されていますが、日本経営合理化協会出版の中村天風哲人の教書『成功の実現』はとても解り易く、また、この本の付録として中に挟んで入れられている『日常の心得』は、心身統一法の日々の修練について、とても簡潔に解り易く1枚の用紙に纏められていますので、 

ここに原文をそのまま転写し、2回に分けてお届いたいます。 

また、日本合理化協会からは、『盛大な人生』や『君に成功を贈る』などの書籍も出版されています。 

是非、お読み頂きたい素晴らしい本です。 

『日常の心得』 

*寝ぎわのこころがけ 

(1)連想暗示法・・・ 

「悲しいこと」「腹のたつこと」「気がかりなこと」・・・消極的なことは寝床の中に一切持ち込ま  ない。明るく朗らかに、生き生きとして勇ましい積極的なことを連想する。 

(2)命令暗示法・・・ 

鏡に映る自分の顔に、自分のなりたい状態を命令的な言葉で、例えば「お前は、信念が強くなる!」「お前は、もっと元気が出る!」と発生する。 

 【実行のポイント】 

  ・真剣であること。 

  ・自分の耳に聞こえる「つぶやき」くらいの声で良い。 

  ・一回一事項であること(二回も三回も繰り返さない。) 

  ・命令したことが現実化するまで、同一命令を続行すること(途中で他のものに変更しない)。 

  ・一日中、折ある毎にやって良いが、寝ぎわにやるのが特に効果的。 

*覚め直後の心がけ 

 (3)断定暗示法・・・ 

前夜、命令したことを、すでに具体化された状況で、断定した言葉で表現する。 

   例えば、前夜「お前は信念が強くなる」と命令したら、それを「私は、きょうは信念が強くなった」 

   と、自分の耳に聞こえるように言う。

 【実行のポイント】 

  ・(先ずは、)目覚めた直後にやること。 

  ・鏡を用いても、用いなくても良い。 

  ・一日中、回数多くやる方がより効果的。 

哲人、天風先生は、私たちの生活の中で、心を積極的にするには、寝ぎわと、朝に目覚めた直後が、 

とても大切であると強く説かれています。 

今日は、心身統一法の『日常の心得』の前半を紹介させて頂きました。 

* * * * * * * * 姫路城の歴史(11) * * * * * * *  

姫路円卓会議発行の姫路ぶらぶらから姫路城にまつわる歴史を紹介しています。 

11回目は、  姫路城の歴史 『 お菊さんと播州皿屋敷 』をお届けします。 

現代の姫路出身の有名な女性と言えば松浦亜弥かもしれませんが、それよりももっと有名な女性は「一枚、二枚、三枚・・・」の台詞で知られる「お菊さん」ではないでしょうか。 

「四谷怪談」や「牡丹灯籠」と共に日本三大怪談としてよく知られる「播州皿屋敷」の物語は、室町時代の終わり頃の姫路城を舞台として始まります。 

 姫路城主、小寺則職(のりもと)の奥女中として奉公に上がっていたお菊は、ある夜、悪家老・青山鉄山と悪臣・町ノ坪弾四郎が、則職を毒殺し、お家を乗っ取ろうとしている事を知り、その事を恋人の衣笠元信に報せます。これを知った元信の活躍により、則職は危うく難を逃れますが、姫路城は鉄山一味の手に落ちてしまい、則職は元信とともに家島に身を隠します。その後も姫路城に留まったお菊は、その美しさに目を奪われた弾四郎にしつこく自分の妾になるように迫られますが、元信を慕うお菊は頑として首を縦に振りません。業を煮やした弾四郎は、お菊が管理を命じられている小寺家の家宝「赤絵の皿」十枚の内の一枚を隠し、その罪をお菊に擦り付けます。 

やがて、罪に問われたお菊は、日夜、激しい折檻を受けた上、古井戸に吊るされ、21才の若さで無惨な最期を遂げます。それからというもの、この井戸では「一枚、二枚、三枚、」と皿を数える声が夜な夜な聞こえるようになったといいます。 

