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2012年7月30日 (月)

空手道世界チャンプ塚本徳臣の「天地一つ」 & 姫路城の歴史(99)

 今日は人間学を学ぶ月刊誌「致知」8月号から、

インタビュー『我が空手道は「天地一つ」』を読み返しながら、史上最年長の世界王者と

なった塚本徳臣氏の哲学を学び直してみます。

まず、塚本氏の紹介を 致知より原文を抜粋します。

 第6回全国空手道選手権大会で優勝し、史上最年少の21歳で世界王者となった

塚本徳臣氏。一度は頂点を極めながらも、心の不調和からどん底の状態にまで陥った

塚本氏は、苦節15年を経て、37歳にして史上最年長の世界王者に返り咲いた。

氏は如何にして心身を立ち直らせ、再びその栄冠を手にしたのか。

 塚本徳臣氏は、空手において肉体的に強い事は勿論ですが、心のあり方で勝敗が

左右されると確信されています。実際、世界大会のベスト8ともなると、実力の差は殆ど

なく、そこで勝ち上がって行けるかどうかは、その人間の心次第なんだと。

そして、心が奇麗である事も大切であると言われています。

 塚本徳臣氏は21歳の時、市場最年少で世界大会で優勝したあと、マスコミ等で持て

はやされて自分が天才だと勘違いし、また我慾に捕らわれてしまい、家族もバラバラに

なり、当麻に手を出すなどめちゃくちゃになってしまいます。それでも2年後何とか復帰

して、優勝もしますが、32歳で引退しようかなと思っていた大会で優勝した後輩の塚越氏

の謙虚な心とその姿勢を目の当たりにして、自分にはこういう心がなかったと気づかされ、

心のあり方を勉強しようと決意されます。おのれ自身と戦おうと。

 塚本氏は、中村天風先生や空海、そして御釈迦様の書を読みます。

その中で御釈迦様悟りを開かれた時の話に大きな影響を受けます。

「琴の弦は締め過ぎると切れてしまう。締め方が弱いと音も悪い。

琴の弦は中くらいに締めるのが丁度よい」という歌を聞いて、荒行をやめて、

そして八つの行いを省察していくことで七日目に悟りが開けけたと。

 その「八正道」とは、「正しく見、正しく思い、正しく悟り、正しく仕事をし、正しく

仕事をし、正しく生活をし、正しく道を精進し、正しく念じ、正しく反省と瞑想」と有り、

この八正道を日日の反省の原点として、塚本氏は修行に取組まれていくのです。

 また、塚本氏は、アダムという天才ヒーラーのどんな病気もエネルギーを使って

治療できるという次の言葉にふれます。

「宇宙のエネルギーを体の中に取り入れて、それがお腹を通って、足の裏から地球の

真ん中と繋がるイメージを持つと、宇宙のエネルギーで治せる。私は宇宙と一つ」

 この言葉にふれた時、塚本氏は、柳生石舟斎の話を思い出します。柳生石舟斎が、

後に師匠となる上泉伊勢守に勝負を挑んで負けた時いわれた言葉、

「技の研鑚は素晴らし。だが、あなたの心の中は己のみである。」と。

この言葉に対して柳生石舟斎は問い返します。

「ならば、剣とはなんですか。教えてください。」

問われた上泉伊勢守(かみいずみいせのかみ)は、天を指さして、

 「我が剣は、天地一つ」 と言うんです。

 塚本氏はそれから、宇宙と一つになることだけに集中すると、走るタイムも上がり、

また、組手をやっても格段に動きが良くなっていったと言われます。
 

 そして、宇宙と一つになることにだけに集中すると、相手の気持ちが分ったり、

次にどんな技を出そうとしているのかが読めるようになるとも言われています。

 塚本氏は次の様に言葉を続けられます。
「天地一つとはつまり、自分も相手も一つだということです。そう気づいた時に、

憎しみ合っていた親戚を許そうと思ったんです。そうしたら、僕は何も言っていないのに、

親戚から突然手紙が届いたり、お米を送ってくれたりしました。」

 塚本氏は、天地一つに気づいて、自分が幸せになって、周りも幸せになったので、

「天地一つ」をこの世に伝えることが己の使命であるとして命を懸けていかれると

結ばれています。

以上です。本日も最後までお読み頂きありがとうございます。

 

