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2012年6月25日 (月)

“上場企業の株主総会の議案の脅威” & 姫路城の歴史(94)

 この6月末の今週は、3月末決算の上場会社の株主総会が各地で開催されます。
株主総会というのは、会社の取締役や監査役を選任したり、決算案の承認以外にも重要な決議が行われています。また、上場会社であれば、自由にその会社の株式が購入し、株主総会にも参加でき議案の上程も出来るようです。
また、巨額の資金があれば会社を買収することもできます。
 
 今週株主総会が行われる、数社の議案書に目を通していると、一つはその内容の重大性と、もう一つは、余りにもバカげた内容である事に驚き、まさに驚嘆し、大笑いをしましたので、本日は、上場会社2社の株主総会議案を一つずつピックアップし紹介させて頂きながら、企業経営や企業防衛について少し考えてみたいと思います。
 
 
 
まず最初は、その内容の重大性に驚いた、電力会社・関西電力の総会議案です。
 
 
第15号議案 定款一部変更の件(2)
▼提案の内容
「第1章 総則」第2条第1号を以下のとおり変更する。
1 電気事業
 ただし、原子力発電の運転を禁止する。
 
▼提案の理由(抜粋)
・・・・「異常に巨大な天災地変」がきて想定外の原発の大事故が起きたとしても当社の取締役は責任を取れるのか。想定外のことが起きるから、大事故は引き起こされる。責任をとれない会社が、原発を運転することは絶対出来ない。
 
この提案に対してもちろん取締役は反対意見を述べています。
○取締役会の意見(抜粋)
 わが国は、エネルギー自給率が4%と極めて低く、原油価格の高騰や化石燃料調達先の特定地域への依存など、さまざまなリスクに直面しております・・・・
・・・政府においても、大飯発電所第3、4号機について、これまで当社が実施してきた対策により安全性の確保が図られており、福島第一原子力発電所の事故と同様の事故は起きないものとの判断がなされております。
 当社は、規制の枠組みにとどまることなく、安全性向上対策を自主的かつ継続的に進めていくことが不可欠であると考えており、今後も、福島第一原子力発電所の事故に関する新たな知見への対応や諸外国の動向も踏まえた最新の知見への対応も含め、原子力発電所の安全性向上対策を着実に実施して参ります。
 したいがいまして、取締役会は本議案に反対します。   とあります。
 
この議案は株主128名(議決権数964)からの提案によるものです。
 
 
 
 もちろんこの議案は、否決されるのと思います。しかしながら、例えば、ある国が国家的な戦略で巨額の資金を投入し、あらゆる陰謀を行い、日本の経済や、生活基盤のインフラを機能出来なしようとたくらみ、株主総会をのっとり議事を進めればどうなるのか!? などと、私は大げさに考えてしまいます。
 
 日本の経済基盤を支える企業が、海外の企業に買収されたり、乗っ取られたりという話はこれまでにも何度も聴いてきました。今日本の国土(土地)が、海外 特に中国や韓国に買収されているという事実は、日本の法律の不備と防衛意識の欠如と合わせて、大いなる脅威として問題になっている事は皆さまもご存知の通りです。
 
 株式の上場の制度においても、国を守るという考えが基本的になくてはならないのだと強く感じ議案の内容でした。
 
 
 
 
 次は、野村(証券)ホールディングスの議案を紹介致します。
 
 
議案は19号議案までありますが、取締役会は、第2号議案から19号議案までの全ての議案に対して反対しています。その内容はあまりに馬鹿げており、腹を抱えて笑ってしまうものがほとんどです。
次に紹介させていただく、第12号議案はその極めつけと言えるものです。
 
 日本を代表する野村証券の株主総会に、この様な馬鹿げた提案をする人が存在するという事も、私にとっては、大きな驚きであり、自らの常識を見直し変更するチャンスを頂いたような気がします。
 
第12号議案 定款一部変更の件(日常の基本動作の見直しついて)
 
提案の内容:貴社のオフィス内の便器はすべて和式とし、足腰を鍛錬し、株価四桁を目指して日々ふんばる旨定款に明記するものとする。
 
提案の理由:貴社はいままさに破綻寸前である。別の表現をすれば今が「ふんばりどき」である。
      営業マンに大きな声を出させるような精神論では破綻は免れないが、和式便器に毎日またがり、下半身のねばりを強化すれば、かならず破綻は回避できる。できなかったら運が悪かったと諦めるしかない。
 
 事実は小説よりも奇なり、という言葉がありますが、平成24年6月27日(水曜日)午前10時から東京のホテルオークラ本館1階「平安の間」で、この様なバカげた沢山の議案が真剣に審議されなければならないことを想像すると、この総会を司る会社の経営者の方々に心より同情申し上げると同時に、常に冷静な心で対処されることを心より祈念致しております。
 
