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2011年6月27日 (月)

漬けものは文化の伝承作業 & 姫路城の歴史(44)

プロ野球ウエスタンリーグ公式戦 阪神タイガース 対 オリックスバッファローズ戦が、625日と26日の両日に渡り、姫路球場で開催されました。

試合の結果は、両チーム一勝一敗のイーブンとなりました。

 この姫路でウエスタンリーグの阪神公式戦を主催するのが、姫路の活性化の一環として立ち上がった「ウエスタンリーグ公式戦実行委員会」の皆さんです。この委員会は、姫路で商工業を営む経営者が主体となり組織され運営されているもので、今年で3年目の取組となります。

 初日25日の試合終了後には、阪神タイガースの選手による少年野球教室が開催され、沢山の子供達が目を輝かせながら熱心に阪神タイガースの選手から丁寧に野球の実践の指導を受けていました。

 野球が大好きな子供達にとって、憧れのプロ野球選手に指導を受けるという事は、掛替えのない思い出となるに違いないと思います。

 私は実行員会のメンバーとして両日、朝からお手伝いをさせて頂きました。大雨と予報されていましたが両日とも天候にも恵まれ、炎天下のもと、私も真っ黒に日焼けしました。

 また、姫路城前のたまごやからも球場内の売店で出店をさせて頂き、虎巻き玉子の穴子めしや、太い玉子の厚焼きを入れた太巻き等を販売させて頂き、完売の報告と御礼を申し上げます。

 

 さて、前回のこのおたまはん日和では、我が家のらっきょのカリカリ漬けの漬け込み方をご紹介させて頂きましたが、その目的は、各家庭で漬け込む『らっきょ』や『梅干し』というのは、日本の大切な文化であり、その漬け込み方だけでなく、漬け込む作業を通して受け継がれる何か大切なものが何かあるのではないかと思い、昨年から始めた『らっきょ』の漬け方を紹介させて頂いたものです。先週の週末は、ウエスタンリーグの公式戦のお手伝いをさせて頂きながら、夜は梅干しの漬け込み作業の準備にも汗を流しました。

 今年は最高の梅と言われる南高梅をまた同じ友人の八百屋さんに10×2ケースの20kgを用意してもらいました。南高梅の緑の箱には、JAみなべいなみ サイズ2L 等級、そして、各ケースに生産者の西政雄さんと政井多喜直さんの名前がハンコで押されていました。

 梅干しの漬け込み作業で大変なのが、赤じその準備です。今回は、6kg(1kg×6)を用意しました。

赤字じその束から葉っぱだけをつみ、良く洗い水を切り、桶に入れて塩や、梅を漬け込んできて上がってくる白梅酢を振りながら56回以上繰り返しもみ込み、アクを出します。

 今回は、素晴らしい梅が準備できたこと、また漬け込む前に青い梅を大きな笊に広げてしっかり黄色くなり甘い香りが漂ってくるまで熟させた事で、柔らかいジューシーな梅干しを漬け込めると信じています。因みに母親の漬け込む梅干しの塩の量は、梅に対して13%ですが、昔は20%位の塩を使ってそうです。健康志向の為に次第に薄塩になって来たそうです。

 私は、塩味の強い梅干しが大好きで、今回岩塩を使い、塩をたっぷり使って漬け込みます。

 

 今迄経験のない方も『らっきょ』や『梅干し』の漬け込んにトライされて如何でしょうか。

インターネットで検索すれば、色々な漬け込み方の紹介があります。

 また、もし離れて住んでおられていても、お母様にご連絡を取られて、漬け込みのレシピを教えてもらっては如何でしょうか。

多分、漬物のことだけでなく、色々な話に花が咲くと思います。

 

* * * 姫路城の歴史(44) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

姫路円卓会議発行の姫路ぶらぶらから姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

44回目は、  姫路城の歴史 三の丸をぶ~らぶら『 姫路市立動物園 』をお届けします。

 姫路市立動物園は、1951(昭和26)に開園した古い動物園で、そのレトロな雰囲気からNHKの連続ドラマ「てるてる家族」のロケ地としても使われました。

この動物園は、江戸時代に大工仕事などを行った「作事所(さくじしょ)」跡で、ここは濠に囲まれた「出丸」のようになっており、「菊門」や「絵図門」といった城門もありました。

 また動物園内は姫路城の隠れた撮影ポイントで、動物を見ながら姫路城跡を巡るのもおつなものです。

 

開園時間: 9:0017:00(入園は30分前)

休園日 : 1229日~11

入場料 : 大人200円、小人30(5才から中学3年生)