 * * * * 姫路城の歴史(99) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * * * * 

姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

第99回目は、姫路城の歴史 『 姫路城で戦争はあったのか? 』をお届けします。

 池田輝政の築城以前には、姫路城のすぐ側にまで敵が攻め寄せたことは幾度か

あったものの、姫路城で戦闘が行われたという記録は一切見つかっておらず、

江戸時代には戦争すら起こっていません。唯一の戦闘といえるのは、1868年、

朝敵となった姫路藩に岡山池田藩が砲撃を加えた時ですが、これも即座に姫路藩が

降伏したため戦争には至りませんでした。

  結局、姫路城は築城以来、一度も戦争を体験したことのない「不戦の城」でした。


以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P63  から

            『 姫路城で戦争はあったのか? 』 を紹介させて頂きました。

 

*藤橋家homepage             http://www.fujihashiya.com/
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2012年7月23日 (月)

天風会“夏期修練会(4日間)”に参加 & 姫路城の歴史(98)

 平成24年度の 中村天風「心身統一法」夏期修練会 in 神戸が、713()から16()迄の4日間の日程で開催され参加して参りました。昨年に続き二度目の参加となります。

 今回は過去最高の132名の方が全国から集まり、神戸布引の滝の近くにある大きな徳光禅院の御堂も意気盛んな天風会会員でいっぱいになりました。

 修練会の内容は、朝の戸外実習の天風式3つの体操(呼吸操練、統一式運動法、積極体操)に始まり、先生から講義を受ける時間、真理瞑想と安定打坐(天風式座禅)や、心の使い方の実習や、観念の力の実習等があります。

 と言葉を連ねただけでは、天風先生の教えをご存知の無い方は、何の事かさっぱり解らないかもしれません。

 今日の「おたまはん日和」では、私が二回目の参加で特に印象に残った、心の使い方実習について、その内容と何を学んだかを想い返してみようと思います。

 心の使い方・実習というのは、インスピレーションの事で、言葉無くして相手に自分の意思を伝える事です。その内容とは、一番の初歩実習が、先ず7~8名のグループになり円を作ります。真中に座布団を置いて、そのメンバーから5つの物を集めその座布団の上に置きます。

 今回の品物は、ボールペン、扇子、ライター、小さな手帳、私の携帯電話、だったと思います。一人が目をつぶり後ろを向いている間に、どれか一つを内緒で選び、それが何であったかを言葉は無しで、インスピレーションで当る(理解する)というものです。

順番でグループの全員が行います。

 その方法は、皆が手をつなぎ、順番になった人が其の5つの物を一つずつ一つずつ手に取って行きます。選ばれた物をその手に取った時、知っている周りの人が、言葉ではなく、意念(強い気持ち)だけで「それだ!それだ!」と伝えようとするのです。

 初めて参加した昨年は、私の順番は後の方で、先にされる先輩会員の方々が当り前の様に当てていかれたので、私も出来ると普通に思い、わりと強い感覚で簡単に何であるかが解りました。

 しかしながら今年は、昨年のあの強い感覚を追い求め様とする気持ちと、自分の考えに捕らわれて素直な気持ちになれませんでした。最初に安っぽいボールペンを掴んだ時に、不思議に何かを感じたのですが、自分の気持ちの中で、この安っぽいボールペンではなく、自分の携帯電話であると勝手な思い込みをして解らず、再度、想いをふっ切り、再度一つずつ5つの物を持ち直して、これしかないとボールペンを取り上げ当たりました。

 翌日の心の使い方実習では、二人がペアになり、前後に並び、片手で手を繋ぎます。

後ろの人が、前の人に、前進、ストップ、右に曲がる、左に曲がる等と意念を送って行きます。私は先に意念を送る役をすると、先輩会員の方は、殆ど間違いなく意念を捉えて下さりました。その現実を体験して、私が意念の受ける立場になった時、初めはどうすれば良いのかと考えてしまい、何も感じるものが有りませんでした。