 今回の一部上場会社の株主総会議案を読むという事を通して、色々なことに関心を持ち接することで、社会の変化や動きを捉えることも出来ると感じました。
 
 
本日も最後までお読み頂きありがとうございます。
 
 
 
 
* * * 姫路城の歴史(94) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * * 
 
 
 
姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。
 
第94回目は、 姫路城の歴史 『姫路城を鎮護する「男山八幡宮」』をお届けします。
 
 「男山」の中腹にある「男山八幡宮」は、赤松則村(のりむら)(円心)の次男・赤松貞範(さだのり)が、1346年(貞和2)、初めて姫山に城を築いた時、この城の鎮護神として築いた神社で、当時は「雄徳山(おとくやま)八幡宮」と呼ばれていたといいます。その後も「男山八幡宮」は、姫路城鎮護守として、歴代城主の崇敬を集め続けました。
 
 
以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P61 から
             『姫路城を鎮護する「男山八幡宮」』を紹介させて頂きました。
 
 
 藤橋家homepage     http://www.fujihashiya.com/
 たまごや通心(こだわりの通販)http://www.tamagoya.org/
 姫路ケーブルテレビ WINK“たまごや”
    放映番組~いま、輝いてます~のYou Tubeです。
     http://www.youtube.com/watch?v=GJ15H13ZaRw

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2012年6月11日 (月)

“習慣は第二の天性” & 姫路城の歴史(93)

“習慣は第二の天性”という言葉は、これまでに幾度となく耳にし、また、色々な方の

お話を読ませ頂きながら、何か絵空事のような感覚で取らえていたと反省しています。
 
 先日読んだ、月刊誌致知6月号の「連載・二十代をどう生きるか」の第二十回に登場された、キャノン電子社長の酒巻久さんのとても解りやすい、簡単な言葉で綴られた実践哲学を読み、“習慣は第二の天性”という言葉が自分なりに理解でき記憶され、大切な教えとして日日の生活で活かしていきたいと感じました。
その酒巻久さんのお話を簡単に紹介させて頂きます。
 
酒巻久さんのプロフィール(致知6月号より):
昭和15年生れ。42年キャノン入社。VTRの基礎研究、複写機開発、ワープロ開発、総合企画等を経て、平成8年常務取締役生産本部長。11年キャノン電子社長に就任し、環境経営の徹底により6年で売上高経常利益率10%超の高収益企業へと成長させた手腕で注目される。著書に『ドラッカーの教えどおり、経営してきました。』などがある。
 
酒巻さんは、“習慣は第二の天性”について次の様に話をされています。
 
『私がこうした「習慣」にこだわるのは、それが第二の天性とも呼べるものだからだ。
 習慣になるまで努力すれば、頭でいろいろと考える前にさっと体が動く。つまり自分が天から授かった能力と同じになるのだ。』
 
また、実社会でモノを言うのは、頭の良し悪しや能力の有無ではなく、「やる気」の如何である。自ら多くの経験を積み、たくさんの本を読んで、掲げた目標にいかに早く到達させるか考える癖をつけておけば、想像以上に早く進歩していけるものだと、自分の経験からも感じる。
 
 酒巻氏がこういわれる通り、入社した昭和42年に日本で初めて完全週休二日制が導入されたキャノンに居りながら、二十代には土日もほどんど休まず、ひたすら仕事に没頭し、毎晩十一時二十分の終電に飛び乗り、帰宅すると深夜の一時。そのまますぐに眠りにつき、翌朝5時半には家を出ると言う生活を続けらていたそうです。
 
何故土日に出勤したり、遅くまで残り仕事をかというと、当時のキャノンには実験の計測器等が多くなく、自由に使えるのは皆が退社したあとであり、待ち時間などの時間のロスを省き研究・実験を進め、人の2倍以上の速度で仕事を終わらせて、残りの時間を違う分野の手伝いをするようにして自分を磨くためだったということです。
 
そして、酒巻氏は次の様にメッセージを送られています。
『仕事に対する取り組みで何よりも強く問われるのは「この仕事をやりたい、やり遂げて成功させたい」という執念である。自分の力はこれくらいだ、などと初めから諦めたりせず、若い時には何事にも果敢にチャレンジしていってもらいたい。』
 
私は、この“習慣は第二の天性”という酒巻さんのお話から、毎朝、決めた時間に一発に、喜びと感謝の気持ちで目を覚まし飛び起きたいという思いが強くなり、これを実践しようとする、執念にして参ります。
 
もう一つ酒巻久さんのお話を紹介致します。
この言葉は、酒巻さんの入社時からの恩師の教えです。
この“色眼鏡でものを見るな”の話もこれまで何度も聴いてきましたが、これほど解り易く心に入って来たのは初めてではないかなと思います。
 