問合せ : 「姫路市立動物園」電話079-284-3636

 

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック姫路ぶらぶらから

         『 姫路市立動物園』を紹介させて頂きました。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

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2011年6月20日 (月)

らっきょのカリカリ漬け & 姫路城の歴史(43)

 今この梅雨の時期は、日本の家庭の食卓には無くてはならないとも言うべき、らっきょ梅干しを漬け込む季節です。スーパーへ行くと、らっきょ梅干しを漬け込む為の色々な材料が所狭しと山積みにされています。

 私は昨年から、母親の手ほどきを受けながら、らっきょ梅干しの漬け込みを本格手に始めています。今日の「おたまはん日和」では、日本の食文化の基本とも言えるらっきょ梅干しのうち、らっきょの漬け方について、私の母親の毎年行っている、自称らっきょのカリカリ漬けのレシピをご紹介させて頂きながら、らっきょの漬け込み方を復習したいと思います。

今回ご紹介する漬けこみ方は、とても簡単で、また、漬けこんでから一年経っても、らっきょがとてもカリカリした状態が保持され、歯応え良く、美味しい為、カリカリ漬けと言っているそうです。

 私は、中央市場の八百屋さんの友人にお願いして、鳥取県東伯郡北栄町 前川商店さんの最高の『砂丘特産 洗らっきょ』10kg1kg×10)/箱が調達出来ました。この10kgらっきょを2kgずつ、5本の小さめの壷に漬けこみます。次に紹介するの2kg用のレシピです。

 

先ず、用意する材料です。

 

・らっきょ 2kg

・酢    4カップ

・氷砂糖  4カップ (私は、2.5カップ)

・塩    1/2カップ

・赤唐辛子 少々

 

 らっきょは、根や皮のついた物も販売されていますが、沢山の量を漬け込むには、その掃除が大変です。とても便利な洗らっきょがお勧めです。私の祖母は、大家族の為にらっきょを大量に漬け込んでいたそうですが、らっきょを大量に漬け込んだ後は、よく寝込んでいたと今でも話が伝わっている程、大変な作業です。(今はお陰さまで簡単になりました。)

 

(剥き)らっきょ を 2kgずつ良く水洗いして笊にいれて水切りを

 しておく。

次に、その水洗いした らっきょ をボールに入れて、熱湯をしっかり

 とつかる様に注ぎかける。

 軽く揺らして、1分程度待ち、笊に広げて水切りして、日に当て水分を

 充分飛ばす(乾かす)

出来ればホウロウの鍋に、酢と塩と氷砂糖を煮溶かして、一度さっと

 煮沸させてます。

 充分室温になるまで冷ましてから赤唐辛子の種を取り入れます。

 そして、漬け込み用の壷に事前に乾かしたらっきょを入れておき、上か

 ら一気にいま作って、冷ましておいた甘酢を注ぎかけます。

後は、しっかりと蓋をして、涼しい暗いところに保管して、約2ヶ月ほ

 ど経つと美味しい
 『らっきょのカリカリ漬け』の出来上がりです。

 

 各家庭には、代々受け継がれて来たらっきょ梅干しの漬け方もあるでしょう。

また、時代の流れで、そのレシピも少しずつ変化をしているかも知れません。

私も母親の教えるレシピから、勝手に氷砂糖を減らして漬け込みます。

また、健康志向、減塩傾向にある梅干しについては、漬け込む塩に少しこだわりながら、塩をたっぷり使用した辛めの梅干しを漬け込むようにしています。

今日は、母親に手ほどきを受けたらっきょのカリカリ漬けの方法をご紹介させて頂きながら、復習をさせていたただきました。らっきょは昨日6月19日に漬け込みましたので、8月のお盆の頃には美味しく漬かっていると思います。

 

 

* * * 姫路城の歴史(43) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

姫路円卓会議発行の姫路ぶらぶらから姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

43回目は、姫路城の歴史 三の丸をぶ~らぶら『江戸時代の「三の丸広場」』をお届けします。

 現在の「三の丸」は「三の丸広場」と呼ばれる広場となっていますが、江戸時代には数多くの建物が並んでいました。「桐一の門」から「菱の門」に向かっては「大手筋」が開かれており、その先には「新門」と呼ばれる城門が設けられていました。「大手筋」の東には「御向屋敷」と呼ばれる城主の下屋敷があり、ここには数寄屋・築山・泉水などが設けられ、城主の城内におけるくつろぎの場となっており、「御向屋敷」の北には「御用米蔵」や「上三方蔵(かみさんぼうくら)」といった倉庫があり、その東方には大工仕事などを行う「作事場(さくじば)」もありました。

