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2011年8月29日 (月)

幸せに生きるための祈りと魂の働き & 姫路城の歴史(53)

本日のおたまはん日和では、人間学を学ぶ月刊誌致知8月号から「命のメッセージ」という連載・第36回「幸せに生きるための祈りと魂の働き」を取り上げて、私たちの生命と、その根源の魂について学び、そして、祈りについて考えてみたいと思います。

 

今回のこの連載は、筑波大学名誉教授 村上和雄氏が、京都府立医科大学の棚次正和教授との対談です。棚次教授は、医科大学で宗教学と倫理学、そして、医療倫理学について教鞭を取られています。そして、棚次教授は、「日本で唯一祈りについて」研究をされておられる方です。

 

村上和雄氏が、最初に祈りに興味を持ったきっかけは、学生時代の恩師である京大総長平澤興先生から「医学は祈りである」という言葉を聞いたことからです。よく勉強していない医者や学者は分ったことだけで物事を綴りたがると言う様な言葉も紹介されています。

この様な前提があって最近になってアメリカで医療革命が起こっていることを知られたそうです。

とにかく西洋医学だけでは限界で、鍼灸やマッサージ、アロマ、瞑想などを治療に取り入れている人が急増しており、その治療の一つに「祈り」があるのです。その米国の「祈り」の研究の中で、東海岸から西海岸にいる患者さんを祈るという実験報告をされています。

 

その内容というのは、西海岸にいる患者さんやドクターたちには一切伝えず、東海岸から多くの人々が祈った。この場合は宗教は特定していません。その結果、明らかに効果が出たという事です。

 

棚次教授は、スピリチュアルという言葉は、人間の核心部分を表す事であり、この「スピリット」は日本語で「霊」、「精神」、「魂」などと訳されますが、いま、この「魂」と「心」の定義が混同していると次の様に説明されています。

 

「心」とは外の刺激によってコロコロと変わるもので、そのコロコロが「心」の語源であるとか言われるように、心はとにかく一日何百かいと変わるものであり、その絶えず動いている心の奥に、どんなに外界の刺激を受けても変わらない存在、それが「魂」 なのです。

「心身ともに」といわれますが、その相関関係の根底で働いているもの、要するに命の根源が「魂」であると。

 

私たちの体は宇宙からの借り物で、私たちの体はすべて酸素、炭素、水素などの元素から成り立っていて、それらはすべて地球上の元素から出来ています。そして時期が来たら、命を終えこの体をお返しする。死後、私たちの体の炭素は炭酸ガスになって、千の風になって地球上を吹きまわり、光合成によって植物の栄養として育成に利用される。まさにこれぞ輪廻転生だと。

 

ただ、個体が死んでも残る存在がある。それが魂であり、真の私であり、この個体の借り主ではないかと村上氏は言われます。この死と魂、そして心と魂、これは人類の大問題、根本問題で重要なことであるのに、科学の世界で誰も本気で研究した人はいなかった。

 

それが、村上氏は、故・河合隼雄さんに「心と遺伝子も面白いが、もっと面白いテーマがある。それは、魂と遺伝子だ 」と言われながら、このテーマの研究は無理だと思って踏み込まなかったそうですが、昨年に村上氏が脳梗塞で倒れた時に死がリアルに迫ってきた時、魂という存在を感じ、真剣に研究に取り組まれることになったのだそうです。

 

村上氏は、河合隼雄さんの著書からネイティブ・アメリカンの人達が非常に宗教的でスピリチュアルだったという話を紹介されています。 

 

どんな宗教を信じているのか?という問いに対して、彼らには宗教という言葉を無いそうです。

生活がそのものが祈りであり宗教なんです。

 

いま定義されている「宗教」は、解釈が狭く、特定の教祖がいて、その教祖が何を説いて、それを信仰する集団がいて、教えてに基づいて儀礼を行う。そのような宗教学の概念で捉えられない宗教的なものが人類誕生以来の大昔からあったわけですね。

生活即祈り、生活即宗教、宗教が誕生する前から人類は、祈っていたという事です。これが人間の根源的な姿かもしれません。

 

日本も昔は太陽を拝み、山の神、海の神を祀り、五穀豊穣を祈って生活していました。

村上氏は、祈りについて天皇陛下のことを紹介されています。

明治天皇の玄孫竹田恒泰さんの言葉として、天皇陛下の最大の務めは祈ることで、特に今回の東北大震災のような災害が日本に起こった時は、命がけの祈りをされているんだそうです。

 

東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下の平成23316日のお言葉が、宮内庁のHPでみることができます。私は、この映像を通して、陛下のお言葉を聞くことで、何とも言えない魂の安らぎとでもいう様なものを感じ、感動しました。 是非、ご覧ください。

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/tohokujishin-h230316-mov.html#h01

 

日本人は、天皇陛下が一体何をされているか、一番大切なお務めについては何も知らないですね。

今年は皇紀2671年ですが、そんない長い間、日本のため、世界のために祈っている方が存在している国は他にありません。そういう天皇陛下をいただいていることからして「祈り」は、日本の文化の特徴といっていいのではないかと思うと、村上氏は言われています。

 

棚次氏は、「祈り」には、宗教的な祈りとは別の「いのり」があり、その「いのり」は祈りの言語を考えると分りやすいと、次の様に表現されています。

 

「い」は「命」を意味し、「のり」は祝詞(のりと)や詔(みことのり)と同義で「宣言する」ということで、「生きていることをはっきりと自覚して生きる」ということが祈りであると。

