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2012年3月26日 (月)

“天命追求型の生き方” & 姫路城の歴史(83)

 今日の題名は、“天命追求型の生き方”です。この話は、人間学を学ぶ月刊誌致知3月号に結婚コンサルタント・マゼンダスタッフの白駒妃登美さんという方が、『歴史が教える日本人の生き方』と題する文章の中で、豊臣秀吉など歴史上の人物を例にとり綴られている御話しです。

この文章を読んだ時、思い出した話があります。

それは、中村文昭氏の 師匠直伝『4つの鉄板ルール』の話です。

その『4つの鉄板ルール』とは次の通りです。

一つ 返事は0.2秒!
一つ 頼まれ事は試され事!
一つ 出来ない理由は言わない!
一つ そのうちと言わず今出来ることをやる!

この4つの鉄板ルールとは、簡単に言ってしまうと、今この瞬間を一生懸命生きるという事だと思います。

 日常生活に生きていれば、必ずや色々な人から色々な事を“頼まれる”筈です。
その人様から何かを“頼まれた”時に、多くの人が先ず考えるのは、その“頼まれ事”は自分にとって損か得かどうかということではないでしょうか。
損得勘定で、頼まれ事を引き受けるか、受けないか、また、その頼まれ事を喜んで、若しくはイヤイヤ引き受けるのか、そんな心の中を、その頼んだ人は、よくよくお見通しで、直ぐに心で伝わってしまうものである。と、中村氏は言われていました。

 そして、人から何か頼まれた時だけではなく、自分で何かをしたいと思っても、多くの人は、
直ぐに出来ない理由ばかりを探して、その“出来ない理由”を正当な理由であると思いこみ、言葉にして口から発しているのだと。そんな“出来ない理由”を、「でも、でも」と言っている人を、“でもでも星人”と中村氏は、楽しく表現されていました。

結局この4つの鉄板ルールを、心を入れて実行すればどうなるのでしょうか。

 例えば、ちょっとした買い物を頼まれた時の事を考えてみましょう。
先ずは、何か買い物を頼まれたら、返事は0.2秒で笑顔で「はい」の返事で引き受け、
次に、その頼まれ事を、出来ない理由を考えるのではなく、頼まれ事は試され事として、
その内と言わずに、今自分の出来る全身全霊の力で、その頼んだ人に答えて喜ばせることを考える。
という事になるのでしょう。

 自分の目の前の人の想像を遥かに超える結果を出して喜ばせることから自分の生きる役割が与えられる。という中村氏の言葉は私の座右の言葉になっています。

 そろそろ本題である、月刊誌【致知3月】の白駒妃登美さんの話に戻しましょう。
その『歴史が教える日本人の生き方』と題する文章の中で、白駒さんの豊臣秀吉についての見解と、今日の本題である“天命追求型”の生き方についての白駒妃登美さんのそのままの文章を次にご紹介致します。

「秀吉はなぜ夢を超えることができたのでしょうか。想像するに、秀吉は最初から天下取りなど考え ず、いつも“いま、ここ”に全力投球する生き方を貫いたからだと思います。自分の身の回りの人たちに喜んでもらえることを精一杯やっていた。その結果、周囲の応援を得て次々と人生の扉が開 き、天下人へと運ばれていったのではないでしょうか。まさに天命追求型の人生だったのです。」

“天命追求型”とは将来の目標に縛られることなく、自分の周囲の人の笑顔を何よりも優先しながら、いま、自分の置かれた環境でベストを尽くす。それを続けていくと、天命に運ばれ、いつしか自分では予想もしなかった高みに到達するという考え方です。そこでは、自分の夢だけを叶える for me より、周囲に喜びや笑顔を与える for you の精神、つまり志が優先されます。

また、素晴らしい言霊に出会えた事に、大いなる喜びを感じ、日々の生活で実践していきたいと思います。

この“天命追求型”の生き方を、日本人が歴史の中で培った素晴らし生き方であるという白駒さんの言葉を最後にお伝えして本日の“おたまはん日和”を締め括らせて頂きます。

最後までお読み頂きありがとうございます。



* * * 姫路城の歴史(83) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *


姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

第83回目は、姫路城の歴史 『 意外と狭い姫路城北側の「中濠」』をお届けします。

 江戸時代でも、あまり人の目につくことない姫路城北部では、城主の威厳をことさらに強調する必要もないため、華やかな大手門付近とは全く異なる普段着の姫路城を見ることが出来ます。
また、「喜斎門」から「北勢隠門(きたせがくしもん)」にかけての石垣と中濠は、池田輝政の築城以前に築かれたものと思われ、羽柴・木下時代の姫路城の姿を知るための貴重な資料と言えます。


