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2011年7月25日 (月)

丹後ウルトラ100km完走をめざす! & 姫路城の歴史(48)

平成23918()に 第11201歴史街道丹後100kmウルトラマラソンが開催されます。

私は今迄たぶんこの大会を6回完走しておりますが、今年も参加申し込みを早々と済ませています。

 しかしながら、422日にぎっくり腰になってから、色々と言い訳をしながら未だにしっかりとしたトレーニングができていません。

そこで、724日に、この大会の完走を決意し、トレーニング計画を立て実行していく事とします。

 先ず、減量を行います。体重については、一時65kg以下をキープしていましたが、現在67kgです。

先週も一時65kgまで落としましたが、直ぐに安心して67kg以上に戻ってしまいます。

目標は、831日迄に 体重を62kg迄落とし、レース当日迄キープすることです。

段階的には、今月731日迄に、65kg迄落とし、815日迄に63kg、そして、831日迄に62kgとします。その為に、行うのがレコーディング・ダイエットです。

 これは、アラン・カー著『ダイエット・セラピー』の教えに従い、食べたものと飲んだものを刻銘に記録するものです。数年前にも行って成功しておりこの度もこのレコーディング・ダイエットを行います。

 そして、さぼってきたランニングのトレーニングは、今月まだ90kmしか走っていませんので、今月7月は、あと60㎞走り、150㎞以上走ることを目標とします。

8月は、月間の走行距離を300km以上として、内40km以上のロングランを2本入れることにしました。

9月に入ってからは、一週間に2回程の休みを入れて、日頃の朝のランニングをしながら調整する。

こんな予定でいきたいと思います。ただ、今は真夏です。炎天下での無謀なトレーニングは危険な為、ランナーにとってまさにバイブルといわれる、リディアードの『ランニング・バイブル』を紐解き、第9章の暑い日、寒い日のランニングの注意に付いて読み返してみようと思います。

 先ず、人間の体温調整機能は、実に効率よく出来ていて、気温が低い時は、体表面の血管を収縮させて熱を逃がさないようにし、気温が高い時や運動をして体が熱くなった時は、逆に体表面の血管を拡張して熱を逃がすようにする。と同時に発汗量を増やして、汗の気化作用で体表の温度を下げる。運動が激しければ、より多くの血液を体表面に送り、発汗量も増やす。そうして人間の体温は一定に保たれているのだ。しかしこの人間の体温調整機能には限界がある。

 長距離レースの終盤に感じる疲労困憊の原因のひとつとして、過度の体温の上昇が神経系に影響を与えている、つまり、熱中症が起きていることが考えられる。

 高温下での運動になれていない人がいきなり高温化で激しい運動をすると、過度の脱水と塩分不足による熱痙攣(けいれん)、脱水から脱力感を覚える熱疲労、最悪の場合には熱射病で、脳の体温調整機能に異常をきたし死にいたることもある。 

           とリディアードは書いています。

 では、暑い日のレースやトレーニングをする時には、どの様なことに注意すれば良いかというと、先ず、徐々に体を暑さに馴らしていくことだそうです。

 高温のサウナに頻繁に通い、暑さに馴れるのも一つの策の様です。

要は、暑さに体を馴化させるには、慎重に体調をチェックしながら、徐々に高温化での運動時間を伸ばしていくことである。

そうすることで、体表面の血液循環が少しずつ高温に対応できるよう改善されていくのです。 

ランニング中に気をつける事は、先ずスタートは慎重なペースを取ること。給水は、こまめな水分補給を行う事が大切で、研究者によれば、10分から15分おきに給水をするのが望ましいそうです。

また、水分でけでなく、カルシウム、マグネシウム、カリウム等の含まれているスポーツ・ドリンクを2倍に薄めて利用することをリディアードは、推奨しています。

 高体温による症状は、直腸温が40にたっしてから現われはじめる。まずはこめかみが締めつけられ、全身に悪寒が走る。直腸温が40より少しでも上昇すると、体から力が抜け、気が遠くなり平衡感覚も失われる。さらにそのまま体温が上がり続けると、発汗が止まり、意識不明となる。

