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2011年1月31日 (月)

中村文昭氏講演“商売繁盛の秘訣は人間力” & 姫路城の歴史(23)

平成23127()に中村文昭氏の新春講演会を商売繁盛の秘訣は人間力と題して姫路商工会議所・青年部が主催企画して開催させて頂きました。

姫路商工会議所において過去最高とも言える、600名近い沢山の方が2階の大ホールを埋め尽くしました。

そして、講演時間の2時間30分が一瞬とも思える、魂に火を点ける素晴らしい講演をして頂きました。

本日のおたまはん日和は、この中村文昭氏の講演内容を簡単に纏めてお届けしたいと思います。

今回の講演会で特に心に残った言葉は2つ。それは、素直人間力です。

中村氏は、18歳の時に焼鳥屋で偶然となり合わせた人に大きな影響を受け、師匠として如何に生きるかという実践哲学を学ばれて行かれます。中村氏がある時、その師匠に質問をされたそうです。

「何故まったく身も知らずの私を弟子にしてくれて、これまで導いてくれたのですか?」と。

その師匠は答えます。「中村、お前が、ほんまに素直やからや。」 

師匠のこの言葉通り、中村氏のその心の素直さこそが、師匠とのたった一回の2時間の出会いを活かし、その後に大きく人生を切り開いていかれたのだと強く感じました。

そして中村氏は言われます。自分が18歳の時のあの焼鳥屋でのわずか2時間の師匠との出会いが、自分の魂のスイッチをオンにしてくれた。そして、あれ以来、毎朝目覚めの時に、あの出会いを思いだされるのだと。

人間力については、「何の為に生きるのか、そして、何の為に仕事をするのか?」について楽しく解り易くリアルな実話を紹介されながらお話を頂きました。

あなたは、何のために働くのですか?と問われれば、どうこたえるでしょうか?

多くの人が、いろいろと言いながらも結局は、「飯を食う為や。」と答えられるのではないでしょうか。

中村氏は、ご飯を食べるため、生活の為に働く事をライス・ワークと面白く表現されています。

自分が高校を卒業する時に先生から勧められた分厚い専門学校の沢山載った進学案内書には、どの学校の案内にも、資格を取れて、良い会社へ入れる。または、就職率は良く、あなたの将来はバラ色的な言葉ばかりが書かれていたそうです。言い換えれば、就職や進学は、「金 と 将来性 と 世間体」の3つの為と書かれてあり、また、先生の指導もまたこの3つの為に進学せよとのことだった事に、自分として何か納得出来きるものがなく、目的・目標を何も持てないままに、東京でカメラマンを目指して暮らすお兄さんの許へ家出をする様に三重県の田舎町から出て行かれるのです。

東京で、土木作業員とドーナッツ屋のアルバイトを初めて間もない頃に、焼鳥屋で師匠となる方と偶然に巡り合い、心を震わす出会いをし、その師匠のようになりたいと思う。

そして、今までの18年間で巡り合ったことのなかった大きな人に出会い、

『こんな人になりたいと思わせる人 = 人間力のある人』に、自分もなりたいと心底思ったそうです。

ご飯を食べるため、そして、生活の為に働くのがライス・ワークならば、目的を持って働く、生甲斐を持って働く事を、ライフ・ワークと言われました。中村氏は師匠と出会い「この人と一緒にいれば、自分の将来はつくれる」と確信し、やらねばならないことがある、と野菜の行商をする師匠のもとでライフ・ワークと言える仕事を始められます。そして、行商をやりながら沢山の方々から「あんたから買いたいんや!」と言われる人間力をつけて行き、どんどんファンを増やされていくのです。

師匠からの教えはすべて体験に基づいていた実践学だったのです。

4つの鉄板ルールについても話をされました。

師匠直伝4つの鉄板ルール

・返事は0.2秒!       ・頼まれごとは試されごと! 

・出来ない理由は言わない!  ・そのうちと言わず今出来ることをやる! 

師匠直伝の4つの鉄板ルールの一つである「返事は0.2秒!」に対しても、師匠は中村氏に次の言葉を伝えたそうです。

「返事をする前に、屁理屈を言うな。屁理屈言い続けていたら誰も人はお前のことなど憶えてくれもせん。

 自分を捨てて、覚悟しろ。返事は、Yes と はい しかないんやと。

 何も解らんでも、全てを引き受ける覚悟で、返事は0.2秒でやっていれば、お客様の心をわしづかみ出来るんやと。一生懸命やっていれば、人は、お前の事を好きになってくれんやと。

 返事は0.2秒のはいは、笑ってを発音するだけの事や。」

鉄板ルールの二つ目の「頼まれごとは試されごと!」については、お客様や何方かに、何かを頼まれた時に、次の様に思うこと;