『色眼鏡でものを見るな。ありのままに、素直にものを見なさい。仮に赤の眼鏡を掛けると、そこに赤色があったとしても見逃してしまう。技術開発も商品作りも“俺が”という思いを持った時点で間違うから自分自身を殺した形で真正面から見なさい。』
 
最後に、世界を代表するエステシャンであり、ホテルの経営者でもある今野華都子さんの次の言葉を思い出し、読み返し、本日のおたまはん日和を締め括りたいと思います。
 
  『 心は行動となり、行動は習慣を創り
    習慣は品格を創り、品格は運命を決す。』
 
本日も最後までお読み頂きありがとうございます。
 
p.s.
必見!! 感動のプロポーズ。
友達から youtube の動画の紹介がありました。
http://www.youtube.com/watch?v=3-xB7CjZxso&feature=player_embedded
 
この感動的なプロポーズが、世界で大きな反響を呼んでいるそうです。


 
* * * 姫路城の歴史(93) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

 
姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。
 
第93回目は、姫路城の歴史 『武家町の風情の残る「男山界隈」』 をお届けします。
 
「播磨鑑」によると、その昔、広峰山の麓に長者屋敷と呼ばれる家があり、ここの主人は旅人に石の枕を与え、夜中に天井から石を落として殺し、その血を取って染め物を作っていたそうです。ある日、この屋敷に若い侍が泊るのですが、この屋敷の娘が侍を哀れに思い、このことを告げ、二人でこの屋敷から逃げ出しますが、ついに二人は捕まり、殺され
てしまいます。そしてその後、男が逃げ込んだ山を「男山」、女が逃げ込んだ山を「姫山」
と呼ぶようになったということです。
 この「男山」の周辺は、幸いにも大西洋戦争での空襲の被害を免れたため、曲がりくねった細い路地や蔵のある古い家など、城下町の風情が今も残っています。
男山の山頂は現在、公園となっており、ここから見る「姫路城」は絶景で、その麓にある「水尾神社」の入口には、1679年(延宝7)に27代城主・松平直矩(なおのり)の寄進した石鳥居が残されています。

 
以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P60 から
           『武家町の風情の残る「男山界隈」』を紹介させて頂きました。
 
        藤橋家homepage             http://www.fujihashiya.com/
        たまごや通心(こだわりの通販)http://www.tamagoya.org/
        姫路ケーブルテレビ WINK“たまごや”放映番組~いま、輝いてます~のYou Tubeです。
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2012年6月 4日 (月)

”6月2日(0602)はオムレツの日” & 姫路城の歴史(92)

オムレツで、日本をふわっとハッピーに!

 当社が所属する“たまご”のある会が、「オムレツの会 運営委員会」を立ち上げ、6月2日を「オムレツの日」と制定し、先週の6月2日(0602)に、東京市ヶ谷の江上料理学校において、フレンチシェフ ムッシュこと 小早川陽青氏 をお呼びして、第1回目の『オムレツの日』のイベントを開催致しました。
 
オムレツの日とは、0602の単なる語呂合わせから始まったことですが、
次の様に、「オムレツの会 憲章」を作っておりますので、ここにその憲章を掲げます。
 
         オムレツの会 憲章
 
一、「オムレツの日」を6月2日に制定する。
二、「オムレツの良さ」を楽しく広めていく。
三、「オムレツの良さ」とは次の5つ
  ①オムレツは、ヘルシー料理! タマゴの栄養たっぷりだ!
  ②オムレツは、クイック料理! フライパン一つですぐできる!
  ③オムレツは、エコノミー料理! お手軽タマゴで財布に優しい!
  ④オムレツは、アクション料理! 作ればカラダも活性化!
  ⑤オムレツは、ライフ料理! 朝から晩まで、老若男女、毎日一生食べられる!
四、我々はオムレツで日本をふわっとハッピーにしていく!

『オムレツの日』のイベントには、公募でお越し頂いた方や、プレス関係の方を含め50人近いかたが集まり楽しく開催されました。
 
メインのイベントは、ムッシュ小早川氏による楽しく勉強になるオムレツの料理ショーです。
 
今日お伝えしたいことは、ムッシュ小早川氏が焼くシンプル極まりないレアーのオムレツが、本当においしかったということですが、オムレツの日のイベントについて説明をさえて頂きながらオムレツの作り方も簡単に紹介させて頂きます。
 
ムッシュ小早川氏は、大のオムレツ好きです。
というのにも理由があります。
ムッシュ小早川氏は、料理界に入った駆けだしの頃、航空会社のキッチンで毎日オムレツを焼き続け腕を磨いておられました。そして、修行のためにフランスに渡った時、そのオムレツを焼く腕前が認めら、直ぐに調理場に立ち調理ができる幸運を掴んだのです。
 
