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2012年5月28日 (月)

“爽やかに朝を迎えたい” & 姫路城の歴史(91)

 今日の姫路の日の出の時間は、4時49分ととても早く、またこの季節の早朝は、とても爽やで気持ちも良く、ランニングするのには最高の季節となりました。
 
 安岡正篤氏の言葉に、『朝こそすべて、朝を活かすことから人生は始まる。』というものがあり、私はこの言葉を座右の言葉にしていますが、この言葉にある通り、今のこの初夏の夜明けが早く、清々しい朝を気持ち良く迎えることが活きる上で何よりも大切であり、また、一番の喜びだと思います。
 
 私の朝の迎え方の理想は、4時45分の目覚ましで直ぐに飛び起きて、中村天風哲人の説かれる観念要素の更改法である、鏡に向かって『私は信念が強くなった』と唱え、嬉しい感謝の気持ちで手を合わせます。そして、自らが経営者としてあるべき姿、目指すべき姿を言葉にした、通称“ポジィティブ転換”の言葉を唱えます。
 
 その後、手洗いに入り、中村天風哲人の著書『真理のひびき』を読みます。
ちなみにこの本の、本日28日の箴言は「人は自己のために活きると同時に 亦常に 人の世のために 活きることを忘るべからず」であります。
この箴言とこの箴言に対する天風哲人の講話が10ページ程あります。
 
 この後着替えて、揖保川沿いをゆっくりとランニングしてから、適当に筋トレとストレッチをして、シャワーを浴びて汗を流します。
 この季節、揖保川の川沿いでは、鶯、雲雀やセキレイなどなど沢山の小鳥たちが元気にさえずり、飛び回り、また、色々な花々が美しい色彩と、淡い香りを漂わせています。
 
まさに「染め出だす、人はなけれど春来れば、柳は緑、花は紅。」です。
 
 安岡正篤氏は、『朝こそすべて』という事について次の様に明確に断言されています。
「一日二十四時間、朝があり昼があり夜があるとするのは死んだ機械の一日にすぎない。
 活きた時間は朝だけ、換言すれば、本当の朝をもたなければ一日無意義だということだ。
 朝を活かすことから人生は始まる。」
 
 安岡正篤氏の言葉を読み返し、朝を活かす事を享受できる喜びを毎日感謝できるよう、意志の力で、毎朝飛び起きたいと念じています。
 
本日も、最後までお読み頂きありがとうございます。


 
* * * 姫路城の歴史(91) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *
 
姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。
 
第90回目は、 姫路城の歴史 『 阿部知二の文学碑 』をお届けします。
 
 清水橋の西に立つ碑は、1991年(平成3)に建てられた作家・阿部知二氏の文学碑で、この碑には代表作でもある「城・・・田舎からの手紙・・・より」の一節が刻み込まれています。
知二氏は1903年(明治36)に岡山県美作市に生まれ、10歳の時、ここから少し北の姫路市坊主町(ぼうずまち)に移り済みます。その後、東京帝国大英文科を卒業した知二氏は、文学を志し、1936年(昭和11)に発表した小説「冬の宿」で小説家としての地位を確立します。
ちなみに文学碑の文字は、知二氏の長男で英文学者の阿部良雄氏によるもので、ここから西にある「姫路文学館」に阿部知二のコーナーが設けられています。
 
以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P59 から
              『 阿部知二の文学碑 』を紹介させて頂きました。
 
    藤橋家homepage             http://www.fujihashiya.com/
    たまごや通心(こだわりの通販)http://www.tamagoya.org/
    姫路ケーブルテレビ WINK“たまごや”
    放映番組~いま、輝いてます~のYou Tubeです。
        http://www.youtube.com/watch?v=GJ15H13ZaRw

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2012年5月21日 (月)

”卵はうつ病に効果あり” & 姫路城の歴史(90)

 
 「鶏の研究」という鶏卵・肉業界の専門誌に次の記事がのっていました。
 
『卵に含まれる成分がうつ病に効果的と発表』(九州大学大学院)
 
 今日は、この“卵がうつ病に効果的”という記事をご紹介させて頂き、この世の多くの方が卵を沢山食べて元気になって頂こうと思います。
 
また、“たまご博物館”というホームページから、「卵は、ボケと老化なども防止」という話を最後に引用し紹介させて頂いていますので是非お読み頂き、卵の素晴らしい効用をできる限り沢山の方々に広めて頂ければと願っております。
 