これはどの宗教にも包含されていて、自我を超越した祈りで、それこそ、自分と他人、あるいは人間と自然といった区別が消えてしまうような、すべては命というもので繋がっていることを実感できるような心の状態。それが「祈り」であると。

 

私たちが生まれた生命の根源に帰るというか、その存在に気づく。それが「いのり」という状態であり、そして、命の根源と自分は繋がっているという実感を得ることがいまに生きる私たちには大切なことではないでしょうかという事です。

 

本日のテーマは、余りには壮大で、もう少し学んでみようと思います。

今年平成234月に村上和雄氏が「人を幸せにする遺伝子と魂の法則」という題名の著書を致知出版から出されています。次回のおたまはん日和では、この著書を読み、学びを深めます。

 

 

* * * 姫路城の歴史(53) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

 

姫路円卓会議発行の姫路ぶらぶらから姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

50回目は、  姫路城の歴史 『 本城を狙う無数の「狭間」 』 をお届けします。

「本城跡」の北には、姫路城の「西の丸」を守るための高い石垣が築かれ、その西隅には「ワの櫓」、東隅には「力の櫓」が上げられています。そして櫓と櫓の間にある「土塀」には無数の「狭間」や「石落とし」が備えらえており、本城側から石垣を越えて侵入しようとする敵を殲滅しようと待ち構えています。

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック姫路ぶらぶら P39 から

     『 本城を狙う無数の「狭間」 』を紹介させて頂きました。

 

 

本日も、最後までお読み頂きありがとうございます。

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2011年8月22日 (月)

“おじいちゃん 戦争のことを教えて”(3) & 姫路城の歴史(52)

本日は、中條高徳氏の著書おじいちゃん 戦争のことを教えてを読み返えすシリーズの最終回として、戦後の日本の歩みについて、特に東京裁判と、アメリカの押しつけといわれる日本国憲法制定等にについて、中條高徳氏の歴史観を通して学び直してみようと思います。

 

先ず、お孫娘さんの質問:

 『終戦後、日本の戦争犯罪を裁く極東軍事(東京)裁判が行われました。

        おじいちゃんはこの極東軍事裁判をどう考えますか。』

 

に対する中條高徳氏の答えから読み直してみます。

中條高徳氏は、お孫さんの質問に対して、次の様に強い論調で断言されています。

「二十世紀の世界はいろいろな過ちを犯してきた。そのなかでも東京
 裁判は最大級の過ちであり、汚点である。東京裁判を明確に否定し
 なければ、日本の将来に暗い影を投げ、支障をきたすことになる。

 東京裁判はどういう裁判なのか。戦争に勝ったというだけで、勝者
 が敗者を思いのままに断罪した。それが東京裁判である。近代法の
 精神に根本的に反している。ここに東京裁判の過ちの基本がある。」

 

 

戦争に勝ったからといって、勝者が敗者を裁く資格がないことは、国際法で決められている。なのに、なぜ東京裁判は行われたのか。裁判の成り立ちと経過から見て、次の様に断言して間違いはないと、再度、中條氏は厳しく述べられています。

 

「東京裁判はアメリカをはじめとする連合国側が、自分たちが戦争を
 したのは正当であるとアピールするために仕組んだショーである。
 正当であることを際立たせるために、悪が必要である。何が正で何が
 悪かを決めるには、公平で客観的な手続きが必要であるが、東京裁判
 こそは、一見公平であり客観的であるかのように装うために、裁判と
 いう近代的な形式を取ったのだ。

 そして二年半かけて審理することにより、公平で客観的な審理を尽
 くしたように宣伝するだけではなく、この二年半という期間は、自分
 たちが正であり日本が悪であることを世界、ことに日本に向かってア
 ピールし、浸透させる必要な時間だったのだ。

 東京裁判は、公平さや客観性とはほど遠いものであったのだ。
 裁判で裁くには法律が必要である。ところが、この東京裁判の根拠と
 なった法律「平和に対する罪」は事後法なのである。事後法というの
 は、近代法の精神が厳しく戒める、とんでもない法律なのである。後
 で法律をつくり、以前に行ったことを裁く、これが事後法だ。」

 

 

中條氏はこの事後法を解り易く説明されています。もしも仮に、煙草を吸うことを禁止する禁煙法という法律ができたとします。事後法とは、その禁煙法ができる前に煙草を吸っていたものを禁煙法により処罰するというものです。

アメリカ・連合国は、戦時中にはなかった「平和に対する罪」をいう法律を突如つくって、過去にさかのぼって戦争中の日本を裁いたのです。東京裁判のすべては否定されなければならないのです。

本来、戦争犯罪を判断するには、国際条約と言える『陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約』、通称、『ハーグ陸戦協定』をもとに判断されなければならない筈なのです。

このハーグ陸戦協定をもとに、先の大戦について述べられた、解りやすいサイトを見つけましたので紹介させて頂きます。宜しければ、参考にお読みください。

【知らされなかった日本】
http://daikichi1966.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/2_122f.html

また、中條氏も著書のなかで、東京裁判を客観的に見る為に次の著書を推薦されています。

冨士信夫著『私の見た東京裁判』上・下(講談社学術文庫)2冊で千ページを超える大作です。)

私も、この著書を買い求め、少し読んでみましたが、歪んだ裁判の内容に愕然とさせられました。

 東京裁判では十一人の判事が出て審理に当たりましたが、その一人にインド人(有色人種)のラダビノード・パール博士がおられます。パール博士は、当時カルカッタ大学の副総長をつとめ、また、後に国連の国際法委員長としても活躍された国際法の権威です。