 また「桐一の門」の正面には、千姫が暮らした「武蔵野御殿」があり、その北には「長屋」や「厩舎」などが建ち並び、「三の丸」西にある高台には、「本城」とか「御居城(おんきょじょう)」と呼ばれる城主の居館が置かれていました。

 

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2011年6月13日 (月)

上に立つ者の心得「貞観政要」に学ぶ & 姫路城の歴史(42)

文学博士 谷沢永一氏が、今年の三月八日に亡くなられました。

月刊致知5月号に、渡辺昇一氏が、歴史の教訓のなかで、谷沢氏への追悼の文章を書かれています。

谷沢永一氏と渡辺昇一氏は、絶好の対談相手で、対談本は実に二十冊を超えるそうです。

渡辺昇一氏が、お二人の対談本の中でも特に重要であると推薦されているのが、本日のタイトルとさせて頂いた『上に立つ者の心得「貞観政要」に学ぶ』(致知出版社)です。

早速この本を求め読んでみました。簡単に内容を掻い摘みながら学びな直してみよと思います。

先ず渡辺氏の追悼文の中で、この貞観政要についての解説文章を其のまま紹介させて頂きます。

「貞観政要」は唐の太宗と家臣との政治対談集である。主人と家来の関係で話をすれば、どうしても下の者は本当に思っていることを隠し、差し障りのないことだけを口にするものである。言ったことが主人の気分を害したりしたら、どんな災難が降りかかるか知れないのだから、そうなるのは当然だろう。だが、当時の世界に比類のない大帝国を築いた唐の太宗である。

そいうことは絶対にないことを保証し、臣下に忌憚のないところを存分に語らせ、問答をまとめたのが「貞観政要」である。

・・・中略・・・決して読みやすい本ではない。これを分りやすく読み解き、トップの心得を明確にしたのが、谷沢さんと語り合って作り、致知出版から出したこの本である。

それでは、その対談本『上に立つ者の心得「貞観政要」に学ぶ』から心に残った文章をほんの少しばかり紹介させて頂きます。

 

・太宗は、とても責任感がつよく「天災は君主に徳が足りないから」と考えていたそうです。

 今の日本の首相に、真っ先に読んでもらいたいと思いながら、自分の胸にも手を当ててしばし自己反省し考えています。

 

・「善を出せば栄え、悪を出せば滅びる」という話があり、太宗は、「徳の高さ」という物差しによって国の寿命を考えていたそうです。について臣下の魏徴の話した面白い文章がありました。

 魯の哀公(あいこう)と孔子の会話です。

 哀公 曰く、「世の中には物忘れのひどい者がいて、引越しをしたときに妻を置き忘れた者がいる。」其れを聞いて孔子は、「それよりもっとひどい者がいます。私が昔の桀紂(けっちゅう)と いう王様の行いを見ますと、これらの王様は自分自身を忘れたために身を滅ばしたのです」と。

 

 心に銘記しておきたい言葉です。

・太宗が誕生日の日に周りの者に次の様に語ったそうです。

 「今日は私の誕生日である。世間では誕生日を喜び、楽しむべき日としている。しかし、私の心では、かえって感傷の思いをするのである。自分は天下の君となり、四海の富をわがものとしているが、親の養育の恩に対してお側にいて孝養を尽くしたいと思っても今は亡く、永久にするこ とができない。昔、孔子の弟子の子路が親の死後、親のために米を背負って歩くことができなく なったことを恨んだのは、誠に理由があることである。だから『詩経』には『悲しいことに、 父母は私を生んで苦労した』と言っている。どうして本来は母が苦労した日であるのに、それを 喜んで楽しむことができようか」

 

 この文章を読み、映画解説者の淀川長治さんの言葉を思い出しました。

 『誕生日というのは、自分を生んでくれた母親に感謝してありがとうという日である。』

  私は、30歳代前半で淀川氏に誕生日は感謝する日だと教えて頂きました。

 太宗は、感謝以上に、自分を生んでくれた母親の痛み苦しみにまで思いをめぐらせている、その感情の細やかさを少しでも見習えるようになりたいと心底思いました。

この上に立つ者の心得のお二人のお話の中に、この貞観政要の精神を受け継ぎ、現実に生かしたのは日本であることも紹介されています。

威張らない、驕らない、控えめで質素を尊ぶ、といった天皇家の家風は、この貞観政要の教えであり、清和天皇の時代には、元号に貞観を冠しているそうです。

また、鎌倉幕府を建てた源氏が早々に途絶えたあと、治世の実質に就き、未曾有の国難元寇を乗り切り天下を平定した北条家や、三百年も続いた徳川家もこの貞観政要に学んでいるそうです。