「鶏の研究」から
 たまごに含まれる成分にうつ病の症状を緩和する働きがあると九州大学大学院の研究グループが発表した。これは同大学の研究グループが行ったラットを使った実験でわかったものであり、グループではうつ病に効果ある成分の特定等、さらに詳細なメカニズムについて調べることにしているという。
 この研究を行ったのは九州大学大学院農学研究員の古瀬充宏教授らのグループで、名古屋大学で開かれた日本畜産学会において発表された。
 同研究グループでは、活動性が低い等「うつ病」の症状を示すラットに、液状卵を一か月給与させた後、泳ぎ続ける時間を計測する実験を行った。その結果、液状卵を給与させて
いないラットと比べて、給与したラットは約1.3倍長く泳ぎ続けたという。
 さらに詳細に調査した結果、液状卵を与えたラットでは、脳の前頭前野にうつ病を緩和するとされるトリプトファンというアミノ酸の量が増えていたことがわかったという。
 同研究グループでは、卵に含まれる成分がこのアミノ酸を増やし、症状の一部を緩和させたものとみている。
 なお、古瀬教授は「・・・・これまではうつ病は投薬治療が一般的だったが、栄養状態を改善することにより、薬の量を減らすことができるのではないか」と話している。
 
 
*たまご博物館 卵の栄養学 卵黄コリンについて
・卵黄はギリシャ語で「レシトース」(Lekithos)と呼ばれ、約14%のタンパク質と29%の脂質、そしてビタミンやミネラルを多く含んでいます。この「卵黄脂質」のうちの 30%は「リン脂質」と呼ばれる脂質の一種で、脳や神経組織、細胞膜の構造の一部を成す極めて重要な物質です。
 特に最近は、ボケや老化などを防止する研究が進み、注目されています。
 
 
私は“たまご”が大好きで、一日少なくとも3個は食べています。
歳を重ねるたびに若返っていると実感するのは、“たまご”様のお陰なのかもしれません。
 
本日も最後までお読み頂きありがとうございます。
 
 
 
 
 
 
* * * 姫路城の歴史(90) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *
 
姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。
 
第90回目は、姫路城の歴史 シロトピア公園から清水門へ
                    『 大工源兵衛と傾いた大天守 』をお届けします。
 
 1609年(慶長14)、天守閣造営という大仕事を成し遂げた大工棟梁の桜井源兵衛には、人に言えない悩みがありました。それは完成した天守が少しばかり東に傾いて見える事でした。しかし源兵衛は、大工事で少し心が敏感になりすぎているのだと自分に言い聞かせていました。
 ある日源兵衛は、長年苦労を掛けた妻を労おうと完成したばかりの天守を案内します。
その時、妻は「大変立派なお城に、私まで誇らしい気持ちになりました。でも、私にはお城が少し巽(南東)の方角に傾いているように見えるのですが・・・。」
 妻のこの言葉を聞いた源兵衛はショックを受け、愛用の八分鑿(のみ)を口に銜(くわ)え、天守の天辺から飛び降りて死んだと伝えられています。町の人は悲しい大工棟梁の死をいつまでも語り伝え、唄を歌いました。
 
       「東に傾く姫路のお城 花のお江戸を恋しがる」
 
 しかし、姫路城が東に傾いていたのは、源兵衛のせいではなく、地盤沈下のせいでした。
そして素人の目にもわかる姫路城の傾きが、こんな伝承を生み出したのです。
 
以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P59 から
            姫路城の歴史 シロトピア公園から清水門へ
                        『 大工源兵衛と傾いた大天守 』を紹介させて頂きました。
 
    藤橋家homepage             http://www.fujihashiya.com/
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2012年5月14日 (月)

奇跡の人“小野春子さん”& 姫路城の歴史(89)

 人間学を学ぶ月刊誌致知5月号の『奇跡の人“小野春子さん”』のインタビューの文章「それでも私は生きている」を読み、強い衝撃的な感動を覚えたましたので改めて読み返し、文章を抜粋しながら勉強し直してみたいと思います。
 
致知編集者の 小野春子さんの 紹介文です。
 
 奇跡の人-。人は小野春子さんをそう呼ぶ。数々の難病奇病に侵され、医学的なデータでは絶対に生きられるはずがないといわれれながら、八十二歳の今日も生きている。病を「神からの愛」と感謝して、祈りの生活を送る小野春子さんのご自宅をお訪ねした。
 