 

 

中條氏はそのパール博士の次の言葉を引用されていますのでここに紹介させて頂きます。

「東京裁判は、裁判の名を借りた復讐であり、占領政策のプロパガンダ
 にすぎない。真の平和と人道を確立する絶好の機会でありながら、そ
 れをなさず、法的根拠もないのに日本を侵略者と決めつけ、多数の個
 人を処刑することは、二十世紀文明の恥辱である。後世の歴史家は、
 必ずこれを再審するであろう。」

 東京裁判を全否定したこのパール判事の著書に「平和の宣言」があります。その著書からも私は、パール判事の次の言葉を紹介させて頂きます。

「私が日本に同情ある判決をくだしたというのは、大きな誤解である。
 私は日本の同情者として判決したのでもなく、また日本の反対者と
 して裁判したのでもない。真実を真実として認めて、正しき法を適
 用したまでである。それ以上のものでも、それ以下のものでもない。」

 

 

 このパール判事の主張は、純粋に法の正義のためになされたものであることは、いまでは世界の国際法学会の通説になっているのです。

ではなぜ、法律を冒涜し、国際法を犯してまで、アメリカは東京裁判を強行したのでしょうか。

このことについても中條氏は、多くのページを割いて語られています。

アメリアは日本に対して、精神的「カルタゴの平和」を目指したのです。

世界史に出て来る「カルタゴの平和」について、中條氏は次の様に簡単に紹介されています。

 カルタゴは商業貿易を得意とするフェニキア人の植民地で、紀元前二世紀ごろ、大いに繁栄した。その繁栄ぶりはいまの経済大国日本の比ではない。世界中の金銀をかき集めた大金持ちの国と思えばいいだろう。カルタゴは地中海の海上権を掌握する勢いをもっていた。このカルタゴとローマの間にシチリア島の支配をめぐって争いが生じたのがきっかけで、戦争になった。ポエニ戦争である。カルタゴは、ローマにポエニ戦争で2回に渡り大敗北したものの、得意の商業貿易を武器に、息を吹き返し、またしても大きな経済発展を遂げる。しかし、カルタゴは、2回目の敗戦でローマから武力を持つ事を大きく制約される。3回目のポエニ戦争で完全な勝利をおさめたローマは、カルタゴがあるからローマの平和が脅かされるであり、カルタゴを根絶やしにするのが一番いいと考え、ローマは、カルタゴを徹底的に破壊し、焼き尽くし、女性から子供に至るまで皆殺しにして、カルタゴを地上から抹殺するのです。そして、ローマは平和を享受することができたのです。

これを「カルタゴの平和」と言います。

 1945年といえば既に、第二次大戦で大勝利をおさめたアメリカが、ローマがカルタゴに行った様に、日本に対して同様に徹底的な破壊や女性から子供までをも皆殺しする事が許される時代ではありませんでした。

どうすればいいのか。

日本人の精神を破壊し、骨抜きにするのがいい。つまり精神的「カルタゴの平和」を行ったのです。

そのために東京裁判というショーが行われたのです。

アメリカが日本を占領するにあたり、日本国民に「戦争贖罪意識」をたたき込むために「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」と呼ぶ綿密な手を打ちました。

 日本国憲法の制定にも触れておかねばなりません。

日本国憲法は、1947(昭和22)53日に制定されものです。

前々回、前回の文章の中でも、強調させて頂いたことですが、戦後の7年間日本には主権がありませんでした。主権が無いということは、日本という国が存在しなかったという事なのです。

 日本国憲法制定の実に巧妙な流れを簡単に振り返りますと、アメリカ(GHQ)は、先ず日本側に憲法作りのために、松本氏を委員長とする「7人委員会」をつくり素案をつくらせます。そして、その素案ができた途端、直ちにその素案をキャンセルするのです。これは、日本人にも関わらせたプロセスだけを必要としたのであろう事は容易に想像できます。

その後、GHQの要員であったケーディス大佐を中心とする24名により、6日間で日本国憲法を仕上げさせるのです。

 そして、陸戦法規条約43条をクリアするために、マッカーサー元帥はこのデーディス案を国会にかけろと幣原(しではら)首相に迫り、その上、この経過は一切知らせてはならないと報道管理を命じ制定させるのです。

占領下の国会は言論の自由が全くなかったことも忘れてはなりません。

これが、中條氏が月刊致知20115月号で説明されていた占領下の憲法制定の流れです。

 そして、勝ち組占領軍がつくった憲法を、その内容を一行も修正することなく、唯々諾々と受け取り半世紀以上受け継いでいるのです。

 繰り返しになりますが、精神的「カルタゴの平和」によって、日本は過去に悪いことばかりしてきたのだという考えが蔓延し、日本人の精神は骨抜きになって、日本人であることに一片の誇りも持てなくなってしまいました。端的に言えば、これが戦後の日本人の精神状況です。