などと、熱中症の症状をリディアードは、色々と書いていますが、直腸の温度を測定することも簡単に出来ないので恒に無理をせずに、地道にコツコツとトレーニングを継続して行う事だという事だと思います。リディアードは、暑い時のランニングには、水をバケツ一杯頭らかかぶって体を冷やす事で、大きな効果を発揮するとも紹介されています。

また、暑い時に体重を減らそうとして、あえて厚着をして長距離トレーニングをすることについて、リディアードは、ナンセンスだと断じています。これでは、ただ体から水分とミネラル分を抜くだけで、トレーニングの後に水分補給をすればすっかり元に戻ってしまうのだそうです。

 暑い時にも、薄着で走れば、体温が上がりにくいから、より長く、またより早く走れる。

即ちより多くの体脂肪を燃やせるのである。

もう一つ厚着をして走っている人が見落としているのが、厚着をすると必要以上に体温が上がり、体はその体温を下げる為に血液を運動筋肉から体表面に送り込むので、当然運動筋肉の効率が低下するのだそうです。心肺機能を高める為にも、出来るだけ長く走ることが第一なのだから、其れを妨げるような要因は一切取り除くべきであるとも、リディアードはつけ加えています。

夏のトレーニングも、無理せず楽しく続けて行きましょう。

 今回ご紹介させて頂いきました、リディアード著『ランニング・バイブル』は、運動生理学から、トレーニング方法、シューズやウエアの選び方、作戦の組み立て、食事について、運動障害の予防など多岐について書かれており、新しいほんとは言えませんが、現在も売れ続け、トップランナー達にも強い支持をされている素晴らしい教本だと思います。ランニングを楽しむ為にもお勧めの一冊です。

* * * 姫路城の歴史(48) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

姫路円卓会議発行の姫路ぶらぶらから姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

48回目は、  姫路城の歴史 『「千姫」の数奇な人生 』をお届けします。

21代姫路城主・本多忠政の嫡男・本多忠刻(ただとき)の妻として、1617(元和3)から1626(寛永3)

まで姫路城で暮らした9年間は、戦乱の世に生まれた女性として波乱万丈の人生を送った「千姫」にとって、最も幸せだった9年間といわれています。

 千姫は、1597(慶長2)、徳川家康の三男で後に2代将軍となる徳川秀忠と、織田信長の妹・お市の方の三女・於江(おごう)の長女で、3代将軍・徳川家光は「千姫」の実弟です。しかし千姫の誕生を知った豊臣秀吉が、家康に千姫を嫡男・秀頼の妻とするように求めたため、千姫は父母の下を離れ、伏見城にいる祖父・家康の下で養育されます。そして千姫が7才となった1603(慶長8)、大坂城に入り秀頼の妻となりますが、妻といっても名ばかりのことで、その実は豊臣家の人質だったのです。

 1615(慶長20)、大坂城が落城した際、大坂城から救い出された千姫は、江戸に向かう旅の途中で立ち寄った桑名の港で、当時、桑名藩主だった父・本多忠政に代わって立ち働く本多忠刻の姿を見て、一目で恋に落ちたと伝わります。このことをしった祖父・家康の計らいによって、1616(元和2)9月、千姫は本多忠刻の下に再嫁することとなり、1617(元和3)、忠政が姫路に転封となるに伴い姫路城にやってきたのです。その後、千姫は勝姫と幸千代(こうちよ)という2人の子を授かり、姫路城で幸せな日々を過ごしますが、1621(元和7)、長男・幸千代が夭逝(ようせい)し、さらに1626(寛永3)には夫・忠刻が31才の若さで亡くなります。姫路に留まる理由を失った千姫は、同年9月、長女・勝姫と共に姫路城を去り、江戸竹橋の邸で静かな余生を送り、1666(寛文6)、その波乱に満ちた生涯を終えました。

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック姫路ぶらぶら P35 から

        『「千姫」の数奇な人生 』を紹介させて頂きました。

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2011年7月19日 (火)