 この紹介を読んで頂くだけで、小野さんと言う人がどれだけ凄い人なのかという事が想像出来ると思います。
 そして、先ずはこの奇跡の人 小野さんが『聖書』で最も大切にされている言葉をここで読みなをしてみようと思います。
 
 「いつも喜んでいなさい。
 絶えず祈りなさい。
 どのようなことにも感謝しなさい」 (第一テサロニケ5章16~18)
 
 「自分を愛する如く、隣人を愛しなさい」(マルコ12章33)
 
 
次にもう少しびっくりするような話を抜粋します。
・京都のT病院で検査を受けたところ「小野さん、あなたは四、五年前に死んでいるのはずだ。
 なぜ生きているんですか」
・一度失明されたのに再び光を取り戻したり、二度心肺停止から蘇生されたり・・・
・一度目の心肺停止なんて一時間ですよ。娘が葬儀の準備を近所にお願いして、病院に来た時 は呼吸を取り戻していました。
 
 小野春子さんは、強い信仰を持たれています。この小野さんの強い信仰は、宗教にすがるだとか、神頼みだとかというものではなく、強い意志をもった確たる“信念”であり、その信仰心である“信念”がこの人をして、奇跡を起こさせているのだと私は思いました。
 その信仰心である小野さんの“信念”とは何であるのかについても改めに確認しながら文章を読み直して参ります。
 
 小野さんは六十六歳の時、全身性血管炎で全身が麻痺状態だったのですが「自分の体をもって神の栄光を現わしなさい」(第一コリント6章20)という啓示を受けます。
小野さんにとっては何のことかさっぱりわからない。そしたら其の三日後に再び御言葉が示される「神は私たちを通じて、いたるところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。」(第一コリント2章14)
 この言葉で、香りを放つもの、花であると理解し、花を描くための練習を始めます。
麻痺の手に弾力包帯で色鉛筆を括りつけてもらって、まずは縦・横の直線を描けるよう練習しました。それが二カ月、今度は三角を描けるようになるまで二カ月。さあ、今度は丸です。これはもう決死の思いで練習しましたが・・・
 そうして六ヶ月後、初めてスケッチブックに描いたのはゼラニウムです。そこに『聖書』の言葉を添えました。
 「苦しみにあったことは、わたしのためによいことです。これによってわたしはあなたのおきてを学びました。」
 
小野さんは凄まじい努力もされている事をご紹介したくこの文章を抜粋しました。
 
後少し小野さんの言葉を紹介させて頂きます。
 
・病というのは、ライフスタイルを見つめ直しなさいという神のお告げです。病気は向こうから やってくるのじゃなくて、自分がつくるんです。
・とにかく、いいと思ったことは即実行することです。一歩を踏み出す勇気とそれを続ける努力のみが、自分の人生を変えるのです。
・病気をもらう、あるいは何か世間的なマイナスだといわれるものを感謝していただく。神は
 その都度それを乗り越える力を与えてくださるのです。
 
そして、信仰心である“信念”について次の様に御話をされています。
 
・自分は他社のために生きるという信念を持たれたらいいんです。
 自分は自分であっても、自分じゃない。あなたがあるから私がある。他者のために生きる。
 これが隣人愛です。そこに絶対神は働きます。
 
最後に、もう一度小野さんが『聖書』の中で、最も大切にされている言葉をご紹介します。
 
 「いつも喜んでいなさい。
 絶えず祈りなさい。
 どのようなことにも感謝しなさい」 (第一テサロニケ5章16~18)
 
 「自分を愛する如く、隣人を愛しなさい」(マルコ12章33)
 
小野さんは、言われます。
クリスチャンなら、ほとんどの皆さんが知っている言葉でしょう。
喜ぶことも、祈ることも、感謝することも、誰でもできることです。
しかし、頭に「いつも」「絶えず」「どのようなことにも」とついています。
これができないのです。
 
私は、この言葉を座右の言葉と致します。
 
本日も最後までお読み頂きありがとうございます。
 
 
 
 
 
* * * 姫路城の歴史(89) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

 
 
姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。
 
第89回目は、 姫路城の歴史 シロトピア公園から清水門へ『船場川改修の碑』をお届けします。
 
 清水門の南の中堤に、何も書かれていない大きな石碑があります。
この石碑は船場川を浚渫(しゅんせつ)した際、川底から見つかったもので、表面の文字はすっかり削られていました。そのため、長い間何の石碑かはわからず、いつしか姫路城を築いた大工の棟梁・桜井源兵衛(げんべい)が、完成した姫路城の天守が東に傾いているのに恥じて、鑿(のみ)を銜(くわ)えて天守から飛び降りたという伝承に基づき「桜井源兵衛の墓」といわれていました。
 しかし桜井源兵衛が自殺したというのは史実ではなく、この石碑は1624年(寛永元)に船場川を改修した21代城主・本多忠政を讃えて、地元の人々が建立した「船場川改修の碑」で、その後の洪水によって流されて川底に沈んでいたようです。
 
以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P58 から
    シロトピア公園から清水門へ『船場川改修の碑を紹介させて頂きました。
 
    藤橋家homepage             http://www.fujihashiya.com/
    たまごや通心(こだわりの通販)http://www.tamagoya.org/
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2012年5月 7日 (月)

お陰さまのウルトラ250km完踏 & 姫路城の歴史(88)

 5月2日(水)から4日(金)の3日間にかけて開催された第24回山口100萩往還マラニック大会のA250km部門に参加し、今回も沢山の人に導いて頂いたお陰で何とか完踏することが出来ました。250kmは、2年ぶりの2回目の参加・完踏で、前回よりタイムは2時間以上短縮し、44時間53分でゴールに辿り着きました。エントリー者数は、449名、内完踏者は、222名、完踏者最高年齢は、71歳です。
 
 
 前回は、両足首が極度の捻挫状態になり中間地点にも届かない118km(立石観音)地点でリタイアしようと決めて寝そべっていた時に、その前の年の140km部門を走った時に知り合った友人が、超ベテランのランナーとペアで一緒に後からやってきて声をかけてくれ、その人達に導かれて完踏出来た事は記憶に強く残っています。
どんな言葉をかけられたかと言うと、
『この超ベテランの方について行けば、必ず時間ぎりぎりで完走できるから一緒にいらっしゃい。』
という言葉でした。私は、この言葉を聞いた瞬間、不思議にも、自分も完踏出来るんだという、とても強い確信を持てたのでした。
 
 
 今回の大会の感想を述べる前に、この250km大会の要項やコース等に付いて簡単に紹介させて頂きます。
この山口萩往還マラニック大会250km部門は、5月2日の18時に山口市の県庁近くの国宝瑠璃光寺を出発します。5月4日の18時の48時間以内に、またこの瑠璃光寺に戻ってくれば良いという大会です。
途中13か所で記帳を必ずしなければなりませんが、人様にご迷惑をかけなければ、何処で寝ようが休もうが、どれだけお酒やビールを飲もうがお構いなしの自己責任型の大会です。
実際に、食事時生ビールを何杯も飲みながら、本当に楽しんで完踏されている方がおられます。
 
 コースについて簡単にご紹介致します。山口市瑠璃光寺を出発し、南西に進みJR上郷駅で右折し日本海の俵島を目指し北西に向かって進路を取ります。
途中 豊田湖畔、俵山温泉、新大坊を通過し、油谷(ゆや)湾にそって海沿いを走り、俵島を一周し、川尻岬へ行きます。この辺りの景観がとても美しく、急な斜面に広がる棚田がとても印象的です。
川尻湖からは日本海沿いに立石観音、千畳敷、そして、青海島の鯨墓往復、鎖峠、三見(さんみ)駅を通り、萩市に入ります。萩の落ち着いた美しい町並みを抜け、虎ケ崎を一周し、萩市に戻り、後は、山口萩往還道の峠越えをする険しい山道を走りゴールを目指します。
 
今回の大会では、終始降り続けた雨と、膝の痛みと睡魔の調整を如何にするかが課題だった様に思います。雨対策は、この度一緒に参加した高校時代のサッカー部の友人が出発前にスーパーで
透明の72Lゴミ袋を調達してくれて、ハサミで首と腕の所をくり抜き雨具として活用出来た事がとても大きな助けになりました。睡魔については、寝たければ寝れば良く、宗頭の休憩所で10分、虎ケ崎の食堂で20分、あと、道脇のベンチなどで2~3分の短い仮眠を何度か取る事ができ、その度ごとに元気を回復し、走り(歩き)続けました。
 萩市内はちょうど200km地点位になります。この時の膝の痛みと睡魔は厳しく、もう二度と参加し
ないぞと思いながら走っていました。もうリタイアしようかなと何度か思いかけた一番の山場でした。
 