 しかし、誇りをまったくなしには生きられない為に、精神文明ではなく、それよりも物質文明が繁栄と幸福をもたらすものだと考えるようになります。

 色々な形で、特に映画などを通して日本に伝わってくる、アメリカの物質文明、車や家電製品の圧倒的な豊かさが、それを証明するものだったのです。

 日本は戦後、日本人の特性であり世界的な優位性でもある勤勉性を発揮し、経済・物質大国のアメリカを目標に高度経済成長の道を歩むことになります。

 豊かな物に溢れたアメリカン・ライフ。それは、経済成長に日本人を駆り立てる原動力になりましたが、精神的には日本人を腑抜け・骨抜きにしたと言えるのでしょう。

 精神的カルタゴにのっとってGHQが進める3S戦略がそれに拍車をかけるのです。3Sとは、スクリーン(映画)、セックス、スポーツの事です。

 今迄、時間をかけて中條氏の歴史観を通して、戦後の日本を見つめてきましたが、「カルタゴの平和」政策で、腑抜け・骨抜きにされた我ら日本人は、これからどう活きて行けばよいのでしょうか。中條氏は、どの様に私たちを導こうとされているのかを簡単に纏めてこの3回のシリーズを纏め締め括りたいと思います。

 

中條高徳氏は語ります。

「いま日本人は、意識的か無意識的かはともかく、あることに気づき
 はじめているのではないだろうか。あることとは物の空しさの
 ことである。経済力を盛んにして物質的に豊かになることは、人間
 としての誇りには少しも結び付かない。

 「二十一世紀は心の時代だ」といわれるようになりましたが、その
 「心」とは、どんな概念も持ったものなのかを明確にしなければな
 らない。 

 それは、日本人としての心、日本の心だ。長い歴史のなかで積み重
 ね、伝統とともに培い、文化を育てた日本人の「心」である。自然
 を敬い、畏れ、あがめる。そこから出てくる感謝の念、敬虔で謙虚
 な心持ち、和を尊ぶあり方。それが土台にな って培われる規範、
 礼節、道徳。そういうトータルなものが日本人の「心」である。」

と中條氏は表現されています。

 

 二十一世紀は、その心がしっかりと根づいている時代にしなければならない。

 そして、中條氏がこれからやるべきこととして次の様に明言されています。

 『それは「日の丸」を心の底から誇りを以って掲揚できる日本人、

  「君が代」を喜びをもって歌える日本人を、一人でも増やして

  いくことだ。国を愛する気持ちを無意識にも胸の奥底にもって

  いるような日本人を一人でも増やしていくことだ。そのために

  は、日本人を日本人たらしめている精神、日本人の心について

  語り続けなければならないと思っている。』

 

 

 今迄3回にわたり、中條高徳氏の著書おじいちゃん 戦争のことを教えてについて振り返り学ばせて頂きました。私の拙い文章のため、中條高徳氏の本当の気持ちが正確に伝わったどうかわかりません。まだ、本書をお読み出ないか方は、是非、本を手に取られてお読みになることをお勧め致します。

 私は、勉強不足な歴史も何も知らない浅学の身ながら、こうして、ブログに中條氏の歴史観を書き綴るということで、沢山のことを学ばせて頂きました。

 先の大戦は如何なる戦争であったのかや、敗戦、そしてその後の間接統治という巧みな占領政策、戦後の歩んできた日本の道についてなど、自分の子供に対して少しは話せるようになったのではないかと思います。そして、これから、もっともっと我が国の歴史を学び、日本人として如何に活きるかを考え、誇りをもって「日の丸」を掲揚し、国家「君が代」を喜びをもって歌える国づくりに、微力ではありますが、私も大いに励んでいきたいと思います。

 

 

 最後に皆様に見て頂きたい映画をご紹介させて頂きます。

題名は『凛として愛』です。おじいちゃん戦争のことを教えてで学んだ正しい歴史が解り易い素晴らしい映画で見ることができます。youtubeで七つに分かれてweb上にアップされていますます。

それぞれ順番に7本のyoutubeをご覧ください。 是非、是非、ご覧ください。

『凛として愛』

 http://www.youtube.com/watch?v=Hpz5rFqI7jA

 http://www.youtube.com/watch?v=shv750vHcIU

 http://www.youtube.com/watch?v=vQOQm52iAnk

 http://www.youtube.com/watch?v=MjhR4NvXiEs

 http://www.youtube.com/watch?v=kTP3t4cdL3Q

 http://www.youtube.com/watch?v=mWMcs7Cv9f4

 http://www.youtube.com/watch?v=Cx5Wyl8C8YI

長い間のおつき合いありがとうございます。感謝申し上げます。

 

 

* * * 姫路城の歴史(52) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

姫路円卓会議発行の姫路ぶらぶらから姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

50回目は、  姫路城の歴史 『 十四丘ものがたり 』をお届けします。

 現在、姫路城が建つ「姫山」の名前の由来について、奈良時代に編纂された「播磨国風土記」に次のような話が記されています。

 「遠い昔、このあたりがまだ瀬戸内海の一部だった頃の話です。
  このあたりの大神様であった大己貴命(おおなむちのみおこと)
  息子・火明命(ほあかりのみこと) は、強情でたいへんな乱暴者
  でした。そんな中、父神の大己貴命は息子の性格がなおらないこ
  とを悩み、ついに息子を捨ててしまおうと決意しました。ある日
  大己貴命は息子の火明命と船に乗り、海へ漕ぎだしました。

  そして船が因達神山(いだてのかみやま)(今の八丈岩山)にさし
  かかると、大己貴命は火明命に、水を汲んできて欲しいと頼み、
  火明命がその山へ水を汲みに行っている間に、大己貴命は急いで
  船を出してしまいます。父神にだまされ、置き去りにされたこと
  に気づいた火明命は怒りによって、それまで穏やかだった海は荒
  れ狂い、大己貴命の船は、あっという間に沈んでしまいます。

  そして大波がおこったところは波丘(今の名古山)、船が沈んだと
  ころは船丘(今の景福治山)と名づけられ、船に積んでいた荷物が
  落ちたところにも、それぞれに名前がつきました。