「あなた私のこと試してるでしょう。そうやったら、予測をはるかに上回って見せますよ。

 みときや、あなたをのけぞらせますからね。」と。

高校生には、次の様に話されうそうです。

初めてデート行く時に、彼氏がピクニック行きたい。そして、手作りの弁当が食べてみたいと言われれば、その彼女はどうするか。もちろん張り切って弁当つくっちゃいますよね。

定番の玉子焼きも、甘いのがええか、砂糖無しがええかなんか考えながら、婆ちゃんや母ちゃん総動員して、思いを巡らせて、時間も徹底的に架けて弁当つくるでしょ。そして、彼氏が「めちゃうまいやん!お前、料理上手なんや。」なんかと言われれば、心の中ではガッツポーズしながら、こんなの当たり前やんみたいな顔するやろと。

こんな気持ちで、どんな人からの頼まれ事でも喜んで引き受けてやる心こそが大切なんですね。

そして、こういう心の持ち方と実践が私たちの人間力を高めて行くんですね。

今、中村氏は、「耕せにっぽん」という会社をつくり、ニートやひきこもりと呼ばれる若者たちを集めて、日本の食糧自給率や就農者の減少などなどの問題を解決すべく立ち上がり大きな活動を展開されています。

ニートやリストカットの若者の問題や食糧・農業力復活の問題を、ダブルで解決しましょうという壮大なプロジェクトです。

ニートやリストカットの子供の原因は、全て親にあった。

そういう親は、全てのベクトルが自分に向いている。

アトピーの子供のひどい食事。食事の改善をしようともしないで直ぐにきつい薬ステロイドを塗るのは、誰の為なのか。今耕せにっぽんで農業をしている若者に、とてもひどいアトピーの若者がいたそうです。

中村さんは、耕せにっぽんプロジェクトで共に生活するその若者から、アトピーのすべての薬を取り上げ、食事と生活の改善したお陰で、7か月でアトピーが完全に治った話も紹介してくださいました。

その若者は、小さい頃から全身が強烈なアトピーで、全く小学校も通ったこともない完全な登校拒否者。

小学校の4年生の新年の時に先生が書き初めをするからと家に何度もお願いに来たので書い文字は、「闇」という一文字。そして、6年生の卒業作文の題名が「絶望」。

19才の時にお母さんが自殺をされて、その時お姉さんに「お前のせいでお母さんが自殺した。」と叱責されて更に落ち込み、自殺未遂を繰り返していたその若者が、アトピーを克服し、今迄の苦しみを克服し、全てが感謝に変わった時、苦しみがネタに変えられた時に、過去が変わり、人生が変わったと言われていました。

中村氏が講演を続けて来られて12年経ちますが、この12年間で子供達に大きな変化が見られるそうです。

中学生の中に、自分の殻に閉じこもり、何にも関心を示さない人種が増え続けていいるのだそうです。

中村氏の講演中にも、一度も顔を上げずに黙っているか、規則的に指を動かし何かを無言で行っている様な生徒が沢山出現しているのです。

中村氏が今回の講演の中で、多くの大人達、親達を前に、これだけはお願いしますと言われた事が有ります。

次の言葉を、絶対に子供の前で言わないという事です。

お父さんへ  仕事から帰宅した時に、「ただいま~、あ~疲れた。あ~しんど。」と決して言わない事。

お母さんへ  炊事や洗い物などの家事をしながら、モンクを言わないこと。イヤイヤ家事をしない事。

    お父さんの事をばかにしたり悪口等を言わないこと。

上記の言葉を悪魔の言葉と言うのだそうです。

お父さんが、仕事から帰って来た時に「疲れた」とか「シンドイ」と人生を苦しみの様に表現し続ければ、子供達はどう感じるでしょうか。今、一生懸命勉強しても、色々と頑張っても、大人になって働くという事がただ、楽しくもない苦しい事なんだと心の中に擦り込まれて行くのです。

又、お母さんが父親をバカにしたり、悪口を言っていれば子供達は、どうして結婚したいと思うでしょうか。

家事や結婚して家庭を守るということにどうして喜びを見いだそうと思えるでしょうか。

上記の悪魔の言葉を毎日聴かされていくと、何をやっても将来は、楽しくない苦しみが待っているだという事が、子供達の遺伝子にまで組み込まれ行くのです。

悪魔の言葉を毎日毎日つぶやく親が多いから、仕事をしない若者が増大し続け、結婚しない人が増え続け、日本の子供達は、自分の親を尊敬出来ず、また、自分自身をも大切に思えない様になってしまうのです。

では、どうすれば良いか。

お父さんは、幾ら遅い時間に疲れて帰宅しても、先ずは、「あ~今日も楽しかった。今日は仕事でこんな楽しい事が有った。」とか、「こんな素晴らしい人に会えた。あんまりにも仕事が楽しくて楽しくて仕方ないからいから、もう一度、また今から会社に行ってこようかな。」と敢えて毎日云い続ける。