 先輩会員の方に私の意念が伝わり動かれたという事実を自分の自信に変えて、目をつぶり、心を集中して無心になろうと思った時、何故か体が動き出したのです。

 天風会では、これくらいの事は当り前で、達人になると、百名以上の会員の方から特定の数名を選び出し、鐘を取ってきて座布団に座らせて、鐘を鳴らさせるという事も普通にされていました。

 初回の去年は、その凄さに驚いて、インスピレーションという事ばかりに捕らわれていましたが、二回目の今回は、どうすればこの様になれるのかというだけではなく、この実習において、何が大切で、何を理解せねばならないのかという事が少し理解ができた様です。

 それは、天風先生が説かれる、観念要素の更改法という、潜在意識の浄化と積極化などの心身統一法を毎日実践することがとても大切で、特にその中でも、天風式座禅法という安定打坐の真の価値を理解し、日日怠らず実践して、一瞬でも良いから心の鏡を払拭させる修養を続けていくいう事です。

 その修養を続けていくことで、いつか、天風先生がいわれる無念無想の境地に到入する事が出来る様になるのだと信じて。

本日も最後までお読み頂きありがとうございます。

 

 

* * * 姫路城の歴史(98) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

 

姫路円卓会議発行の姫路ぶらぶらから姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

98回目は、姫路城の歴史『 男山付近をぶ~ら ぶら 』をお届けします。

 姫路を中心とする播磨の文壇は、椎名麟三(しいなりんぞう)、和辻哲郎、阿部知二、初井しづ枝、三上参次、辻善之助、井上道泰、有本芳水、岸上大作など多くの文人を輩出しています。

「姫路文学館」は、こうした播磨ゆかりの文人たちを顕彰し、あらゆる文学活動の拠点とすることを目的とした施設で、その建物は安藤忠雄氏設計による現代建築として知られています。

「姫路文学館」の北館には、古代から幕末までの播磨の文化風土を展示した「播磨曼荼羅」や播磨の文人たちを紹介する「文人展示室」があり、南館には播磨と深い関わりのある

「司馬遼太郎記念室」が設けられています。また敷地内にある「望景亭」は大正時代初期に建てられた和風建築の建物で、和室、茶室、廊下、棟門、石垣が国の登録有形文化財に登録されています。また館内にある「Cafe Chambre(カフェ シャンブル)」では、自家焙煎の味わい深い珈琲が楽しめます。

 

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック姫路ぶらぶら P63 から
     『 男山付近をぶ~ら ぶら 』を紹介させて頂きました。

 

藤橋家homepage     http://www.fujihashiya.com/
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2012年7月16日 (月)

呉善花先生の“韓国人から見た日本人” & 姫路城の歴史(97)

先週の710日の火曜日に、ロータリークラブの西播第一グループの合同例会が開催され、その時、呉 善花(オ・ソンファ)先生の講演を聞かせて頂きました。

演題は、標題に掲げた通り「韓国人から見た日本人」でした。

 

 呉()先生は、人間学を学ぶ月刊誌「致知」で、以前に何度か登場されており、講演録や、村上和雄先生との対談から、日本文化の研究についてはある程度知っていたつもりでしたが、この度、呉()先生のお話を直接機会を得て、日本と韓国はとても似ているが、全く違う価値観を持っているということを改めて気付かせて頂きました。

 本日は、呉先生が講演でお話になられた日本人と韓国人の言葉や生活習慣、そして、考え方のちょっとした違いを再度ここで見直すことで、私はまだ一度も行ったことがない最も近い隣国である韓国に対する理解を少しでも進めれればと思って綴ってまいります。

 さて、呉先生の略歴をR.C.の会議の資料からそのまま紹介させて頂きます。

昭和31年韓国、済州島生まれ。4年間志願で女子軍隊生活をする。

1983年に来日、大東文化大学(英語学)留学生となる。

その後、東京外国度大学大学院修士課程(アメリカ地域研究)終了。

現在、執筆のかたわら、拓殖大学国際学部教授。 

著書『スカートの風』、『私がいかにして日本信徒となっかた』、『日本語の心』など多数。

一言付け加えますと、呉先生は、自らを著書の題名にある通り日本信徒と言われています。

 さて、呉先生にとって、この講演当日の710日が来日されてちょうど29年目に当たる記念日なのだそうです。だから、呉先生は、「今日は、私の29歳の誕生日です。」という自己紹介か講演が始まりました。