  琴が落ちたところは琴神丘(今の薬師山)、筥(はこ)が落ちたとこ
  ろは筥丘(今の男山)、梳匣(くしげ)が落ちたところは匣丘(くしげ
  のおか)(今の鬢櫛山(びんくしやま))、箕が落ちたところは箕形丘
  (みかたおか)(今の秩父山)、甕(かめ)がおちたところは甕丘(みか
  おか)(今の神子岡(みこおか))稲が落ちたところは稲牟礼丘(いな
  むれおか)(今の青山稲岡)、兜が落ちたところが冑丘(今の冑山)
  石が落ちたところは沈石丘(いかりおか)(不詳)、綱が落ちたとこ
  ろは藤丘(今の二階町あたり)、鹿が落ちたところは鹿丘(不詳)
  犬が落ちたところは犬丘(不詳)、蚕子(ひめこ)が落ちたところは
  日女道丘(ひめじおか)と名付けられました。」

「日女道丘」は、「姫道山(ひめじやま)」・「姫路山」と変わり、やがて「姫山」と呼ばれるようになります。

 

 

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック姫路ぶらぶら P38 から

       『 十四丘ものがたり 』 を紹介させて頂きました。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。 

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2011年8月15日 (月)

“おじいちゃん 戦争のことを教えて”(2) & 姫路城の歴史(51)

 今日は815日、終戦(敗戦)の日です。前回も書きましたが、敗戦についての中條氏の言葉を改めて紹介させて頂きます。

 

 忘れてはならいのは、日本は、連合国軍側が発したポツダム宣言を受諾し、無条件降伏したということです。92日に東京湾に浮かぶ米国戦艦ミズーリ号の艦上で降伏文章に調印が行われ、日本は完全にアメリカをはじめとする連合国側の占領下に入ったのです。つまりこの時から日本は独立した主権国家でなくなり、1952428日のサンフランシスコ対日講和条約が調印されるまで約7年間、主権がなかった、言い換えれば、日本という国が存在しなかったということです。

 今回のおたまはん日和では、前回に引き続き 致知出版社から発行されている中條高徳著おじいちゃん戦争のことを教えてを読み返していきながら、孫娘さんからの戦争やこの時代のことについての質問に対して、中條高徳氏が、孫娘さんとアメリカの先生や学生達におじいちゃんとして語った戦争の真実を見つめ直してみようと思います。

 中條氏は昭和2(1927)に、長野県更埴市で生まれ育ちます。この当時は、1923年に関東大震災があり10万人以上の方がなくなり、東京は壊滅状態になります。また、1927年には震災の為に流通が困難になった銀行所有の手形を日銀が再割引し、政府が補償する震災手形の取り付け騒ぎで、有力な銀行や会社の倒産が相次ぎ、それに追い打ちをかけるように、1929年にはブラックマンデーというN.Y.株式の暴落から世界恐慌へ拡大し、さらに日本の経済は困窮状態に陥っていたのです。

 この様な時代背景の中で、1931年に日本が満州に進出する切っ掛けとなった、満鉄の鉄道が奉天(現:瀋陽)郊外の柳条溝付近で爆破された満州事変が勃発します。この事件は、日本軍がやったのか、中国の共産軍がやったのかと諸説がありますが、それはともかく、これをきっかけに日本軍は満鉄の安全確保のため、沿線に沿って満州に進出したのです。

 何故こういうことになったかを 中條高徳氏は、見解を述べられていたますが、特に強調されているのが、日本にとって常に頭に離れなかった帝政ロシア、そして、旧ソ連の脅威があったという事です。

 中條氏は、長野県更埴市に生まれ、自然いっぱいの山野のなかで元気いつぱいに成長していきます。その当時の教育制度にも言及されており、当時の教育制度は戦後(現在)6334制の単線的、強直的なものでなく、様々なコースがあり、色々な道筋を選択できるかなり複線的であったそうです。また、現在の教育基本法は、非常に抽象的で、しかも人間のの部分のみが強調され、の部分がまったく無視されたものになっている。人間はのみで生きることはできない。

極論すれば、の二つを調和させて生きるのが現実であり大切であると述べられています。

 中條氏は、子供の頃から勉強がとても出来いつもトップで、体も丈夫だったことから、多分神童とも言われていたのでしょう。当時の富国強兵の国策の中にあって、国に尽くすためには、軍人になるのが一番であり、それが人間として立派なことであったのです。だから勉強ができる子供は陸軍士官学校(陸士)か海軍兵学校に入るのが当然であり、中條氏は公的使命感を持ち、当然の様に陸士に進むのです。入学の為に家を出発する時は、近くの神社に参拝し、近所の人達が日の丸の小旗を振って見送りに出て、お祭りの様で、その晴れがましさに感激し、志に燃えていたと述懐されています。

 しかし、日本は敗戦し、陸士も閉鎖されます。国民的英雄、エリートであったはずなのに、敗戦と同時に、突然まったく逆の戦犯”“非国民”“危険人物として世間から、排斥されることになります。中條氏は実家に帰ってもいる場所が無く、仏間に籠る日が続いたそうです。そんな時に家族に進められて遠縁に当たる親戚に、山奥の温泉地の家があり、静養に行くことを勧められ暫くの期間過ごされるのです。その時に、24歳の戦争未亡人と出会い、初恋をして、生への喜びを見いだし、生きて行く力を取り戻されたと、孫娘さんに告白されています。

 