お母さんも、嬉しそうにお尻ぷりぷり振りながら、「お料理作って家族みんなに食べてもらうのは、そして、お茶碗洗うのはなんて楽しいの。」とか、スキップして掃除機かけるとか。

またまた、嘘でも良いから「あたしは、素敵なお父さんと巡り合えて、ほんまに幸せ。」

「勉強出来んでも、あなた達の様な素直で優しい子供達に恵まれてほんましあわせや。」と、云い続ける事。

そうすれば、お父さんお母さんを尊敬し、子供達も未来に希望を持って生きようとする。

そして、自分達も生まれてきてよかったと思えて、親を敬い、自分達をも敬い大切にすることが出来る様になる。そして、お父さんとお母さんの子供に生まれてきて本当に良かったと思うようになるのです、言われています。

毎日毎日、私たちがつぶやく言葉が、心の中で思い描く事が、自分の人生を、そして、子供達の人生と将来を創っているのです。それぐらいに、毎日の呟きと、心で思い描く事の影響力は計り知れない力があるのです。

中村文昭氏からのたった一つのお願いです。

子供を持つ親達へ。子供達に、仕事すること、結婚して家庭を守る事、子供を持つことに、否定的な言葉を言わないでください。嘘でも、無理してでも良いから、明るく、楽しく、朗らかに、活き活きと、仕事や人生について語ってください。そして、皆様の日常使われている言葉こそが、自分をも、そして、回りの人達をも幸せにし、世界を変えて行く力があるんだと信じて実行してくだい。 と言う事です。

まだまだお伝えしたい事はありますが、後は中村文昭さんの言葉を抜粋して紹介します。

・例えば煙草を買って来てといわれたら、全速力で走って買いに行き、その人を感動させてみよう。

・雑用にこそチャンスあり。作業を仕事に変える。仕事とは人を感動させる事。

・サービスの極意 お客さんのグラスの氷の音が、セバスチャンの鐘の音。鐘の音を聞いてから、お客様のテーブルに行くこと。

・サービスの極意 親切のレベルを上げていくと大きなお世話になるけど、それを気付かせない様に出来るようになる迄サービスについて考え尽せ。

 例えば、デートでお店に寄ったカップルの次のデートの段取りを、頼りない彼氏になり代わって知らない裡にする事や、その後を見越して自分の店のデーブルを予約席として確保しておく事。

 秘密のノートを書き続けながら冷蔵庫に入れておき、お客さんが来られた時に見る事等も。

色々、まだまだ中村さんのお話はありますが、そろそろ纏めたいと思います。

最後の纏めてして、

私たちは、何の為に働くのか、何のために活きるのか、自分自身を振り返って言うならば、

経営者として、働く事、生きるという事への思いをしっかり持ち、社員のみんなに伝えることがとても大切であり、商売をするならばお金をもうけて当たり前で、利益は社会の評価点であるとすれば、利益は大きければ大きいほど良いが、その利益を何の為に使うのか、どの様にしてこの日本を良くしたいのかを明確に語れる様にならなければならないという事を中村さんに教えて頂いたと思います。

我社を、笑顔と喜びと活気に溢れる職場にすること。

そして、日本中を、笑顔と喜びと活気に溢れる国にする為にライス・ワークではなく、ライフ・ワークを行えるようにし、更にもっと発展させて、不偏愛とも言える、笑顔の光を太陽の光の様に、日本中、世界中の皆さんに偏りなく、隈なく照らせるようなライト・ワークが出来る様になるんだと魂の底から決意して中村文昭氏講演会の感想文を締め括ります。

* * * 姫路城の歴史(23) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

姫路円卓会議発行の姫路ぶらぶらから姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

23回目は、  姫路城の歴史 中濠跡をぶ~らぶら『中濠にあった「土塁」』をお届けします。

現在、国道2号線沿いには堅固な石垣が築かれていますが、基本的に姫路城では「中濠」と「外濠」の内側は「土塁」となっており、姫路城の弱点である諸門の周囲と、船場川沿いにのみ石垣が築かれていました。

この国道2号線沿いの土塁に石垣が組まれたのは1912(大正元)で、この土塁の北側には陸軍の施設があったため、人々が安易に土塁に登れないように石垣を築いたのが始まりです。

当時の石垣は「間知石積(けんちいしづみ)」と呼ばれる簡単なものだったのですが、1988(昭和63)に行われた城周辺整備事業で、この石垣を取り除き、国道2号線沿いの土塁に、姫路城にあるような「切込接(きりこみはぎ)」風の石垣を築いたため、まるで築城当時から、ここには堅固な石垣があったような誤解を人々に与える結果となっています。