その後、お菊の霊は、主君・則職を家島より導き、鉄山ら悪の一味を滅亡させ、室津より駆けつけたお菊の二人の妹に弾四郎を討たせます。 

その後、姫路城に戻った則職は、このお菊の忠節に感じ、十二所神社の境内に祠を建ててお菊の霊を祀り、ねんごろに慰めたのが「お菊神社」の始まりだと伝えられています。 

 姫路城の中には「お菊井戸」と呼ばれる井戸もあり、いかにも実話の様に聞こえますが、「播州皿屋敷」の物語はあくまでも創作上の物語で、現実に起こった話ではありません。 

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック姫路ぶらぶらP13 から 

               『 お菊さんと播州皿屋敷 』をご紹介させて頂きました。 

* * * 感動の実話 致知出版社の「人間力メルマガ」より * * * 

     

11月6日に配信された、人間力を磨く月刊誌『致知』のメルマガに感動の実話を見つけました。 

本日は、スペシャルメニューの追加で、致知出版社のメルマガ感動の実話をご紹介します。 

続いて、是非、お読みください。 

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致知出版社の「人間力メルマガ」【2010/11/6】 致知出版社編集部 発行
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 このメールマガジンでは、皆さまの人間力・仕事力アップに
 役立つ言葉や逸話を厳選して紹介しています。

 本日は、『致知』1991年9月号の特集「陰徳を積む」にご登場いただき、感動を呼んだ上月照宗氏(永平寺監院)の 記事をご紹介します。

 母子の感動実話です。ぜひお読みください。
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        「母子の感動実話」    
上月照宗(永平寺監院)『致知』1991年9月号 特集「陰徳を積む」より
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親と子といえば、私にはどうしても忘れられない逸話があるんです。

土井敏春という中尉の話です。

昭和16年の安慶の攻略戦の際、土井中尉は部下5人を連れて将校斥候に出たのですが、敵の地雷に引っ掛かってしまった。
    (中略)
一瞬にして5人の部下が即死してしまったのだから惨いことです。

助かったのは土井中尉一人。しかし、彼自身も両足と片腕を吹き飛ばされ、爆風で脳、眼、耳が完全にやられてしまった。

あまりの苦しさに舌を噛み切って自害するといわれますが、土井中尉は上下の歯もガタガタになってしまった。
死ぬに死ねません。これほど悲惨なことはありません。

どこにいて、何をしているのかもわからない。 

声だけは出るものですから、病院に担ぎこまれても、ただ怒鳴り散らすばかりです。

まだ昭和16年のころでしたし、将校ですから、病院や看護婦は至れり尽くせりの看護をしたのですが、本人にしてみれば地獄です。

目は見えない、耳は聞こえない、自分で歩くことも、物に触れることもできない。

食事も食べさせてもらうのはいいが、しょっちゅう漏らして看護婦の世話になる。ただ、怒鳴るだけしかできず、介護に反発しますから、ついには病院中のだれにも嫌われてしまった。

それで内地送還になり、最後は箱根の療養所に落ち着くのです。
その連絡がお母さんのところに届きます。

すでに、夫を亡くしていたお母さんは、その当時はみんなそうでしたが、息子のために毎日毎日、陰膳を供えて彼の無事な帰還を祈っていました。

ですから、息子が帰ってきたという知らせに、母は娘と夫の弟さんを連れて、取るものも取りあえず、箱根に駆けつけたんですね。

療養所では面会謝絶です。院長にお願いしても、 

「せっかく来られたのですが、息子さんにはとてもあなた方のことはわからないでしょう。 今日はお帰りください」            

と聞き入れてもらえない。

しかし、母にとっては待ちに待った息子の帰還です。
何とか一目でいいから会わせてほしいと懇願し、やっとの思いで院長の許可を取ることができました。

病院に案内されると廊下の向こうから「わぁー」という訳のわからない怒鳴り声が聞こえます。
どうもその声は、自分の息子らしい。毎日陰膳を供えて息子の無事を祈っていた自分の息子の声であったのです。