 日本への留学の目的は、その当時、お金が余り無かったこと、そして、学業の成績がずば抜けて良くなかったことで、あこがれのアメリカへの留学は直接出来ず、そのアメリカへ行くステップの為に来日されたそうです。

 

 韓国では、反日教育を受けていたので、強烈な反日少女だったそうです。来日する前は、日本人の事を野蛮人だと思っていたそうです。だから、来日されてから2年間は日本食を食べず、日本文化にも染まりたくないと抵抗されていたそうです。

 私にとって、韓国が国家的に反日教育をしているということが信じられないことですが、これは、月刊致知の20094月号の村上和雄先生との対談で次の様に説明されています。

 根元に中華思想の伝統がある様で、中国が中心で、そこから離れていくほど野蛮で未開だという考え方から、中国が父親的立場であり、日本は弟分である。だから、弟分の日本が韓国を侵略したことが許せない。こういう考えが基本にある様です。

また、韓国は、侵略を受けることが多く、二千年の歴史の中で、千回以上も侵略を受けたそうです。その中で、中国やロシア、北方民族からの侵略は仕方ないけど、弟分の侵略は許せない・・・このような感情は、致知を読むまで、私は今まで全く知りませんでした。

 そんな呉先生ですが、来日して一年は、反日教育と現実の違いに驚き、日本人の優しさや親切さにふれ、そして、安全な暮らしの中で好意を持ち掛けたそうです。でも2年目位から、また日本人が全く理解できなくなり、やっぱり日本人は野蛮人だと思う様になってしまいました。これは、日本人がお何を考えているのかが解らない、また、日本人は、自己の内面をなかなか見せようとしないという思い込みからだったそうです。

 呉先生は、来日してから5年目位で、日本人を理解できない何かの理由があるのではないかと気づき、それを探し求めていくことが呉先生の仕事となって行くのです。

 呉先生は、日本と韓国の一番の大きな違いは、日本語には受動態(受身形)があり、韓国語には、受動態がないことに気付きます。

呉先生が日本にしかない受動態と、能動態しかない韓国の言葉を例に次の様に説明されています。

 たとえは、自分のテーブルに水を後で飲もうと思って置いていたが、いざ飲もうと思ったら無くなっていた・・・

その時、韓国人は、「誰かが水を飲んだ!」という言い方しかしません。能動態です。

そうするとそれを聞いた第三者はどんな印象でしょうか。

飲んだ人に意識が行き、「犯人は誰だ!」という人を責める気持ちになります。

韓国人は、ここに快感を得るのだそうです。

 

 その時、日本人はどうでしょう。普通の日本人は、「水を飲まれた。」という言い方をすると呉先生は言われています。韓国人の能動態とは違い、他者への責任追及ではなく、自分に意識が行き、こんなところに水を置いておいた「私の責任だ。」という気持ちに日本人はなり易いのだそうです。