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック姫路ぶらぶら P20 から

    中濠跡をぶ~らぶら『中濠にあった「土塁」』を紹介させて頂きました。

今回は、以上です。最後までお読み頂きありがとうございます。

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2011年1月24日 (月)

森信三先生の修身教授録“立志”&姫路城の歴史(22)

最近のこの“おたまはん日和”で、二人の友人の決意について紹介させて頂きました。

わが街 姫路 を、そして、わが祖国 日本 を住みよい、そして、生まれてきてよかったと言える素晴らしい街や国にする為に、4月24日の姫路市の市会議員選挙に立候補して当選を決意した友人。

マラソンや運動についてほとんど経験もないのに、4月30日の富士五湖チャレンジ112kmの完走を宣言して新たな挑戦をすることで自分の人生を切り開いていこう決意した友人。

 二人は、共に当選する迄、そして、完走する迄、先ず決意したのが、それぞれの期日まで“断酒”するという事です。二人を応援したい私は、特に富士五湖112kmを走る友人の指導役を担う自分としても4月30日まで共に“断酒”することを決意しました。

(但し3月下旬に感謝の日として特別日を1日考えています。)

 月刊致知2月号の特集は“立志照隅”です。総リードの1ページの中で藤尾秀昭社長は、森信三先生の『修身教授録』の言葉を紹介しながら、“立志照隅”について、感動的な文章を書かれています。

その中で紹介されている森信三先生の言葉を3つ紹介させて頂きます。

<人間が志を立てるということは、いわばローソクに火を点ずるようなものです。ローソクは、火を点けられて初めて光を放つものです。同様にまた人間は、その志を立てて初めてその人の真価が現われるのです。

志を立てない人間というものは、いかに才能のある人でも、結局は酔生夢死の徒にすぎない。>

<・・・真の志とは、ニ度とない人生をどのように生きたら真にこの世に生まれてきた甲斐があるかということを考えて、心中に常に忘れぬということでしょう。結局、最後は世のため人のためにという所がなく ては真の意味で志とはいいがたい。>

<そもそも真の志とは、自分の心の奥底に潜在しつつ、常にその念頭に現われて、自己を導き、自己を激励するものでなければならぬ>

本を読んで感心したり、人から話を聞いてその時だけ感激しても、直ぐ忘れるようでは真の志ではない、ともいう。

私も友人の目標達成のために、やらないことを決意した断酒について、ただ素晴らしいと感動するのではなく、自分自身も真似してやってみるという決意をしたのです。

煙草やお酒を止めてしまうと、かなりの色々な手間が要らなくなり時間の使い方が変わってくる事は容易に想像できると思います。

また、煙草やお酒をたしなむ為に消費・消耗するエネル―ギーを、自己の心に志を立て、情熱という炎を心に燃やし、エネルギーを増大さえていくという生き方を出来れば素晴らしいと思うのです。

致知総リードの文章で藤尾社長は、次のようにも云われています。

「立志照隅」-志を立て、自分のいる場所を照らす、換言すれば、その場になくてはならぬ人になる、ということである。もっとも身近な自分のいる場とは、自分という場にほかならない。

中村天風先生の“統一箴言”の中に次の言葉があります。

・・・人の世のために何事かを創造せんと欲する心に燃えて居る。そしてかくの如くに心を燃やして居れば、いつかは、神は私に何を為すべきかを教えたまうにきまって居る。

今この時、大きな夢が何であるかを具体的に言えなくても、世のため人のために一所懸命生きるとう人間の生きるべき姿の真髄を述べている言葉とご縁を頂き感謝し感激し「立志照隅」せんと決意するのです。


* * * 姫路城の歴史(22) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

22回目は、  姫路城の歴史 中濠跡をぶ~らぶら『国道2号線は「中濠」の跡』をお届けします。

「中之門筋」の突き当たりには、現在、国道2号線が走っていますが、この道路は姫路城の中濠を埋め立てて造られたものです。この辺りの中濠が埋め立てられたのは、1912(大正元)のこと。

「市域の拡大、市制の革新、実業の振興」を掲げる堀音吉(おときち)市長は、立町筋から総社門までの中濠を埋め立てて新しい商業地としたため、市民から「堀埋吉(うめきち)」とあだ名されました。

その後、自動車の普及により近代的な道路の敷設が求められるようになったため、1932(昭和7)に姫路城南部の中濠をすべて埋め立て、そこに新国道が敷設されました。しかし当時は国道を通過する車もまばらで、「こんな広い道路が本当に必要なのか」と人々は半ばあきれ顔だったといいます。

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P20  から

     中濠跡をぶ~らぶら『国道2号線は「中濠」の跡』
     を紹介させて頂きました。


本日も最後までお読み頂きありがとうございます。

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2011年1月17日 (月)