天風会 夏期修練会で「真人へのめざめ」 & 姫路城の歴史(47)

公益財団法人天風会 神戸賛助会が行う 夏期修練会 に初めて参加して参りました。

本日のおたまはん日和では、この夏期修練会の紹介と、どの様なことを学んだかを簡単に紹介させて頂きながら、修練会で学んだ天風哲人の教えについて復習してみたいと思います。

 先ず、天風会神戸賛助会の行う夏期修練会は、平成23715日から18日までの4日間、布引の滝近くの、臨済宗の徳光禅院で行われました。毎日9時から17時、そして、その後、約一時間位の補講セミナーも毎日開催され希望すればだれでも参加できます。参加者は108名おられました。

今回の夏期修練会のテーマは、「真人へのめざめ」、そして「あなたの潜()勢力を引き出そう」です。

  

 初日は、開会式の後、天風哲人の教えである「心身統一法」についての概論を、初参加の方とその他の方とに分かれ講義を頂きました。内容は、クンバハカ、養動法、安定打坐(天風式座禅法)などについてです。

 二日目からは、朝8時半から戸外にて自由参加で体操を行った後、9時から厳かに朝礼を行います。

その後、呼吸操練、統一式運動、積極体操を行います。呼吸操練は、肺や横隔膜等を刺激し、滞留している空気を入れ替え呼吸力を高めると共に、血液の循環を促します。統一式運動や積極体操は、日頃使わない筋肉をも刺激し、心身を積極化させてくれます。少し変わった体操で、この度の修練会で、体操のやり方や、体操のそれぞれの意味を丁寧に教えて頂き理解が進みました。

 あと毎日行う修練には、真理瞑想という時間があり、天風哲人がしめされた誦句をもとに、講師の先生から天風哲人の教えを、安定打坐をしながら教えて頂きます。

真理瞑想は約1時間で一日2回、そして、講師の先生から導きを受けながら、安定打座を約30分を一日2回行います。

 また、この度の驚きの教えは、観念の力の教えとその観念の力の実際の体験です。

この観念の力は、天風哲人のお言葉では、禅の言葉に「無碍自在」というものがある通り、心に何ら執着のないときの心の力が、その融通性を百パーセントにして、その可能率を向上するという事で、また、積極的精神で、しかも絶対積極の心であれば、一般的に信じられない、凄い力を発揮するということです。

例えば、実際に参加者の全員ができた事ですが、和紙を細く丸めてひも状にした柔らかいこよりをつかって、割り箸をいとも簡単に切り落とすことができました。

またテレパシーについても驚く体験をしました。数人のグループにわかれ円になり手をつなぎます。

そして、中央に適当な5つの物を置きます。一人の方が目隠しをして、ある一つのものを選び、その目隠した人が、他の人の思いだけでどれを選んだかがわかるということです。

 私も8人程のグループにわかれ、数名の方がいとも簡単に的中させていくのを実際に見て、何故か自分もできると信じ、不思議な感覚で、「あっこれだ!!」と一発で的中することが出来ました。

 実際に、天風会の熟練した大先輩がもっともっと驚くべきテレパシーの力を見せて下さいました。

 数年前に私は、曹洞宗の座禅道場に一週間こもり、朝5時から夜10時過ぎまで、只々座禅をする体験をさせて頂きました。この時は、4日目に何とも言えない「心」の状態を体験しましたが、その後座禅や、安定打坐をする時に、心のどこかで、以前体験した、その「心」の状態を探し求める気持ちがどこかにあったのだとこの度気づきました。この度の夏期修練会で、安定打坐を、大先輩の導きを頂きながらするうちに、今迄になく、自然と心が落ち着いているという事がしばしばありました。

素晴らしい体験をさせて頂いたことに感謝し、これから更に、心身統一法を実践していきたいと決意しています。

 なぜ、この心身統一法を実践するか。それは、それは、天風哲人がしめされた『甦えりの誦句』の一文にある「・・・恒に明るく朗らかに統一道を実践し、ひたむきに、人の世のために役立つ自己を完成することに 努力する」とする為だと、今、思いを強くしています。