 ただ、やはり今回も強く感じたのが、一般的に云う限界というのは勝手に自分自身が心の中で作ってしまっているものだということです。
逆に、走り終わった時にはもう足が動かない状態で、膝もパンパンに腫れていてよくぞやったなという気持ちもありましたが、一緒に参加した友人の体調や、他の人のことをみていると私なぞ大したことがないと改めて強く感じています。
 
中村天風哲人のお言葉をお借りすると、人間には宇宙のもつ無限の力と結び得る尊い働きをもっており、また感謝と歓喜という感情をより多く心に持てばもつほど、その宇宙の力を沢山に受け入れることが出来るということです。
だから、私は、ランニングをしながらいつも心の中で、そして、時には声に出して唱えている言葉があります。
 
  嬉しい。楽しい。ありがとう。感謝します。ついてる。愛してます。リスペクト。
  1、2と息を吸って、3、4、と息を吐く、その息を吐く時に唱えるのです。
 
今回も沢山の方に助けられました、
殆ど眠りながら歩いてコースを外れかけていた時に声を掛けてくれた方(何度も)、
これまでのランニング経験で掴んだ事を一緒に走りながら丁寧に教えて下さる方(何人も)、体調も良くない中、黙々と途中まで一緒に走ってくれた友人には何かとアドバイスをもらいその一用懸命な姿に力をもらいました。
 参加者の中には、かなりレベルの高い方がおられます。その方々の走りをこの目で見るだけでも強く感じるものがありますが、色々なお話を聞くと更に自己のレベルの低さが良くわかり、大いに奮い立たされます。
 
なにしろ、楽しく、痛く、眠たく、面白く、3日間に渡る贅沢な遊びをさせて頂きました事に、
日頃よりお世話になっております皆様にこの場をお借りして御礼を申し上げます。
 
お陰さまの完踏、先ずは、元気にスタート台に立てるだけでも感謝。
この大会を支えておられる沢山の方々がおられてこそのこの3日間。楽しませて頂きました。
 
人生は心一つのおきどころ。
人間の心で行う思考は、人生の一切をつくる。
心頭滅却すれば火もまた涼し。
 
色々な言葉が次から次へと思いだされますが、
日日鍛錬、日に新た、日日に新たに、又日に新たならんと。
心の持ち方、そして、言葉を大切にしてこれからも邁進して参ります。
 
最後までお読み頂きありがとうございます。
 
 
 
   
   
* * * 姫路城の歴史(88) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *
 
 
姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。
 
第88回目は、  姫路城の歴史 
      シロトピア公園からの清水門 『 名水「鷺の清水」』をお届けします。
 
「清水門」の枡形内にある屋根付きの井戸は、古くから名水として知られた「鷺の清水」を、
江戸時代の姿に復元したものです。「鷺の清水」は播磨守護神・赤松義村が選んだ「播磨十水」の一つで、よく茶の湯に利用されたといいます。
ある時、22代城主・本多政朝(まさとも)は今日の町人と、京都の「柳の水」と姫路の「鷺の清水」のいずれがうまいかについて言い争いとなります。そこで政朝は、双方、同じ時刻に水を汲み、同じ樽に水を入れ、同じ時刻にさせます。そして今日から出発した者と姫路から出発した者が出会った場所に、茶の湯の好む人々を集め、その優劣を決しようとします。
 しかし双方の水で茶を立て皆に飲ませたものの優劣は付かず、この2つの水は他の水より明らかに美味しかったため、「さては名水じゃ」と都の噂になり、喜んだ政朝は、この時からこの井戸に覆屋(おおいや)を設け、屋根付きの井戸としたと伝えられています。
   
  
 
以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P58 から
       シロトピア公園からの清水門 『 名水「鷺の清水」』を紹介させて頂きました。
 
 
 
    藤橋家homepage             http://www.fujihashiya.com/
    たまごや通心(こだわりの通販)http://www.tamagoya.org/
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    放映番組~いま、輝いてます~のYou Tubeです。
    http://www.youtube.com/watch?v=GJ15H13ZaRw

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