農業統計から感じること & 姫路城の歴史(21)

当社が農業事業を行う姫路市において、農業の振興を図ろうという施策のもと、昨年より、姫路市行政の方々と農業や畜産の認定農業者が集まり会合を開催しています。

その時の会議時に、農業に関する直近の統計資料を頂きましたので、本日のおたまはん日和では、その統計の数字の一部を紹介し、我らの生命を支える食物の生産を行う農業がどの様な状況にあるのかを具体的な数字を見ながら、少し考えてみたいと思います。

統計集から3つの数字を抜粋します。

農業経営体数 農業経営体の経営面積 年齢別農業就業人口

農業経営体というのは、次の規模以上の農業者を言います。

経営耕地面積30a 露地野菜作付面積15a 施設野菜栽培面積350

果樹栽培面積10a

露地花き栽培10a 施設花き栽培面積250㎡ 農作業の受託事業    

等です。

全ての統計値は、国と兵庫県、そして、姫路市の数字を示し、平成17年度と平成22年度の比較を行って

おります。

農業経営体数の状況(単位/国:千経営体、県と市:経営体)

兵庫県

姫路市

H17年度

2,009

65,953

4,821

H22年度

1,679

▲16.4%

57,775

▲12.4%

3,699

▲23.3%

農業経営体の経営耕地面積の状況(単位/国:千ha、県と市:ha

兵庫県

姫路市

H17年度

3,693

55,723

3,267

H22年度

3,633

▲1.6%

54,168

▲2.8%

2,851

▲12.7%

年齢別農業就業人口

(人数単位 国:千人、県:百人、姫路市:人)

29歳迄

39歳迄

49歳迄

59歳迄

64歳迄

65歳以上

合計

H17年度

194

123

240

479

365

1,951

3,352

比率

5.8%

3.7%

7.2%

14.3%

10.9%

58.2%

H22年度

90

87

147

358

319

1,605

2,606

比率

3.5%

3.3%

5.6%

13.7%

12.2%

61.6%

▲22.3%

兵庫県

29歳迄

39歳迄

49歳迄

59歳迄

64歳迄

65歳以上

合計

H17年度

62

28

45

104

103

597

939

比率

6.6%

2.9%

4.8%

11.1%

11.0%

63.5%

H22年度

25

16

27

71

93

502

734

比率

3.4%

2.2%

3.7%

9.7%

12.7%

68.4%

▲21.8%

姫路市

29歳迄

39歳迄

49歳迄

59歳迄

64歳迄

65歳以上

合計

H17年度

407

141

297

591

800

4,141

6,377

比率

6.4%

2.2%

4.7%

9.3%

12.5%

64.9%

H22年度

90

59

101

318

506

3,095

4,169

比率

2.2%

1.4%

2.4%

7.6%

12.1%

74.2%

▲34.6%

の農業経営体数は、国で16.4%、市では何と23.3%も大きく減少していますが、国家レベルでは、の農業経営体の経営耕地面積は、の数字程には、減少はしていないことに、農業事業者の規模拡大が進んでいる事が伺え、少し希望が持てるのではないかと考えます。

しかしながら、私の住む姫路市については、その経営耕地面積の減少率の大きさに驚かされます。

そして、特に注目すべきは、の年齢別農業就業人口の状況です。

農業就労者の高齢化問題については、その平均年齢が65歳を越えているという事も認識していましたが、上記の様に具体的な数字で高齢化の凄まじさを見せつけられると、農業に対する大きな施策の絶対的なる必要性と緊急性を感じざるを得ません。

この数字についても、特に姫路市は高齢化の進展が群を抜いており、65歳以上の就労者比率がなんと74%にも達しています。4人に1人が65歳の方、そして、少し数字を四捨五入すると、10人に9人が60歳以上の方々となります。長寿の時代となり何歳になっても、体も心も元気に働ける方が多いといえども、私たち人間の命を支える農業に、若い人たちが、夢と希望と誇りをもって就労できる体制を整えなければならないと強く感じます。

上記の様な危機的な状況であるからこそ、日本国民が心を一つにして改革を断行する事ができるチャンスが到来しようとしていると積極的に心で受け止め動き出す機運を造りたいとも思います。

改革の為には、農地の所有や利用についての法律の大胆な、しかも早急な改正や、農業の事業化を推進する為の教育体制の整備や、農商工連携の事業者のネットワークの創造と活用強化などなどやるべき課題は枚挙にいとまがありません。

我が国は、先進国で世界的にも最低の食物自給率である上に、耕作放棄の田畑が国家レベルで増え続けています。また、財政も国家予算歳入の半分以上が借金であり、また、国家全体の借金がGDPの1.8倍に上ると云う凄まじい状況ではありますが、日本ほど自然豊かで四季があり、安全で住みやすく、勤勉な国民はないという事実を再認識して、我が国、祖国日本の国造りに励まねばならないと思います。