以上、簡単ですが、この度参加させて頂い 天風会 夏期修練会 のおさらいをさせて頂きました。

 天風哲人の教えに、ご興味をもたれた方は、その実体験を綴られている 宇野千代さんの「中村天風の生きる手本」は、とてもわかりやすくお勧めです。

また、「運命を拓く」は、天風哲人の生き様が御自身のお言葉でわかりやすく書かれており、しかも、天風哲人誦句集の(一)黒表紙の全てがのっているので、私の一番の推薦です。是非、お読みください。

 

* * * 姫路城の歴史(47) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

姫路円卓会議発行の姫路ぶらぶらから姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

47回目は、  姫路城の歴史 三の丸をぶ~らぶら『お城の基礎知識「左袖」』をお届けします。

 もともと「左袖(ひだりそで)」とは鎧の左側の袖のことをいいますが、軍学上では、城内から見て左側から攻撃できるような縄張りを「左袖」と呼びます。では、なぜ左側からの攻撃が有利なのかというと、敵兵に弓や鉄砲を射かける場合、城兵は身体の左を前に出した体制となります。

そのため右側から攻撃する場合は敵に身体の前面曝(さら)すことになりますが、左側からでは敵から身を隠したで矢を射かけることができます。そのため「虎口」では、左側の石垣を出っ張らせたり、「枡形」を右折れにして、左側から攻撃を仕掛けることのできるような工夫がなされています。

姫路城では「菱の門」や「リの門」が、まさにそれで、左手に置かれた「櫓門(やぐらもん)」が敵兵を殲滅(せんめつ)しようと待ち構えています。

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック姫路ぶらぶら P34 から

                    三の丸をぶ~らぶら『お城の基礎知識「左袖」』

                                         を紹介させて頂きました。

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2011年7月11日 (月)

三人の笑うお坊さん & 姫路城の歴史(46)

『三人の笑うお坊さん & 姫路城の歴史(46)

 私の愛読するメルマガ『がんばれ社長!今日のポイント』の75日と6日の二日間に渡って「三人の笑う御坊さん」と題して、タモリこと森田一義氏と赤塚不二夫氏のとんでもない面白い話や、市民出版社から出ている新瞑想法入門-和尚の瞑想法集大成から本日の題名の通り「三人の笑うお坊さん」の話が紹介されていました。

 特に、新瞑想法入門の「三人の笑うお坊さん」の話には、大きな衝撃とも言える感銘を受けました。そして、直ぐに、この著書新瞑想法入門-和尚の瞑想法集大成を買い求め読みました。

 その著書の本分を先ず読み、事務所にいた会社の社員さん達にその約二ページの短い文章を読んでもらいました。

 そして、私は大きな声を出して、腹を抱えて笑いました。何度も、何度も。

また、街に出ました。地元の産品を販売するお店を開いている友人の店先にいって、笑いました。

友人達も一緒になって笑いだしました。

 今日は、この著書より原文をそのまま紹介致します。ほんの二ページの程の短い文章です。

メルマガの著者:武沢先生は本分を、面白く少しアレンジしてあり、更に、楽しく読めます。

この文章の最後に、メルマガ「がんばれ社長!今日のポイント」のバックナンバーのご案内をさせて頂きますので、メルマガ本分も、是非、是非お読み頂き、同時に、定期講読の申し込みもして下さい。

『死を祝う』(P332~)

 三人の僧の話を聞いた事がある。名前は知られていない。というのも、彼らは誰にも名前を言わず、どんなことにもまったく答えなかったからだ。だから、中国では、彼らはだた「三人の笑うお坊さん」として知られている。

 彼らのすることは、たったひとつ。村へ行くと、市場にたって、笑いはじめる。すぐに人びとがそれに気づき、彼らもまた腹の底から笑いだす。それから、他の人びとにも伝染していく。