織田信長も豊臣秀吉も残念ながらこの本は読んでいないのです。

この対談本は、渡辺昇一氏も、「益するものは大きいはずだ」書かれているとおり、素晴らしい対談本です。講読をお勧め致します。

 

以上、『上に立つ者の心得「貞観政要」に学ぶ』(致知出版社)を簡単に読み直してみました。

 

 

* * * 姫路城の歴史(42) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

 

姫路円卓会議発行の姫路ぶらぶらから姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

42回目は、  姫路城の歴史 『 西国将軍「池田輝政」 』 をお届けします。

 今日の姫路城を築いたのは池田輝政であると聞いても、この名前を知る人は多くありません。

池田輝政は、織田信長の乳兄弟として知られる池田信輝(恒興つねおき)の次男で、姫路城主となるまでは「照政(てるまさ)」と名乗っていました。。

 輝政の父・信輝は、若い頃から信長に仕え、信長の主だった戦には常に参陣し、1580(天正8)には尾崎城主となりました。そして、1582(天正10)に織田信長が本能寺の変で倒れると、信輝は真っ先に羽柴秀吉に合力し、輝政を秀吉の養子として差し出し、秀吉の政権下で重要な地位を確立します。しかし信輝は、1584(天正12)、秀吉が徳川家康と戦った小牧・長久手の戦いにおいて、嫡男・元助と共に討死にし、期せずして輝政が池田家の家督となります。

 その後、輝政は秀吉子飼いの武将として各地を転戦し、秀吉から豊臣姓を許されるなどの厚遇を受け、小田原征伐後には、152千石を拝領し三河の国吉田城主となります。さらに1594(文禄3)、秀吉の薦めにより、北条氏直(うじなお)に嫁いでいた徳川家康の次女・督姫を娶ることとなります。

 家康の娘婿となった輝政は、1600(慶長5)の関ヶ原の戦いまでは東軍の将として参陣し、岐阜城攻め等の功により、家康から播磨52万石を拝領し、18代姫路城主となり、名を「輝政」と改めます。

そして1603(慶長8)には家康の孫となる輝政の次男・忠継に備前国286千石、1610(慶長15)には三男・忠雄(ただかつ)に淡路洲本6万石が与えられ、合計86万石の大大名となった輝政は「西国将軍」、「西国宰相」と呼ばれ、その最盛期を迎えます。しかし程なくして輝政は、中風を病んで床に伏し、1613(慶長15)48才の若さでこの世を去ります。

豊臣と徳川の両家に縁(ゆかり)の深い輝政の死は、豊臣と徳川の両家の関係に暗い影を落とし、1615(元和元)、ついに徳川家康は大坂城を攻撃することになります。

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック姫路ぶらぶら P31 から

    『 西国将軍「池田輝政」 』 を紹介させて頂きました。

 

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2011年6月 6日 (月)

天風会一日行修会 & 姫路城の歴史(41)

『天風会一日行修会 & 姫路城の歴史(41)

 この度、明石の中崎公会堂で開催された 天風会神戸賛助会主催の 一日行修会に参加して来ました。約50名の参加者があり、参加されていた殆どの方が永年に渡り天風先生の哲人の教えである心身統一法を実践しておられる方達です。また、今回初めて参加された方も数名おられました。

私は、一日行修会は、東京で一回、そして、昨年11月に明石で参加し今回で3回目になります。

 今回の一日行修会は、朝930分に、元気なしかも厳かな朝礼からスタートし、心身統一法の坐法・養動法・安定打坐法の実践を行いました。また、天風式の体操も丁寧に教えて頂きました。

この天風式の体操は、日頃使わない筋肉(裏筋肉)に刺激を与えたり、内臓にも良い刺激を与え、血液の循環を促進して体の内部から活性化を促すものだそうです。

体操をしながらの呼吸も大切で、御指導頂いた 國分先生 の教えで天風式の体操の意味を色々と知り、早くマスターして日々の生活に取り入れたいと思っております。

 また、講義も行われました。南方先生からは「我とは何ぞや」と題して講義が行われれました。

また、森本先生からは、心身統一法にとっていかに安定打坐が大事であるかという事と、安定打坐の日々の実践について具体的に解り易くお話を頂きました。

 また、心身統一法の実践と経験談について天風会員のお二人からお話がありました。

その内のお一人は、入会が昭和32年で、心身統一法の実践歴が53年となり、現在八十数歳となられておられますが、肌は艶々で、心身共に健康そのもの、まさに明るく、朗らかに、活き活きと天風教義を日々実践して活きることの意義と素晴らしさが良くわかります。