日本を良い国にしましょう。年初のこのブログで坂村真民先生の一日一言の元旦の詩 『願い』を紹介させて頂きましたが、本日は、月刊致知1月号で紹介されていた、同じく坂村真民先生の詩を紹介させて頂きます。

次の詩を読んで感じることは、私は、今自分の為だけはなく、ご先祖様から受け継いだこの素晴らしい日本をピカピカに磨いて後世に残していかねがならないという事です。

あとから来る者のために

田畑を耕し 種を用意しておくのだ

山を 川を 海を きれいにしておくのだ

ああ あとからくる者のために

苦労をし 我慢をし みなそれぞれの力を傾けるのだ

あとからあとから続いてくる あの可愛い者たちのために

みなそれぞれ自分にできる なにかをしてゆくのだ

* * * 姫路城の歴史(21)姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

姫路円卓会議発行の姫路ぶらぶらから姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

21回目は、  姫路城の歴史 『好色五人女「姿姫路清十郎物語」』をお届けします。

姫路で起きた但馬屋の事件は、後に様々な物語に生まれ変わりますが、やはりその骨格となったのは、井原西鶴の「好色五人女」の第一巻を飾る「姿姫路清十郎物語」です。

この物語は清十郎の故郷、室津の町から始まりまる。室津の裕福な造り酒屋の息子で、美男の聞こえ高い清十郎は、14才の頃から遊郭に通い、遊女からの文や生爪、黒髪を持て余す程の人気でした。

しかし父親から勘当された清十郎は、馴染みの遊女と心中を図るも止められ、19才で出家の身となります。

その後、清十郎はつてを頼って姫路の但馬屋久右衛門の店で懸命に働き、認められて手代にまでなります。その後、清十郎は16才になる久右衛門の妹、お夏と恋に落ちるのですが、当時、主の妹と使用人の恋など許されざる事で、思い詰めた清十郎は、お夏を連れ出し、駆け落ちを図りますが、あえなく追っ手に捕えられます。折しもその時、但馬屋では七百両の金が紛失し、清十郎は身に覚えのない罪を着せられ、投獄されます。その後、金は見つかりますが、時すでに遅く、清十郎は濡れ衣を着せられたまま処刑台の露と消えました。「清十郎殺さば、お夏も殺せ」と子供らが歌うのを聞いて、清十郎の死を知ったお夏は、狂いさまよい、夜ごとに清十郎の塚に参ったとされます。

その後、お夏は自害を図るも死に切れず、16才で尼となり、但馬屋でも例の七百両で清十郎の霊を弔ったといい、その供養塔が野里慶雲寺にある「お夏清十郎比翼塚」だと伝わっています。

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック姫路ぶらぶらの P19  から

        『好色五人女「姿姫路清十郎物語」』を紹介させて頂きました。

本日、1月17日は、阪神淡路大震災から16年目になります。

中学高校時代に芦屋市と神戸市垂水区に住んでいたこともあり、阪神淡路大震災は深く心に刻まれています。お亡くなりになられた方々の御冥福を祈り、改めて、今生きていることに大いなる感謝の気持ちを持ちたいと思います。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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2011年1月11日 (火)

友人の決意に感動する & 姫路城の歴史(20)

私の住む、姫路市では今年平成23年に4年に一度の姫路市会議員と姫路市長選挙があります。

告示日は、平成23417()で、投票日は、平成23424()です。

先日友人たちとの新年会の集まりで、親しい友人が市議会議員への立候補の決意と過去かなり前から今迄に練り上げて来た市政への熱い思いを聴かせてくれました。

その思いについての詳細はこの度は割愛させて頂きますが、私たちの住む街・姫路を良くしたい。

そして、我が国日本を明るく住みやすい国にしたいという気高い情熱を感じました。

そしてその友人は、今年の元旦から424日の当選まで酒断ちを決意し実行されていました。

彼のそのきっぱり平然と酒断ちをされている事に、夢や目標実現のための大きな鉄則とも言える『先ず初めに、しないことを決める。』を実行されているとつくづく感心と感動を頂き、また、見習わなければならいと痛感しております。

また、友人の市議会議員への思いを聴き、先月12月のおたまはん日和で紹介させて頂いた、()天風会の尾身幸次理事長の話を思い出しました。尾身理事長は、26年間通産省で働かれた後、群馬で衆議院議員に立候補され当選されその後また26年間、国政で偉大なる活躍をされました。

その尾身理事長は、衆議院議員選挙初出馬の当時、政治的な背景もなし、知名度もない、潤沢な選挙費用もない、いわゆる地盤・看板・カバン何もないという、落選確実予想でマスコミにも全く相手にもされていない状況から、何と見事トップ当選を果たされるのです。