日本では、「女房に逃げられた・・・」

これに対して、韓国では、「女房が逃げた!」としか言わず、そして、必ずその女房がどれ程悪いかを人に主張するそうです。

日本は、「女房に逃げれた・・・」、と表現し、その言葉の中に、「奥さん一人守ることができずなんとだらしない・・・」

という反省の気持ちが入っているのだと呉先生は言われています。

日本人は、泥棒にまで、「泥棒に入られた・・・」と言う。その言葉には、泥棒への憎しみの気持ちは弱く、荒らされた家の状況が思い浮かんでくるかもしれません。

韓国人は、泥棒には、「泥棒は絶対許さん!」という気持ちから、「泥棒が押し入った!」という言葉になります。

英語にも受動態はありますが、日本の受動態は世界でもまれな表現の仕方だそうです。

特に、日本人は、何をする時に、「○○○ をさせて頂きます。」と表現しますが、

例えば韓国では、受動態がないことから、「○○○ をして差し上げます。」という

謙譲の反対の、上からものを見る言葉になってしまうそうです

日本人には、『負けるが勝ち』という言葉がありますが、韓国人には理解できない事だそうです。

食器についても、韓国ではピカピカ光輝く、均一に整ったステンレス製を愛しますが、日本人には、ステンレスは安っぽく感じます。

逆に、形の歪んだような、くすんだ色の陶器に高い価値を日本人は認めますが、多くの韓国人にとっては理解できないことの様です。

食べ方も違います。

日本人は、お茶碗を手に持ちご飯を食べますが、韓国人は、お茶碗やお皿には手を触れることは、逆に、いけないことなのだそうです。

又、咀嚼(そしゃく)についても日本人はあまり音を立てませんが、韓国人は音を立てることこそ、美味しいという意味の表現なのだそうです。

 一番びっくりした話は、靴を揃えるか揃えないかということで、

日本人は、直ぐに履きやすいように踵を手前に合わせるのが当たり前のことですが、

韓国は、揃えないか逆向きでが良いようです。

 呉先生も大学留学時代に、同じ韓国の留学生の友達が、日本人の友達の家に招かれた時、その日本人の友人のお母さんが靴を揃えてくれたことに驚き、立腹したそうです。

日本人の様に靴を揃えることは、早く帰れという意味だそうです。

まだまだ、楽しい文化の違いの話はありますが、どちらが良いとか悪いとかというのではなく、

お互いが理解し合う為には、知っておかねばならないことだと思います。

日本人の私としては、二千年の歴史の中で、一千回の侵略を受けた韓国の歴史の厳しさを理解しなければならないと思います。

その厳しさから学ぶことは、日本は、元寇の襲来はありましたが、本格的な侵略と征服をされたのは、大東亜戦争でアメリカと連合国に破れた1回だけしかなく、ただ、昭和20815日のポツダム宣言受諾から昭和27428日にサンフランシスコ講和条約が発効され独立を回復する迄は、主権がなかったとはいえ、たった一度の敗戦に屈せず今こそ、日本人の美徳を世界に発信し、国家の発展が、世界の発展と平和になれるような国家をつくる一人となりたいと思います。

 呉先生の言われるのは、日本語が持つ世界でも本当に特殊な受動態(受身形)の言葉や、韓国人や欧米人は「どんな生き方が正しいか、理想的か」を求めるに対して、

日本人は、「どんな生き方が美しいか」という美意識で生きている人達で、「詫び」、「寂び」、「もののあわれ」という様な美意識を持っている国民も特異稀であると言われます。

この様な考え方は、韓国人の呉先生や欧米の海外の方からは理解するのは難しく、少なくとも5年の歳月が必要なのだと言われます。

 日本の文化や考え方が、世界でも特異稀である事を日本も気付き、また、東日本大震災以後、世界でブランドとなっている『日本人』そのものに、日本人が誇りを取り戻し、この特殊性で、世界平和の為の力になって行って欲しいんだと、呉先生は言われていたのではないかと、私の勝手な理解で締め括らせて頂きます。

 

最後までお読み頂き有り難うございます。

   

  

  

* * * 姫路城の歴史(97) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

姫路円卓会議発行の姫路ぶらぶらから姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

97回目は、姫路城の歴史 お城の基礎知識『 城下町の使い方 』をお届けします。

 城下町にある町人町の役割は、今日の商店街といった役割だけではなく、城の防御における重要な役割を果たしていました。例えば街道沿いには二階建ての「町屋」を隙間なく建て並べ、さらに街道を屈曲させたり、T字路やのこぎり状にしておくと、城下町にも侵入した敵は、「町屋」によって視界を遮られ、城へと近づくこともまた退くこともできず、まるで「城下町」という迷路に迷い込んだ鼠同然です。

 外濠に守られた姫路の城下町では、これほど複雑な街路は見られませんが、外濠の外の要衝である男山周辺や景福寺山周辺、また外濠が切れている野里周辺には、こうした迷路のような街路が今も残っています。

 

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック姫路ぶらぶら P62 から
     お城の基礎知識『 城下町の使い方 』を紹介させて頂きました。

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2012年7月 9日 (月)

7月7日 社員さんの結婚披露宴に参加 & 姫路城の歴史(96)