 

 天風会神戸賛助会では、7月にメインイベントとも言われる 夏期修練会(4日間)が開催されます。この度の一日行修会は、その修練会に向けて心身統一道の基本を再確認する予備修練会的な意味もあり、参加されているベテラン会員皆様は、より一層元気に熱心に取り組んでおられる様に感じました。お陰様で、私も大いに元気を頂き、よく勉強させて頂きました。

 天風哲学は、書物を読んで考えるだけのものではなく、毎日の実践哲学であります。

朝目覚めの時から、就寝し、睡眠に入るまで、天風哲人の言葉をそのままお借りすると、信念で寝て、信念で起き、信念で一日中を活き、心を積極化させるものです。

その具体的な方法として、「観念要素の更改法」、「積極観念の養成法」、「神経反射の調整法」、そして、「安定打坐」などがあります。これから私は、本を読んで学ぶだけでなく、天風会の勉強会にも積極的に参加して、先達の皆様に導かれ、一緒になって学び、心身統一の各種方法の全部を早く理解し、実践し、また、世に広めて行けるような人間に成りたいと思っています。

 7月15日から4日間行われる 天風会神戸賛助会 夏期修練会については、次のサイトをご覧ください。 

 http://tempukai-kobe.jp/lecture.html

 森本先生から教えて頂いた 中国の明の崔後渠という人の、『六然訓』 を紹介させて頂き、この文章を締め括りたいと思います。

この六然訓は、大正十年の夏に、天風哲人が東洋のネルソンと言われている東郷元帥から紹介されたもので、それ以来、天風哲人もこの六然訓を愛し、天風教義のお話をされる時に何度も引用されていたそうです。正にこの六然訓の様な生き方をしたいものです。

自処超然(じしょちょうぜん)
処人藹然(しょじんあいぜん)
有事斬然(ゆうじざんぜん)
無事澄然(ぶじちょうぜん)
得意澹然(とくいたんぜん)
失意泰然(しついたいぜん)

解説についは、検索して見つけてたサイトから引用させて頂きます。

http://clife.info/sda-osaka/05/050502.html

自ら処すること超然(ちょうぜん)
人に処すること藹然(あいぜん)
有事のときには斬然(ざんぜん)
無事のときには澄然(ちょうぜん)
得意のときには澹然(たんぜん)
失意のときには泰然(たいぜん)

それぞれの意味は、

事に臨んで、自分に関する問題には一切とらわれない
人に接するときには春風に霞がかかっているようなのんびりとした雰囲気でいること
何か問題があるときには、きびきびと取り組む
何も問題がないときには、水のように澄み切っている
得意のときには、あっさりしている
失意のときには、ゆったりと構えている
                     ということです。


*
 * * 姫路城の歴史(41) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

姫路円卓会議発行の姫路ぶらぶらから姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

41回目は、  姫路城の歴史 『 江戸時代の大手口 』をお届けします。

江戸時代の姫路城の大手門の姿は、現在の姿とは全く異なるもので、今は何も築かれていない「内濠」の石段の上には、「桜門橋」の北にあった三層の「太鼓櫓」を始め、角々に「櫓」が上げられ、「櫓」と「櫓」の間には「西の丸」のような土塀が築かれていました。

また城の大手口は、「桜門」、「桐二の門」、「桐一の門」と呼ばれる3つの門で守られ、3門の間に2つの「枡形」を設けた究極の「枡形門」となっていました。特に一番内側に置かれた「桐の一門」は幅23.4mもある巨大な高麗門で、この門こそが内曲輪における真の表玄関となり、その左右両柱の冠木(かぶき)の飾りとして金色の桐紋が打ち付けてあった事から、この名がつけられたといいます。

また、この大手口の三つの門は、千姫が幼い頃を過ごした京都の伏見城にあったもので、1618(元和4)21代城主・本多忠政が譲り受け、ここに移築したものだと伝えられています。

この場所からは羽柴秀吉の時代の瓦などが出土していることから、その頃すでに城門があったと考えられていますが、本多忠政が城門を移築する前に、この門がどのような姿だったのかは未だにわかっていません。

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック姫路ぶらぶら P30 から

      『 江戸時代の大手口』を紹介させて頂きました。


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