その時、尾身理事長の心を支えてた言葉が、中村天風先生の

  「切り結ぶ達の下こそ地獄なれ、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」

だったそうです。

そして選挙中、特に言葉に注意されたそうです。

例えば一般的にプロのうぐいす嬢がよく、「苦しい戦いです。どうか皆さん、助けてください。」と行って訴える。そこを尾身氏は、「厳しい戦いです。応援してください。」と言わせ、「苦しい」とか「助けて」と云う様な、消極的な言葉は一切使わせなかったそうです。

本日のおたまはん日和では、最後に、中村天風先生が言葉というものの力を指摘された「言葉の誦句」を紹介させて頂き締め括りたいと思います。

「言葉の誦句」

私は今後かりそめにも 吾が舌に悪を語らせまい。

否 一々吾が言葉に注意しよう。

同時に今後私は 最早(もはや)自分の境遇や仕事を、消極的の言語や悲観的な言語で、批判するような言葉は使うまい。

終始 楽観と歓喜と、輝く希望と溌剌たる勇気と、平和に満ちた言葉でのみ活きよう。

そして 宇宙霊の有する無限の力をわが命に受け入れて、その無限の力で自分の人生を建設しよう。

若い彼の純粋な思いに対して、我が街・姫路、我が国・日本のために命を賭けて働いて欲しいと切に願っています。

* * * 姫路城の歴史(20) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

姫路円卓会議発行の姫路ぶらぶらから姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

20回目は、  姫路城の歴史 『お夏の生家「但馬屋跡」』をお届けします。

1659(万時まんじ2)6月某日、「札の辻」から程近い本町で米問屋を営む大店(おおたな)「但馬屋」で、暇を出された奉公人が主人を恨んで斬りつけるという事件が起こります。男の名は「清十郎」(せいじゅうろう)。その後、清十郎は牢屋に入れられ、船場川下流の一枚橋の東の河原で打ち首となりますが、その背景には主家の娘・お夏との許されない恋沙汰があったと伝えられています。

この城下で名の知れた大店で起こった事件は「清十郎ぶし」などのはやり唄にのって、あっという間に全国に広まり、やがて「お夏清十郎」の物語へと変化します。

江戸時代の終わりに刊行された「村翁夜話集」(そんおうやわしゅう)では、お夏の生家である但馬屋は姫路本町の「札の辻」から二件目で、その後、清十郎は野里慶運寺の末寺・久昌寺の裏に葬られ、お夏は小豆島に縁づいたと記されています。また戦前、その屋敷跡にあった井戸や石灯籠は但馬屋時代のものだと伝わっています。

補足)「村翁夜話集」には、「但馬屋」の場所が、札の辻から山陽道を望む、角から2軒目が但馬屋であると明確に記載されているそうです。

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック姫路ぶらぶらの P18  から

        『お夏の生家「但馬屋跡」』を紹介させて頂きました。

最後までお読み頂きありがとうございます。

 

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2011年1月 3日 (月)

新年の思い「価値ある人生に活きるために」 & 姫路城の歴史(19)

謹賀新年
旧年中は格別のお引き立てを賜り誠にありがとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
皆様のご健康とご多幸をお祈りし、新年のご挨拶を申し上げます。

平成23年新たな年を迎え、思いを新たにし、夢と希望を膨らませています。
元旦から冬らしい清らかな冷たく冷えた空気と美しい夜明けの空の中で、日頃と変わりなく早朝のランニングを楽しませて頂きました。元旦の夜明け前の6時過ぎに揖保川の土手を走っている時、一筋の流れ星を見ました。ほんの一瞬の出来事ですが、大いなるインスピレーションを感じました。

私たちは新たな年を迎えるにあたり、みんな各々が思いを新たに目標を立てたり、新たな決意をするのは、頂いた命を全うし幸せな人生に生きたいからだと思います。
我が師と仰ぐ、中村天風哲人の言葉では、「価値ある人生に活きる」という事になるではないでしょうか。人間如何に活きるかを端的に述べた 天風哲人の箴言を次に紹介させて頂きます。

「価値ある人生に活きるには 先づ人間の本質の尊さを正しく自覚することが必要である。」

本日のおたまはん日和では、天風鉄人の著書「真理のひびき」から、上記の箴言のお話を簡単に纏めながら、如何に活きるかを、如何に活きるべきかを年頭に当り見つめ直してみたいと思います。
(できる限り、天風哲人の言葉を原文のまま抜粋し纏めてみます。)