群衆が集まってきて、彼らを見るだけで全員が笑いだす。いったい何が起こっているのだろう。

そうして、やがて町全体が巻き込まれてしまう。それから、彼らは別の町へ去ってゆく。彼らは

たいへん愛された。笑いが彼らの唯一の説法、唯一の伝道だった。彼らは説教することなく、ただたんに状況をつくるだけだった。

 こうして、「三人の笑う僧」は中国で有名になった。国中が彼らを愛した。敬った。こんなふうに説法する人は誰もいない。「生は笑いにほかならず、それ以外の何物でもない」。ことさら誰かを笑うのではなく、あたかも宇宙の冗談を理解したかのように笑うだけだ。彼らは一言も発することなく、実に大きな喜びを国中に広げて行った。人びとが名前を尋ねても、彼らはただ笑うだけだった。それで「三人の笑う僧」という名前になった。

 彼らも年をとり、ある村で三人のうち一人が死んだ。そして村中が大いに期待していた。期待で満ち溢れていた。少なくとも仲間の一人が死んだ今、彼らも泣かざるをえないだろう。これは一見の価値がある。なぜなら、この人たちが泣くことなど誰にも想像すらできなかったからだ。村の全員が集まってみると、二人の僧は三人目の死体の傍らに立ち、笑っていた。腹を抱えて笑っている。

「今度だけは説明してください!」と村人が頼んだ。

 そこではじめて、彼らは語った。

「この男が勝利を収めたから笑っているのだ。我々は、つね日頃、誰が一番先に死ぬのかと思っていた。この男が我々を打ち負かした。我々は、自分たちの敗北と彼の勝利を笑っている。何年も共に笑い、共に在り、互いの存在を楽しんできた。最後の見送りはこれ以外にない。ただ笑うだけだ。」

 村人は悲しんでいた。だが、死体が火葬用の薪の上に置かれたときになって、村人は冗談を言っているのがこの二人だけでないことに気づいた。死んだ三人目の僧もまた笑っているのだ。死んだ僧は仲間たちに「私の服を変えないでくれ!」と頼んでおいた。人が死んだら、服を変え、風呂に入れる

のが習わしだった。だが、彼は言った。

「風呂には入れないでくれ。不潔だったことなどはない。私の生は大いなる笑いだった。不浄が蓄積されることなどありえない。そんなものは、私のもとへ来ることすらできない。ほこりなど集めたことはない。笑いは、つねに若く、新鮮だ。だから、風呂にも入れず、服も変えないでほしい」

 そこで、彼の意志を尊重して服を変えないでおいた。体が火に置かれると、突然、彼らは気づいた。死んだ僧は、服の下に多くのものを隠しておいたのだ。そして、それから始まった・・・・・

中国花火だ! 村中がはじけるように笑い出した。そして、二人の僧が言った。

「なんて奴だ! おまえは死んで、また我々を打ち負かした。最後に笑ったのはおまえだ」

 この宇宙のジョーク全体が理解されるとき、そこには宇宙的な笑いがある。それが最高の笑いだ。

覚者(ブッダ)だけがそのように笑える。この三人の僧は、三人のブッダだったにちがいない。

原文の『死を祝う』という文章との縁を与えて頂いたメルマガがんばれ社長!今日のポイントを書かれている、武沢先生からは、これまでにも、数知れない大きな教えを頂いています。



次のサイトが、この「三人の笑うお坊さん」のバックナンバーです。

75日『がんばれ社長!今日のポイント』「三人の笑うお坊さん」
    http://www.e-comon.co.jp/magazine_show.php?magid=3599

76日『がんばれ社長!今日のポイント』「続・三人の笑うお坊さん」
    http://www.e-comon.co.jp/magazine_show.php?magid=3600