 今日は、特に、孫娘さんからの「日米の戦争について、この戦争についてどう考えていますか?そして、日本にとって正しい戦争だったと思いますか?」という質問への中條氏の答えを読み返し、日本人として、先の大戦を如何に考えこれからを活きて行くかということを学びたいと思います。

 1931年の満州事変のあと、1937年に今度は、支那事変(日中戦争)の導火線となった盧溝橋事件が起こります。そして、拡大路線という間違った道を選び泥沼に入って行くのです。

そして、アメリカのオレンジ計画の遂行、そして、ABCD作戦というAmerica,Britian,Chaina,Dutchという四カ国による厳し経済封鎖、そして、暴挙とも言える、ハル・ノートの脅迫によりアメリカと戦うとこになって行くのです。

 

 中條氏のこの質問に対する結論の文章がとても素晴らしく、心に刻んでおきたい内容なので、そのままここに紹介します。

 

 

『ただ一つ、確かにいえることは、戦争はあってはならないものだ

 ということだ。

 勝つにしろ負けるにしろ、戦争がもたらすものは悲惨でしかない

 からだ。

 大切なのは、正しかった悪かったかを考えるのことではない。

 結果にとらわれず、その中身を 一つひとつ正確に吟味して、

 いいはいい、悪いは悪いときちんと整理をつけて把握することだ。

 あってはならない戦争を、日本とアメリカはやったのだ。

 その責任は日本とアメリカの双方に ある。日本は中国大陸に戦線

 を拡大して誤った。アメリカは日本を戦争以外の選択肢がないとこ

 ろに追い込んで誤った。双方がそういう過ちを犯したのだというこ

 とをきちんと認識しなければならない。

 ところが、結果からものごとを見てしまいがちな人間の性向で、戦

 争に関して日本はすべてが悪かった、アメリカはすべて正しかった

 と考える傾向が確かにある。特に日本にはその傾向が強い。

 これではいけない。戦争の教訓を真に生かすことはできない。

  

 私は決して戦争を讃えているのでも肯定しているのでもない。

 今の日本人は過去の戦争について自虐に陥っている。総理大臣すらも

 自虐的になり、こと戦争に関することになると「お詫び外交」一辺倒

 になってしまう。

 詫びなければならないものは、率直に詫びなければならない。しか

 し、日本はすべてが悪かったととらえて、ただただペコペコと頭を下

 げるばかりのなのは、歴史を正しく認識しているとはいえない。むし

 ろ、歴史に対する冒涜である。自分が生まれ育った国に唾するもので

 ある。

 ~ ~ 中略 ~ ~

    歴史の教訓を生かす生き方とはどういうことか。

 きみたちの世代には、いまのような経済大国でなくてもいいから、世

 界から尊敬される日本になるよう、国づくりに尽くしてほしいし、働

 いてほしいのだ。国とか世界とかを考えると、きみは小さな存在かも

 しれないが、一人ひとりがそのように考え、心を定めるところから、

 そういう国づくりははじまるのだ。それが歴史の教訓を生かすという

 ことだ。』

 

本日は、ここで締め括らせて頂きます。

次回は、おじいちゃん 戦争のことをおしえて の読み返し最終回と

して、我が祖国日本の戦後の歩みについて、中條高徳氏の文章を通し

て学びたいと考えております。

 

 

* * * 姫路城の歴史(51) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

姫路円卓会議発行の姫路ぶらぶらから姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

50回目は、  姫路城の歴史 『 富姫が暮らした「鷺山」 』をお届けします。

 現在、姫路城が建つ「姫山」は、本来2つの峰からなり、東の峰を「姫山」、西の峰を「鷺山(さぎやま)」といいます。この「鷺山」には桜の木があったため、古くは「桜木山(さくらぎやま)」と記されていました。姫路城は、その別名を「白鷺(はくろ)城」といい、その名は、白鷺が羽を広げた姿に似ているからといわれていますが、この「鷺山」の麓には飾磨郡司を務めた角野明國(つぬのあけくに)の屋敷があり、ここに49代天皇・光仁(こうにん)天皇の孫娘「富姫」が無罪の罪で流罪となり、この屋敷に幽閉されます。この地で暮らし、815年(弘仁6)にこの山の南に葬られたと伝わります。

 この「富姫」が、泉鏡花の「天守物語」で「天守夫人」と呼ばれる「富姫」のモデルで、現在、天守の最上階の「長壁神社」において、同じく無罪の罪で殺された父・他部(おさべ)親王といわれる「刑部大神(おさかべおおかみ)」と共に祀られています。

 

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック姫路ぶらぶら P37 から

       『 富姫が暮らした「鷺山」 』を紹介させて頂きました。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。
 

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2011年8月 8日 (月)

“おじいちゃん 戦争のことを教えて”(1) & 姫路城の歴史(50)

8月6日は、広島原爆の日です。8月9日は長崎の原爆の日です。

そして、今月8月15日は、終戦記念日。日本が戦争に敗れた、敗戦の日です。

毎年8月を迎えると、お盆という事もあるのかもしれませんが、日本人として第2次大戦の悲惨さとでも表現すれば良いのでしょうか、私の心のどこかで、何か痛ましさとでも言う様なものを感じているではないかと思います。

 今日は、致知出版社から出ている、本日のタイトルでもある、中條高徳氏の著書、孫娘からの質問状「おじいちゃん 戦争のことを教えて」を読み、中條氏の歴史観を学びながら、明治維新から第2次大戦に至る過程や、第2次大戦が如何なる戦争だったのか、そして、日本が大戦に大敗し、アメリカに7年間支配を受けながら、如何なる戦後を歩んできたのかという事を、しっかりと学び直したいと思います。