また、ムッシュ小早川氏が作ったオムレツの美味しいさがフランスの大物を感動させたことで、日本に残していたフィアンセをフランスに呼び、盛大な結婚式を開催してもらったなど、オムレツは彼の人生を幸運に導く、エンジェルの様なものなのです。
 
ムッシュ小早川氏のプロフィール http://www.chante.info/profile.htm
イベント会場で、披露されたムッシュのオムレツを焼く腕前は、やはり一流です。
会場のみんなが唸ってしまいました。
初めに、「プロは35秒に1個、オムレツを作るもんだ!」と豪語されていましたが、実際は1個を30秒ほどで焼かれていました。次から次へと“レヤー”のオムレツがムッシュの手で焼かれ、会場のみんなは本物のオムレツを堪能させてもらいました。うっ~うまい!!
 
ムッシュ小早川氏のつくるオムレツの材料は、シンプルで何も特別なものを入れる訳ではありません。

 
次にムッシュ小早川氏のオムレツの作り方を簡単に紹介します。
 
1.フライパンの選定が最も大事 フライパンは傷がなく、背の角度が緩やかなのが
  良い。
2.用意するもの、たまごは3つ と、塩・コショウ、サラダ油のみ。
3.たまごは、平らな固い板で割る。お椀の角等では決して割らないこと。
  殻が飛び散ります。
4.たまごの混ぜ方は、お箸で 黄身に十文字を入れ、軽く5~6回混ぜるだけ。
5.熱したフライパンにサラダ油をひいて焼き、葉っぱ型に形を整える。
  ・ジュッっと音がするまでフライパンを熱し油をひき、4.の卵をいっきに入れます。
  ・軽く混ぜて火を通しながら、たまごを一方に寄せて葉型に丸める。
   箸より、ヘラが簡単。
   この辺りは残念ながら言葉では説明し辛いのでお許しください。 
 
プレーンの“レアーオムレツ”を次から次へと焼き上げた後に、
【酒やワインの肴】に合うオムレツを数種類披露して下さりました。
 
その中でもシンプルで変わっていて、美味しいのが、“芝漬け入りのオムレツ”です。
これは、芝漬けをみじん切りにしてたまごに混ぜ合わせ、焼くだけです。
後は、大葉と大根おろしを付け合わせます。日本酒にも合う逸品でした。
 
今回の第1回の『オムレツの日』に参加された方々は、ムッシュ小早川氏の楽しいトークとそのオムレツを焼く一流の腕前と美味しさに、オムレツの素晴らしを教えてもらい、たかがオムレツ、されど、オムレツは、なんと素晴らしきかな!! と感動されていた様です。
一番感動していたのは、私かもしれませんが・・・    感謝・感動です。
 
オムレツで、日本をふわっとハッピーに! を合言葉に、オムレツを通して日本を楽しく、明るく、朗らかに、活き活きとさせて行きたいと、これからも『オムレツの日』の活動を進めて参ります。
 
追伸:楽天レシピ上でキャンペーン実施!“つくったよ”レポートを募集!しています。
・楽天レシピのキャンペーンページに掲載しているオムレツレシピを参考にして
 作ったオムレツを写真に撮って、“つくったよ”レポートを投稿してください。
 その際に、「夢コメント」を80文字以内で記載してもらいます。
 キャンペーン特典として、“つくったよ”レポートを投稿いただいた方に、
 楽天スーパーポイントを20ポイントプレゼントさせて頂きます。
 
本日も最後までお読み頂きありがとうございます。
 


* * * 姫路城の歴史(92) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *
 

姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。
 
第92回目は、姫路城の歴史『「不動院」と東山焼の藩窯跡』をお届けします。
 
 清水橋を渡って右手にある「不動院」は、かつては「長谷寺」と呼ばれ、姫山山頂にあったと伝えられます。しかし羽柴秀吉の築城の際、現在の「総社御門」付近に遷され、その名を「不動院」と改め、1870年(明治3)に現在の地に移転しました。この「不動院」の裏手には、1701年(元禄14)から1795年(寛政7)頃に作られた石灯籠や万霊塔、三十三観音石仏などの多くの石造が残っています。また1831年(天保2)頃には、藩政改革で有名な酒井家の名家老・河合道臣(みちおみ)が振興した「東山焼」の藩窯(はんよう)が築かれ、1883年(明治16)頃まで続けられていました。

 
以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P60 から
    『「不動院」と東山焼の藩窯跡』を紹介させて頂きました。
 
        藤橋家homepage             http://www.fujihashiya.com/
        たまごや通心(こだわりの通販)http://www.tamagoya.org/
        姫路ケーブルテレビ WINK“たまごや”
    放映番組~いま、輝いてます~のYou Tubeです。
                                      http://www.youtube.com/watch?v=GJ15H13ZaRw

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