以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P56 から
    『意外と狭い姫路城北側の「中濠」』を紹介させて頂きました。


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2012年3月19日 (月)

“松下幸之助翁の教え” & 姫路城の歴史(82)

 先日ロータリークラブの例会で頂いた「ロータリーの友3月号」に、松下幸之助氏の教えをとてもわかり易く説かれている文章がありましたので、本日ここで要点を纏めながら勉強し直してみようと思います。

 その文章は、公益財団法人松下社会科学振興財団 松下資料館顧問 川越森雄氏が、昨年の11月20日にRI第2620地区 地区大会記念講演要旨として掲載されているものです。

題名は、『松下幸之助 成功の発想と危機克服の心得』です。

 松下幸之助翁の「不況またよし」の言葉は、良く知られていると思いますが、川越氏は、松下翁の不況など危機克服のポイントを3つに整理してお話しをされています。

 一つには、「君ら、日ごろから歴史をしっかり勉強しとかなあかんで」の松下翁の言葉から、歴史には、危機を乗り越えた先人の知恵とヒントが沢山あり、そこから学ばねばならないという事。

 二つには、「危機に遭遇したときは、もういっぺん原点に立ち返ることやな」の言葉に対して、全てを失ったとしても、何もなかった時の原点を思い起こせばもう一度、初めからやりなおそうか、という勇気もわいてくるものだと解説されています。

 三つには、「起こってしまった現実から、われわれは、逃げることができへんのや。あるがままの現実をそのまま素直に先ず受け入れんと、しょうがないわな」、そしてその現実を受け入れて人間の知恵を発揮することについて、「人間の知恵だけは無限やで。知恵を出そうと思ったらいくらでもある」と松下翁の言葉を続けられています。

 川越氏は、松下幸之助翁をどういう人であるかということ一言で表すと次の様な人であると言われています。

「あらゆる人、あらゆるものに、感謝をし続けながら、人生を生きた、商売をして来た人」であると。

 松下翁は、77歳の時に松下哲学を確立されたそうですが、何で成功したかという質問に対して、松下翁は、「わし、なにもなかったから、うまくいったんのかもしれんな」と。「うまくいったときは運が良かった、と思わなあかんで。うまくいかんときは、自分のやり方にどこか問題があると思うわなあかんで」と。
 松下翁は、学歴もなく、もともととても病弱でした。また、26歳の時には8人の兄弟姉妹を含む家族全員は亡くなられています。そのことについて、松下幸之助翁の言葉は、人間の基本的な心の持ち方、感謝して生きるとは、どういうことであるか次の幾つかの言葉の中に大きな教えとでも言えるものを感じずにはいられません。

「わしは体が弱いからしょうがなかったのや。しょうがないから、部下に仕事を任せるやり方を考えついたんや」と。
 そして、松下翁の「衆知経営」についても「わし、学校行ってへんから、何も勉強してへん。
何も知らへん、知識がない。全部、人に教えてもらいながら、ずっとやってきただけなんや」

 松下翁が84歳の時に私財70億円を投じて、松下政経塾を設立しますが、その時の入塾生を決める面接についての松下翁の独特な考え方も紹介されていますのでここで翁の言葉を抜粋させて頂きます。

 一つ、「わしな、愛嬌をみておったんや。愛嬌がない人間は政治家になれへん、みんなに好かれへんな。特に女の人は投票してくれへん。やっぱり愛嬌ないとあかん。」

 二つ、「わしは、運を見とったのや」と。「君、自分の運をどう考えているのや。強いんか、弱いんか」と。

日本を良い国にしたい言う様な思いを実現する為には、自分は運が強いという、積極的な、前向きな考え方をもっていないと。自分を否定するような人間は他人をも否定するかもしれません。自分を肯定し、他人を肯定するという、プラス発想の考え方かどうかを、見ておられたのだということだと思います。

最後に、川越氏もその文章の最後に掲載されていた松下幸之助翁の言葉をそのまま掲げ締め括りたいと思います。

「不景気になって、初めて商売を知る。不景気になって初めて成すべき事を知る。不景気になったことは、松下電器のために非常に幸せやと、思てんのや。不景気に、われわれは成長していくものや。不景気がなかったら、成長しない。そういう意味で、不景気になったことは、会社として困るけれども、見方によれば、こういう時こそ、ものを言えば頭に入る。こういう時こそ、成すべきことに気づくことになって、非常に力がでる。だから社長なり、会長なりが社員を養成しよう、社員の質を上げようという場合には、不景気を利用しないといかん。不景気を活用しないといかん。
そうしたら、社員がみな、上がってくる。松下電器の過去の歴史は不景気に伸びてきた。
不景気が来るたびに、次の時代には一番先頭にたっていると」