正しいことは、正しいことして認め、悪しき事は悪しきこととして、しっかりと反省し、改める。

そして、歴史を正しく知る事で、日本人としての誇りを取り戻すという、とても大切な事が書かれています。とても大切なことが沢山書かれているので、何回かに分けて読み直していきたいと思います。

 この著書は、タイトルの通り、中條高徳氏の18歳のお孫さんである景子さんからの戦争のことを教えてという、16個の質問に答えるという形式で書き綴られています。

孫娘の景子さんは、父親の勤める銀行の転勤で家族共にニューヨークに在住し、マスターズ・スクールという名門高校に通っています。その名門高校でその景子さんのアドバイザーであり、アメリア史の担当教師である、Ms.Woodからの宿題が出されます。

その宿題とは、『家族や知人で戦争体験をした人の話を聞こう』、そして、戦争などの体験を通して、何を考えているのか、それぞれの国によって違いもあるはずだら、勉強しようというものです。

その答えの文章は、アメリカの名門高校で共に学ぶ、先生や世界各国からの生徒さんにも伝えたいという気持ちを多分にあるでしょう、文章の言い回しにも、とても深い配慮が感じられます。

また、中條氏の公正さと、清い心と日本人としての誇りに共感し、心洗われる素晴らしい文章です。

16の質問があり、質問を列記すると本の内容が想像しやすいので先ずは、16の質問をご紹介します。

1】おじいちゃんの生まれたころの日本は?

2】おじいちゃんが受けた義務教育は?

3】なぜ、軍人の学校に進んだの?

4】陸軍士官学校の教育はどんなだった?

5】おじいちゃんは戦場に行ったの?

6】終戦後、おじいちゃんはどうしたの?

7】戦後の学生生活で何を考えていたの?

8】なぜビール会社に就職したの?

9】アメリカとの戦争は正しかったと思う?

10】終戦直後の日本の様子を教えて

11】極東軍事裁判について、どう思う?

12】戦後の新体制に感じたことは?

13】戦後の社会を見て思うことは?

14】戦後のアメリカの影響について教えて

15】天皇について、おじいちゃんの考えは?

16】日本のこれから、そしてアメリカとの関係は?

この16の質問に応える文章の前後に、景子さんからのお願いの手紙と、礼状の手紙、そして、Ms.Wood先生からの礼状と、最後に、マッカーサーが朝鮮戦争の連合国指令長官を解任されて帰国し、上院軍事外交合同委員会における証言が原文『SRATEGY AGAINST JAPAN IN WORLD WAR Ⅱ』一部が紹介され締め括られています。

その一部の文章の最後を紹介します。

They feared that if those supplies were cut off,there would be 10 to 12 million peole unoccupied in

Japan

.

Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.

連合国軍最高司令官として、戦後の日本支配を司った人が、最高司令長官を解任されて、昭和26419日の証言の言葉に大きな真実が書かれていると思います。

by security という言葉は、自衛、保護、保安と訳せるのだと思います。

この文を読み、日本が、かなうはずのないアメリカとの戦争に突き進んでいった理由が端的に表現されていると強く感じました。

 終戦と表現されていますが、日本は、連合国軍側が発したポツダム宣言を受諾し、無条件降伏したのです。1945830日に最高司令長官マッカーサーが厚木基地に到着、92日に東京湾に浮かぶ米国戦艦ミズーリ号の艦上で降伏文章に調印が行われ、日本は完全にアメリカをはじめとする連合国側の占領下に入ったのです。つまりこの時から日本は独立した主権国家でなくなり、1952428日のサンフランシスコ対日講和条約が調印されるまで約7年間、主権がなかった、言い換えれば、日本という国が存在しなかったということです。

このことは戦後の日本を考える上で、常に念頭に置いておかねばならない。と中條氏は強く強く訴えておられます。この7年間に、支配を受けて、全く自由の無い状態で、日本の国会が運営され、米国の強制で憲法を制定されているという事を、忘れてはならないのだということだと思います。

次回から、中條氏の手紙の内容について、読み直していこうと予定しております。

 

 

* * * 姫路城の歴史(50) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

姫路円卓会議発行の姫路ぶらぶらから姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

50回目は、  姫路城の歴史 三の丸の高台をぶ~らぶら

    『 勢隠曲輪への抜け道「鷺山口門」跡」』をお届けします。

「三の丸」の高台の北西隅には、「鷺山(さぎやま)口門」という門跡があります。

現在、この門から先に立入禁止となっていますが、この門の外には左手に下がる階段があり、姫路城の西にある「南勢隠(みなみせがくし)門」の対岸に出ます。そして、その下の濠には踏み石が隠してあり、城兵は濡れることなく、この濠をわたって「勢隠曲輪」に移動出来たのだと伝わります。今日、こうした踏み石は存在せず、この話を鵜呑みにすることはできませんが、もしこの話が本当だとすると、城兵は敵に気付かれることなく、姫路城の背面の「勢隠曲輪」を通って、「大手口」や「搦手(からめて)口」に迫る敵の背後に現われることが出来た筈です。

 

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック姫路ぶらぶら P37 から

 三の丸の高台をぶ~らぶら『 勢隠曲輪への抜け道「鷺山口門」跡」』

 を紹介させて頂きました。

 

最後まで、お読み頂きありがとうございます。

 