人の一生は、なんとしても一回限りのもので、絶対に二生はありません。この事実がまこと峻厳かくの如くである以上は、ほとんどの人が人生をできる限り価値高く生きたいと希望し、そう考え生きている筈です。にもかかわらず、本当に価値高い人生に活きている人というのは、数においてあまりにも少ない。と、天風哲人は言われます。
それは何ゆえかの結果からそうなるかというと、要約すれば、人間の本質の尊さを、真実自覚していないがため為だと言ってよいと思う。 以下も、天風鉄人の言葉を続けます。

多く言うまでもなく、人間には、人間がひとたび自分自身の本質の尊さというものを正しく自覚すると、「心」が自然と自己自身を気高い人生に活きるようにリードするという必然性がある。
だから、そうなるとその人は、必然的にどんなに僅かな時間でも、いつも価値ある人生に活きられることになる。

そもそも人間の本質というもんが、いかなる尊さをもっているかというと、結論的にいえば、人間というものは、厳格に論壇すれば、健康的にも運命的にも、常に幸福に恵まれるように、本来が作為されているという点に帰納される。
ところがこの尊厳なことがらを、何と、正しく自覚して日々の人生に活きている人が、
遺憾ながら極めて少ないのである。
なぜそうなるか、結論すれば、人生決定の根本基礎である「生活目標」なるものが、
万物の霊長たる真人としての理想的なものでないからである。

それでは、真人としての理想的な生活目標とは何か?

それは、解り易く言えば、自己の存在が人の世のためになるということを目標とする生活である。
この生活目標の事を天風哲人は「霊性の満足」と表現されています。

そして、大きくの人が生きる上で、世のため人のためという「霊性の満足」の目標を重視せず、次の4項目の満足を目標として、その職業や勤労などなどに努力しているために、実に人間の尊さを完全に発揮することが、断然不可能になり終わるのである。

1.本能の満足  2.感覚の満足  3.感情の満足  4.理性の満足

すなわち、霊性満足の生活を現実にするのには、日々の自己の言行をできる限り人の世のためになることだけを本位として重点とするという心がけを、自分の心とすることである。
もっと具体的にいえば、いつも真心と愛の心で、一切に対処するようにするのである。

そうすれば、どんな場合にも、ほんとうの親切と尊い思いやりという、人間の心の最高至純のものが期せずして発現してきて、それがそのまま霊性満足の生活となり、宇宙本来の目的に合致した生活となるのである。

だから、この生活を哲学的にいうと「創造の生活」ともいう。
そして、こうした生活は人間の先天的大使命たる=進化向上に順応する、という階級の高い理想生活なのである。したがって、満たされていないことから生ずる失望や落胆というものがなく、そのため煩悶苦悩という忌まわしい心理現象の発生することもまた絶対にない。
というのは、この生活目標は、何ものをも代償として求めていないからである。
であるから、少しも生命に無駄な消耗も無益な疲労もない。否、あるのはただただ歓喜と感謝の連続のみである。

価値ある人生に活きるには、いかなる場合にも「霊性の満足」を終始その生活の目標として人生に生きられんことを真人としての本領発揮のためと同時に、ひろく人の世のために熱奨する。

本日の“おたまはん日和”では、我が師と仰ぎ、その教えである心身統一法の天風哲学のとても基本的な考え方である、「霊性の満足」と、人間の先天的大使命たる=宇宙の進化向上に順応する
ために生まれて来た。という事を学び直し、天風哲学を今年一年を活きる決意としたいと存じます。



* * * 姫路城の歴史(19) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

第19回目は、 姫路城の歴史 
  中之門筋をぶ~らぶら『江戸時代の目抜き通り「札の辻」』 をお届けします。

国道2号線を目の前にした十字路は、幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)を掲げる「高札場」(こうさつば)が置かれたために「札の辻」(ふだのつじ)と呼ばれていました。

ここは西国街道(山陽道)と中之門筋が交わる当時の目抜き通りで、姫路城の表玄関ともいえるこの場所には、城下でも最も大きな商家が軒を連ねていました。特に辻の南東には江戸時代を通じて、「姫路町」の「町大年寄」を務めた「国府寺家」(こうでらけ)の広大な屋敷があり、江戸時代を通じて参勤交代の大名や幕府の巡見使(じゅんけんし)が宿泊する「本陣」に指定されていました。
以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”のP18 から

  中之門筋をぶ~らぶら『江戸時代の目抜き通り「札の辻」』を紹介させて頂きました。



本日も最後までお読み頂きありがとうございます。



最後に、私の大好きな仏教詩人 坂村真民先生の一日一言(致知出版社)から
1月1日(元旦)の詩を紹介させて頂き、本日の締め括りとさせていただきます。

『願い』
日本を
楽しい国にしよう
明るい国にしよう
国は小さいけれど
住みよい国にしよう
日本に生まれてきてよかったと
言えるような
国造りをしよう
これが二十一世紀の日本への
わたしの願いだ
       坂村真民

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