* * * 姫路城の歴史(46) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * * 

姫路円卓会議発行の姫路ぶらぶらから姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

46回目は、 姫路城の歴史 三の丸をぶ~らぶら

『 千姫の暮らした「武蔵野御殿」 』

                                               をお届けします。

 三の丸広場の南の一画には、江戸時代、将軍・徳川秀忠の長女・千姫が、その夫・本多忠刻と暮らしたと伝わる「武蔵野御殿」の跡があります。「本多家旧記」によれば、「武蔵野御殿の殿中は、全て金張りで、襖には薄(すすき)の絵が画かれていた事から、武蔵野の名があり、その筆者はわからないものの、その彩色は最も美しかった」と記されています。この建物もまた、「桐の門」同様、21代城主・本多忠政が、将軍・秀忠に請い、伏見城から移築したものと伝えられていますが、その詳細は一切わかっておらず、今は「武蔵野御殿」にあったと思われる池の護岸の石垣だけが、唯一の痕跡です。

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック姫路ぶらぶら P34 から

              三の丸をぶ~らぶら『 千姫の暮らした「武蔵野御殿」』

                                         を紹介させて頂きました。



最後までお読みいただきありがとうございます。

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2011年7月 4日 (月)

笑いと人生 & 姫路城の歴史(45)

本日のおたまはん日和では、我が師 中村天風哲人の代表的な著書で三部作ともいえる、「真人生の探究」、「研心抄」、「錬身抄」の中から、「研心抄」の一文をご紹介させて頂こうと思います。

 

 その「研心抄」の書籍概要については、天風会の公式サイトから次の文章を見つけましたので、そのままここに掲載しご案内致します。

 

「人間は心と身体の両面からもって生まれた潜在能力を100%発揮し

 てこそ、充実した幸福な人生が送れる。古来、人間の不幸の根源は心

 が迷うことにある。一体、人間の「心」とは何なのか。人間の心の正

 体を深く分析し、いかに心を統御し強くするか、そしてその強い心で

 いかに人生を乗り切るかが述べられている。中村天風の創り上げた

 「心身統一法」における精神面について詳述した書。」

この「研心抄」の最後に、『笑いと人生』と題した、天風哲人が大正1512月都内常盤松の小松輝久氏(元北白川宮第三王子、後侯爵)邸に於て、竹田宮、北白川宮、東久邇宮各内親王殿下に御進講申し上げた際の原稿の抜粋である、と、但し書きのある短い文章があります。

 笑いが人生に如何に大切さかを簡潔に書かれていますので、私なりに纏め直し、肝に銘じておこうと思います。

 現代漸く笑いというものが健康に大きな影響を及ぼし、笑いが医薬以上の効果を発揮するということが、色々なところで証明されていますが、まだ大正の時代に既に、中村天風哲人は、次の言葉を文章の中で喝破されています。

 

『実際、たのしい、面白い、嬉しい、という観念が心の中に生じた時程、

 朗らかな活きがいを人生に感じる事はない。

 そして、それがどんなに健康にも運命的にも直接間接顕著な効果を与え

 るか判らない。という事に想到する時、より一層の貴い価値を感じる。

 然り、恐らくどんな名医名薬と雖(いえども)も、この観念以上の効果は

 絶対にないと、私は私の長年の経験で断言する。

 多く言うまでもなく、人生は畢竟(ひっきょう)「心」である。「観念」

 である。』

 中村天風哲人の、心身統一の教えは、心を絶えず積極的に持ち、感謝と歓喜の念をもって万事に接しなさいという事であり、また心の持ち方、言い換えれば、幸せであるか不幸せであるかという人生の根本的な心のあり方や態度も、所詮結局は、その心の持ち方一つで決定されてしまうのです。

 天風哲人は言われます。

『平素人生に生きる刹那々々(せつなせつな)、勉めて明るく朗らかに、

 活々として勇ましく活きる努力を敢行すべきである。と同時に、この

 意味に於て私は、大いに「笑い」という事を礼讃する。

 否、大いに推奨する。』

 