本日も、最後までお付き合い頂きありがとうございます。

 

 

* * * 姫路城の歴史(82) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

 

姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

第82回目は、姫路城の歴史 “ちょっと寄り道”『お夏清十郎の比翼塚』をお届けします。

 お夏清十郎比翼塚のある「野里慶雲寺」は池田輝政の帰依を受け建立された寺院で、その本堂は姫路城築城の余材をもって築かれたといわれ、観音堂の本尊・如意輪観世音菩薩像は池田輝政の継室で、家康の次女・督姫の念持仏と伝えられています。境内にある「お夏清十郎比翼塚」は、もともと慶雲寺の南にあった末寺「久昌寺」にあったもので、1951年(昭和26)にここに移設されました。
 また「慶雲寺」の南にある「光正寺」の石段には「お夏清十郎」を演じたと思われる役者の玉垣が並んでいます。

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P55 から
     “ちょっと寄り道”『お夏清十郎の比翼塚』を紹介させて頂きました。

 

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2012年3月12日 (月)

“大切なもの”  & 姫路城の歴史(81)

 先週に引き続き、友人であり、ソウルメイトからもらった素敵な話を紹介します。
ソウルメイトとは、京セラの稲盛和夫さんが人間学を学ぶ月刊誌『致知』を愛読する人達の事を親愛を込めて表現された言葉であす。
 その友人が仕事で行き詰まりを感じていた時に、彼女から二つの話を教えてもらいました。
そいて、その話で心が洗われその行き詰まりを打破できたという事を先週も紹介させて頂きました。
今日は、その二つ目の『大切なもの』という話をご紹介します。

 


『大切なもの』

                          

「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。

「この壺は満杯か?」

教室中の学生が「はい」と答えた。

「本当に?」

そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そして砂利を壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。

そしてもう一度聞いた。

「この壺は満杯か?」

学生は答えられない。

一人の生徒が、「多分違うだろう」と答えた。

教授は、「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。

「この壺はこれでいっぱいになったか?」

学生は声を揃えて、「いや」と答えた。 教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。
彼は学生に最後の質問を投げかける。

「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」

一人の学生が手を挙げた。

「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、
いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」

「それは違う」と教授は言った。

「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」

君たちの人生にとって"大きな岩"とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、
家庭であったり・自分の夢であったり...。

ここで言う"大きな岩"とは、君たちにとって一番大事なものだ。 それを最初に壺の中に入れなさい。
さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。

もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、 君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。

そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、
その結果それ自体失うだろう。

            
                         終わり

 

 

如何でしたでしょうか?

 

“大きな岩”つまり“自分にとって一番大事なもの”とは何でしょう? 
その、一番大事なものを実現する為に、一番大事なものに自分の時間を優先させる。

その為にどうすれば良いのかを、ドラッカーは次の様に表現されています。

『成果をあげる者は、仕事からスタートしない。時間からスタートする』

このドラッカーの言葉が、まさにこの大きいな岩を先に入れる為の施策なのでしょう。
そのためには、ドラッカーが説くように、今自分が何にどれだけの時間を使っているか点検してみる必要があります。

ドラッカーの著書をもっと読んでみたいです。
そして、ドラッカー研究の第一人者である佐藤等さんの著書『実践するドラッカー』シリーズを読み返し、時間の創造に取り組み直そうと思います。

本日も最後までお読み頂きありがとうございます。

 


* * * 姫路城の歴史(81) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

第81回目は、姫路城の歴史  ちょっと寄り道『城下町の名残を残す町「野里」』
                      をお届けします。

 城下町の北東にあたる「野里」の町は、古くから鋳物師(いものじ)の町として栄え、室町時代には、ここで作られた「野里鍋」は京都で大人気だったと伝えられます。その後、羽柴秀吉時代に「町場」となり、野里には「堺町」や「竹田町」「生野町」といった秀吉に縁のある町名が多く残っており、江戸時代にも生野に向かう「但馬街道」に沿った町として賑わいました。そして、「野里」の町は幸いにも、1945年(昭和20)の空襲で罹災も免れたため、町中には城下町の風情を残した町並みが今も残っています。また「但馬街道」の北には火箸で有名な「明珍(みょうちん)本舗」の工房もあります。
なお野里地区の町歩きマップは「野里公民館」の前で手に入ります。

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P55 から
    ちょっと寄り道『城下町の名残を残す町「野里」』を紹介させて頂きました。

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2012年3月 5日 (月)

今、この瞬間という時間は神様からの贈り物 & 姫路城の歴史(79)

 先日、ソウルメイトから素晴らしい文章をメールで教えて頂きました。
ソウルメイトというのは、京セラの稲盛和夫さんが、致知出版社が毎年開催する2年前の新春講演会で、“致知”を愛読する人達の事を親愛を込めて表現された言葉です。