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2011年8月 1日 (月)

“プロフィット・ピラミッド” & 姫路城の歴史(49)

私の愛読メルマガがんばれ社長の2週間前位のある文章の中で、今日のタイトルであるプロフィット・ピラミッド(浪江一公著)という書籍の紹介がありました。

とても興味を持ちすぐに発注しましたが、漸く先週の週末に届き、この日曜日に読んでみました。

今日のおたまはん日和では、この書籍についての内容を簡単にご紹介したいと思います。

この書籍のサブタイトルは、「超」高収益経営を実現する十四のシンプルな原則です。

また本の紹介には、キーエンス、ローム、ファナック、シマノ、ヒロセ電機、マブチモーターという日本の代表的な「超」高収益企業六社の、それを可能にし続けている四つの本質的な共通要件を示し、これからの要件から導き出される十四のシンプルな原則を、一般企業の高収益企業化のポイントとして示す。とあります。

企業の経営を行っている者は、だれでも高収益企業を目指していると思います。

でも、どうして、高収益企業を目指すのか。

そして、どうすれが、高収益企業になれるのかを、六社の分析を先ず紹介して解り易く、面白く解説してくれています。

書籍の紹介文にある、四つの本質的な共通要件とは一体何なのか?

  

次の様に本の中で紹介されています。

*「超」高収益企業の四つの要件

この四つがこの書籍のタイトルのプロフィット・ピラミッドのコンポーネント(構成)です。

 

「顧客提供価値の最大化」
-低コストで高い価値を実現できる事業を展開している。

「競争の徹底回避」
-そもそも競争をしなくてすむ事業モデルを実践している。

「創出価値の最大化のための自社能力設計」
-業界の常識を超えて、顧客ニーズと自社事業の  本質を見極め、メリハリのある商品設計と価値連鎖の設計を行っている。

「高利益追求の強い姿勢」
-高収益を維持するための重要要件の徹底が経営者の重要業務である。

 

 私がこの書籍を読んで感じた事は、経常利益率の本当に高い企業になる為には、会社の体質や、会社の経営者の仕事に対する根本的な概念というものを根本から変えねばならないのではないかという事です。

 書籍の中の文書を抜粋させて頂くと、

「高い目標を掲げそれを達成しようと思えば、それまで正しかったことが正しくなくなり、必要でなかったことが必要となり、気づかなかったことに気づくようにんるという、これまでとは、全く異なる世界に身を置くことになるのです。利益率30%を狙う世界は、利益率が5%を狙う世界とは、見える景色が全く異なるのです。」

ということになります。

 なぜ、高収益企業にしたいかと自問すると、次のドラッカー氏の言葉が先ず思い出されます。

「利益とは、その企業に対する社会の評価である。」

社会的な評価とは、この社会で如何、どれ位、人のため世のために役立っているかということであり、大いに人の世のために役立ちたいと願うのは万民の願いであると思っています。

 

また、高収益企業になるその目的を具体的に考えてみると、

・高収益企業にする事で、経営が安定し、つぶれない会社にする。

・新たな事業展開がやり易くなり、チャンスを掴む機会の拡大が

 見込める。

・社員の報酬拡大と、自社への誇りを高める事が出来る。

などなどと色々上げる事が出来るとおもいます。

先ずは、この書籍を楽しみながら、ワクワクしながら一回読ませて頂き、概要を何となく掴みましたので、更に読み込み、仕事への実践へと結びつけて行こうと決意しております。

我が師、天風哲人が良く言われている言葉を、最後に掲げ締め括りたいと思います。

『人間の心で行う思考は、人生の一切を創る』

 

 

* * * 姫路城の歴史(49) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

姫路円卓会議発行の姫路ぶらぶらから姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

49回目は、姫路城の歴史三の丸の高台をぶ~らぶら

    『 千姫ぼたん園 』と『 ぼたん園は「本城」の跡』 

                    をお届けします。

 

『 千姫ぼたん園 』

 三の丸広場西の坂を登った高台には「千姫ぼたん園」があり、姫路市の姉妹都市、太原市(中国)より贈られた紫霞仙など40株をはじめ、約2000株の牡丹が植えられています。

このぼたん園の見頃は4月下旬から5月上旬で、これに合わせて毎年「千姫ぼたんまつり」が開催されます。

 

『 ぼたん園は「本城」の跡』

 現在、「千姫ぼたん園」のある高台には、江戸時代、「本城」や「御居城」と呼ばれた藩主の居館が築かれていました。本来、城郭において城主の居城は、その最も中心となる「本丸」に置かれるのが通例で、池田輝政の築城当時の城主の居館も、天守の南にある本丸(備前丸)に築かれていました。しかし1618(元和4)21代城主・本多忠政は、忠刻・千姫夫妻のために姫路城の「西の丸」を造営してその居館を設けるとともに、この「三の丸」の高台に自らの居館を築きました。

忠政が「三の丸」の高台に居館を設けたのは、1615(元和元)に豊臣家が滅亡し、世の中が平和になるにつれ、城の防御の拠点から、政務の拠点へと変化したことによるもので、この時期から多くの城で居城が山下に移されています。また将軍の娘である千姫が「西の丸」で暮らすことになった以上、その家臣である本多忠政が「西の丸」より高い場所にある「本丸」で暮らす訳にはいかなかったということも、大きな理由の一つだと考えられています。

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック姫路ぶらぶら P36 から

                  『 千姫ぼたん園 』と『 ぼたん園は「本城」の跡』
          を紹介させて頂きました。

 

 

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