たまらなくなって、その怒鳴り声をたどって、足早に病室に飛び込みます。

するとそのベッドの上に置かれているのは、 

手足を取られ、包帯の中から口だけがのぞいている物体
息子の影すらありません。声だけが息子です。

「あぁー」と母は息子に飛び付いて、「敏春!」「敏春!」と叫ぶのですが、耳も目も聞こえない息子には通じません。

それどころか、「うるさい! 何するんだ!」といって、残された片腕で母を払いのけようともがくのです。


何度呼んでも、体を揺すっても暴れるだけです。妹さんが「兄さん!兄さん!」と抱きついても、叔父さんがやっても全然、受け答えません。
三人はおいおい泣き、看護婦も、たまらずもらい泣きしました。

何もわからない土井中尉はただわめき、怒鳴っているばかりです。

こんな悲惨な光景はありますまい。しばらくして、面会の時間を過ぎたことだし、

「またいいことがあるでしょう。今日はもう帰りましょう」

と院長が病室を出ると、妹さんと叔父さんも泣きながら、それについて帰ります。

しかし、お母さんは動こうとしない。どうするのか、見ていると、彼女はそばにあった椅子を指して、看護婦にこういうのです。


「すみません。 この椅子を吊ってくださいませんか」


そして、それをベッドに近寄せると、お母さんはその上に乗るや、もろ肌脱いでお乳を出し、それをガバッと土井中尉の顔の包帯の裂け目から出ているその口へ、「敏春!」といって押しあてたのです。

その瞬間どうでしょう。

それまで、訳のわからないことを怒鳴っていた土井中尉は、突然、ワーッと大声で泣き出してしまった。
そして、その残された右腕の人差し指で しきりに母親の顔を撫で回して

「お母さん! お母さんだなあ、 お母さん、ぼくは家に帰ってきたんか。 家に帰ってきたんか」

と、むしゃぶりついて離さない。母はもう口から出る言葉もありません。

時間です、母は土井中尉の腕をしっかり握って、また来るよ、また来るよといって、帰っていきました。

すると、どうでしょう。
母と別れた土井中尉はそれからぴたりと怒鳴ることを やめてしまいました。

その翌朝、看護婦がそばにいることがわかっていて、彼は静かにいいました。

「ぼくは勝手なことばかりいって、申し訳なかった。 これからは歌を作りたい。
 すまないが、それを書きとどめていただけますか」

その最初の歌が、

 見えざれば、母上の顔なでてみぬ
 頬やわらかに 笑みていませる

目が見えないので、お母さんの顔、この二本の指でさすってみた、そしたらお母さんの顔がやわらかで、笑って見えるようであった。

土井中尉の心の眼、心眼には 母親の顔は豊かな、慈母観世音菩薩さまのように映ったのに違いありません。

  (中略)

この話はその現場に立ち会っていた 相沢京子さんという看護婦から聞いたものなのですが、その相沢さん自身も母親の姿を目の当たりにして、患者の心になり切る看護というものに目覚めたということです。

道元禅師の言葉にこうあります。

「この法は、人々の分上に豊かにそなわれりといえども、
 未だ修せざるには現れず、証せざるには得ることなし」

「法」とは「仏性」のことです。ですから、すべての生きとし生けるものにはみな仏性があると、根本信条を諭されます。

しかし、道元禅師は、それも修行して 磨きをかけないと本当の光が出てこない。

本当に磨きをかけることによって、真実の父親、母親になれ、その真実の人がそのものになり切ってこそ 偉大な力を発揮するということになるのです。

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この話を読み、感謝。そして、感動、感激を頂き、自分に磨きをかけ、真実の人間になるんだと厳かに感じ入っております。 

本日も、最後までお読み頂きありがとうございます。 

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2010年11月 1日 (月)

楽しいたまごクイズ & 姫路城の歴史(10)

本日先ずは、楽しいたまごクイズに答えてタマリエ認定証をゲットしようと題してこの度、たまご屋業界を代表する 日本卵業協会 という組織の若手グループがつくった、たまごの楽しいクイズに答えていきながら、たまごについての勉強をしていこうと思います。