天風哲人の素晴らしい言葉をもっと抜粋して紹介させて頂きます。

『そもそも笑いは、生きる全ての生物の中で独り吾等人間にのみ附与さ

 れている特殊な作用である。造物主が人間にのみ与えてくれた特権だ

 と言わねばならない。従ってこれを本当に応用せず、また使わないで

 人生に生きるというのは、寧(むし)ろ余りにも馬鹿気た話だと言わね

 ばならない。』

『全く笑顔は万言に優るインターナショナル・サインである。』

『そも笑いなるものは、その苦しみや悩みに疲れる心や体を、程よくこ

 れを以て調和せよという造物主の天意を以って、人間に与えられたも

 のに他ならない。』

『何れにしても、笑いは無上の強壮剤である、また、開運剤である。

 事実に於て、ニコニコ笑顔の人の傍らにいる時と、難かしい顰(しか)

 めつらをしている人の傍らにいる時と、その何れが心持がよいかであ

 る。笑顔の人の傍らにいると、何となくチャームされ、多少の煩悶や

 苦労があっても忘れ得る。』

 

 この、言葉のように笑顔でいるだけで、人様の心に安心を与える事ができる事は皆だれしも知るところでしょう。

 また、天風哲人は、笑い(へそ)”についての関係を医学的に分りやすく説明されています。は、人間が人としてこの世に生れて来る一大恩人であり、胎内にいる十カ月という期間「臍」を通じて母体から必要な栄養を受入れ、また、老廃物を排泄し、発育成長したのである。

そして、笑うということは、その笑いに伴って必然的に生ずるこの臍の動揺が頗(すこぶ)る良好な効果を肉体生命に波及するのである。即ちが動くにつれ、臍を中心とした背中へ通じている腹筋を通じて、脳髄に良好な再反射作用を誘致し、その結果全神経系統の昂奮を鎮静する・・・。

等々とありますが、ここでは長くなるのでこれ以上は割愛します。

 

 西洋の諺に『和やかな笑顔の漂う処に、運命の女神は、その慈愛の手を差し伸べる』というのがあります。この諺にある通り、そして、これまでに紹介させて頂いた天風哲人の言葉の通り、燦爛たる人生に生きる為に、皆が一緒になって、笑いを礼讃し、笑いを推奨し、笑いを日々の生活で実践しましょう。

 当社では、2010925日に、常に笑顔でいなければならいという『笑顔条例』を定め、20101115日から、毎朝朝礼で、大声で腹から笑う大笑いを実践しています。

 

 最後にまた天風哲人の言葉を紹介して締め括ります。

『要は習慣である。殊に笑うということは、人間のみに特別に賦与

 されたことであるだけに、極めて容易に習慣づけられるものである。

 終始一貫笑顔で睦まじく暮らすのが、最も正しい人生生活だと気づ

 くであろう。』

  

本日ご紹介させて頂いた「研心抄」は、稲盛和夫氏も何度も何度も読んで人生を研究されたそうです。

是非、お読み頂くことを推奨させて頂きます。

 

 

* * * 姫路城の歴史(45) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

姫路円卓会議発行の姫路ぶらぶらから姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

45回目は、  姫路城の歴史 三の丸をぶ~らぶら『 姫路城の櫓・門・土塀 』をお届けします。

 姫路城といえば、この白亜の天守ばかりに注目してしまいがちですが、姫路城には日本で最も最多となる27棟の「櫓」と15棟の「城門」、32棟の「土塀」が現存しており、この74棟の全てが重要文化財に指定されています。江戸時代には、姫路城全体で100を超える「櫓」と84の「城門」があり、ほとんどの石垣の上に「土塀」が引き廻されていました。

こうした建造物は、すべて姫路城の天守に向かう敵を殲滅するための仕掛けで、矢玉が飛び交う城内で敵兵がどのような行動をとるかを見極め、混乱が生じたところい集中した攻撃を加えるような縄張りが施されています。

 みなさまも姫路城を登場する際には、ひたすら天守を目指すのではなく、姫路城を攻める敵兵の気持ちになって、「門」や「櫓」、「土塀」などを眺めてみて下さい。

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック姫路ぶらぶら P33  から

    三の丸をぶ~らぶら『 姫路城の櫓・門・土塀』を紹介させて頂きました。

 

最後までお読みいただきありがとうございます

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