 その私の友人であるソウルメイトが、これまた私の知合いの方の事務所で、私が紹介して講読を始めた 人間学を学ぶ月刊誌“致知”を見つけて読み、感動したから、致知の定期購読をしたいとの連絡を頂きました。それから何度もメールを交換するようになりました。

 そのソウルメイトが、仕事で少し行き詰っていた時に彼女から贈ってまらったメールで、嬉しくて保存しているという、その大切にされている文章を送ってきてくれたのです。
その文章の題名は、『「時間」という銀行』ですが、私が勝手にその文章の内容にふさわしいと思いつけた題名が今日の標題に掲げた『今、この瞬間という時間は神様からの贈り物)』です。
では、その素晴らしい文章をそのままご紹介します。


『「時間」という銀行』                         

もし、こんな銀行があったら、あなたはどう利用しますか?

それは、奇妙な銀行です。
この銀行にお金を預けても、利子も付きませんし、お金を借りる事も出来ません。
しかし、その銀行は、 毎朝あなたの口座へ86,400ドルを振り込んでくれます。
口座に振込むと同時に、あなたの財布に全て引き出され、
それをあなたは自由に使う事が出来ます。

しかし、このお金は「魔法のお金」で、あなたが使い切っても、
使いきらなくても、24時間で消えてしまいます。
そして、0時になると、また 86,400ドル振込まれます。これが毎日続きます。

あなただったらどうしますか。
もちろん、毎日86,400ドル全額を引き出しますよね?この奇妙な銀行を、
実は、私達一人一人が持っているんです。

それは「時間」という銀行です。

毎朝、あなたに86,400秒が与えられます。
毎晩、あなたが上手く使い切らなかった時間は消されてしまいます。
それは、翌日に繰り越されません。それは貸し越しできません。
毎日、あなたの為に新しい口座が開かれます。
そして、毎晩、その日の残りは燃やされてしまいます。
もし、あなたがその日の預金を全て使い切らなければ、あなたはそれを失ったことになります。
過去にさかのぼることはできません。

あなたは今日与えられた預金のなかから今を生きないといけません。
だから、与えられた時間に最大限の投資をしましょう。
そして、そこから健康、幸せ、成功のために最大の物を引き出しましょう。
時計の針は走り続けてます。今日という日に最大限の物を作り出しましょう。

1年の価値を理解するには、落第した学生に聞いてみるといいでしょう。
1ヶ月の価値を理解するには、未熟児を産んだ母親に聞いてみると いいでしょう。
1週間の価値を理解するには、週間新聞の編集者に聞いてみるといいでしょう。
1時間の価値を理解するには、待ち合わせをしている恋人たちに聞いてみるといいでしょう。
1分の価値を理解するには、電車をちょうど乗り過ごした人に聞いてみるといいでしょう。
1秒の価値を理解するには、たった今、事故を避けることができた人に聞いてみるといいでしょう。
10分の1秒の価値を理解するためには、オリンピックで銀メダルに終わってしまった人に聞いてみるといいでしょう。

だから、あなたの持っている一瞬一瞬を大切にしましょう。
そして、あなたはその時を誰か特別な人と過ごしているのだから、十分に大切にしましょう。
その人は、あなたの時間を使うのに十分ふさわしい人でしょうから。

そして、時は誰も待ってくれないことを覚えましょう。昨日は、もう過ぎ去ってしまいました。
明日は、まだわからないのです。

今日は与えられるものです。

だから、英語では今をプレゼント(=present)と言います。


お読み頂いて如何御お感じになられたでしょうか?
英語で、今この瞬間の事を プレゼント というんでしたね。

実は、ソウルメイトから頂いたメールには、もう一つ素晴らしい文章が紹介されていました。
来週は、その文章をご紹介させて頂く予定です。

本日も最後までお読み頂きありがとうございます。

 

 

* * * 姫路城の歴史(79) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

 

姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

第79回目は、  姫路城の歴史 姫路城の東をぶ~らぶら
    『北東隅にある「鬼門除けの石垣」』をお届けします。

 日本では古来、北東の方角は鬼が出入りする忌むべき方角といわれ、「鬼門」と称されました。
「姫路市立美術館」の裏手は、この「鬼門」に当たるため、北東の角を嫌い、石垣の角が落とされていますが、これは「鬼門除けの隅落(すみおとし)」といいます。こうした「隅落」の石垣は天守北東の「腰曲輪」の外にも見られるのですが、夏は木が生い茂っているために、外から見ることができません。


以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”のP54 から
               『「」 「」』を紹介させて頂きました。

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