それでは早速その たまごクイズ をご紹介します。

この問題は、難易度により、ブロンズ(銅)ランク、シルバー(銀)ランク、ゴールド(金)ランクの3ランクあり、各ランクとも 7問の質問があります。

各ランクとも全問正解すると、ランク毎にタマリエという たまごソムリエの認定証が発行できます。 

(画面にご自分の名前を入力し、カラープリンターで発行して下さい。)

ではどうぞ、トライしてみましょう。

御子様など家族と一緒に、または、友達と一緒にやると結構盛り上がります。

一ツ星タマリエ検定(パソコンからでも、携帯からでもOKです。)

  http://www.nichirankyo.or.jp/tamarie/m/


それでは、3ランクのクイズに答えて頂いたおさらいをしてみましょう。

ゴールド(金)ランクから問題の回答文章を引っ張ってきました。

もちろんご承知の通り (???) の部分が、質問の答えですね。

*コレステロールが多いと言われるたまごですが、実は余分なコレステロールを取り除く「善玉コレステロール(???)」や、体外への排出を助ける「レシチン」も豊富に含みます。

 近年さまざまな研究が進み、健康な人はたまごを控える必要のないことが分かってきています。

*たまごに含まれる(???)は、、肝臓がアルコールを分解する時に使うアミノ酸で、 たまご100gに約400mgも含まれています。

 二日酔いのときは、たまご入りのおかゆや味噌汁を試してみてください。

*(???)を投与した認知症患者の症状が改善したとの研究成果もあり、

 (???)が学習・記憶力の改善に役立つことが分かっています。 

上記の様に、

たまごは、一日2個以上食べても大丈夫!

そして、たまごは、お酒好きなあなたの心強い味方です!!

なんと、たまごには、認知症改善の成果も証明されており、これから、さらに大きな成果が

 上がることを期待してます。少しもの憶えが悪く成った方へも、たまごはこれまた強い味方です!!!

では、もう一度 ゴールドランク から実際の質問をここで一つお出しします。

質問)たまごをゆでた時、黄身と白身、どちらが先に固まる?

どっちだったでしょう。そして、凝固温度は、それぞれ何度でしたか?

正確に答えられなかった方は、たまごを沢山食べて コリンを摂取し、記憶力改善に役立てましょう。

日本卵業協会では、今ご紹介しました 一ツ星タマリエ検定 というクイズだけでなく、三ツ星検定、五ツ星検定制度もつくり、たまごについての正しい知識の普及に努めていく計画です。

乞うご期待です。

本日は、たまごの楽しいクイズをご紹介しながら、たまごの素晴らしさについて勉強致しました。

* * * 姫路城の歴史(10)姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * * 

10回目姫路円卓会議発行の姫路ぶらぶらから姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

姫路城の歴史 第10回目『「南町栄通り」は十二所神社への参道』

「南町中央通り」の入口から「中之門筋」を北に向かうと、すぐに「南町栄通り」という小さなアーケード街があります。この通りは戦前、「十二所通り」と呼ばれる「十二所神社」への参道で、その境内には「播州皿屋敷」で有名な「お菊神社」がありました。

また戦前の「十二所神社」は姫路城の外濠の辺(ほとり)にあったため、藤がよく育ち、その藤棚は東の亀戸天神、西の十二所神社と讃えられた観光の名所で、志賀直哉の著した長編小説「暗夜行路」には、主人公が夜、車夫に連れられて「お菊神社」に行き、「お菊虫」の話を聞かされるというシーンがあります。

そしてこの主人公は、宿で何本かの「明珍火箸」と「お菊虫」を買っています。

しかし、この「十二所神社」も太平洋戦争で罹災したため、社殿は戦後に再建され、復興整備事業によって社地も、従来より少し北に遷されました。

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック姫路ぶらぶら P12 から

『「南町栄通り」は十二所神社への参道』をご紹介させて頂きました。

最後までお読み頂きありがとうございます。

藤橋家homepage     http://www.fujihashiya.com/

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