 7月7日 神戸のあるイタリアの田舎風の落ち着いた雰囲気のホテルで開かれた、当社社員(新郎)さんの結婚式と披露宴にお招き頂き参列させて頂きました。

 結婚式は人前(じんぜんorひとまえ)式で行われました。この人前式とは、従来の宗教儀式や昔からのしきたりに等にとらわれない、新しい形式での結婚式で、神仏に結婚を誓うのではなく、両親や親族、友人等の前で結婚を誓う挙式スタイルです。

 結婚式の進行は、新婦が父親と入場したり、指輪の交換、そして、宣誓(誓いの言葉)を交わすなどキリスト教式ですが、参列者による結婚の承認というのが大きな特徴の様です。

 二人の誓いの言葉は、強い愛情と思いやりのこもっているの伝わってきて、大いに嬉しい気持ちにさせて頂きました。

 披露宴では、挨拶もさせて頂きました。私の挨拶のあと、当社の副社長の乾杯の音頭で披露宴がスタートするという流れでした。

 

 私の挨拶では、事前に新郎に質問をさせて頂いており、その答えを皆様の前で披露させて頂きました。


 
 

その質問の内容の一つ目は、

あなたの夢は何ですか? に対して、

「 直近の目標願望として、富士山登頂をしたい。」

此の答えに対して、来年の夏に、新郎が幹事として会社で希望者を募り、研修会を行いましょうと約束させて頂きました。

 


 
 

二つの目の質問は、あなたの一番大切にしていることは何ですか? に対して、流石に答えを披露されるのが解っているので、

「 新婦と一緒に過ごして居る時間が一番大切です。

 これからは今以上に大切にしていきたいです。」という優等生のお答えでした。

 


 
 

三つ目の質問は、皆さんの前で私から言って欲しい事は何かありますか? に対しては、

「 未婚の友人も多いので、社長として、「結婚」や「結婚生活」についての教訓やアドバイスなど何か言葉は欲しい。」という事でしたので、

 私からは、私の尊敬する偉大なる 中村天風哲人 の言葉を紹介させ頂きながら、一言添えさえて頂きました。

 今日は、私の話はさておき、天風哲人が、調和についてどのような御言葉を述べれらていたかをここでお披露目したいと思います。

 

 

 

その天風哲人のお言葉とは、次の通りです。

「 調和という事は真善美の美に該当するもので、

          それは探究すべきでなく作為すべきである。」

 

 

  

 結婚すれば自然に幸せな、そして、調和・ハーモニーある生活が送れる様になるわけでは決して、決してなく、

「調和ということは、幸福というものと同様で、常に心に心して自ら進ん

 創り出すべきものであるということを決して忘れてならないことである。」

と、天風哲人は言葉を繰り返されています。



 

 特に、調和や平和を求めようとすれば、先ず第一に家庭において

感情的にならないという事である事を天風哲人は次のように説明されています。

 

 

「家庭以外の人にたいしては忍べることも、家庭内においては断然忍べな

 い。

 それどころか、忍ぶ必要がないようにそれを当然のことの様に思っている
 人がいかに
多いかである。

 よくよく考えてみれば、家庭生活の大部分を感情重点主義で行われている
 様な人が、
自分自身自己のその点を知る知らざるとを問わず、それが習性
 化されている人々が
社会や国家を形成している限りは、勢い世界平和とい
 うものは、その実現の日を遠い
将来におかざるをえなくなると思われる。」
 

「真の平和とは、お互いが克己し、お互いが自制し、お互いが相譲り、相敬

 い、相愛し、相楽しみ、相導き、相助け合う、という完全調和の美しい気

 持ちが、家庭組織の各 個々人にもたれているということが、何よりの先
 決条項である。」

 愛情溢れる、とても和やかな 結婚式と披露宴に参加させて頂き、幸せな気持ちにさせて頂いたと共に、ご挨拶をさせて頂くことで、自らの人生を振返り反省もさせて頂きました。 という報告です。

最後までお読み頂きありがとうござます。

 

 

 

* * * 姫路城の歴史(96) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *

 

 

姫路円卓会議発行の姫路ぶらぶらから姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

96回目は、姫路城の歴史 『姫路城の弱点 』をお届けします。

 姫路城の西には「男山」と「影福寺山」という2つの小山がありますが、この二つの小山は姫路城の最大の弱点といわれています。池田輝政が姫路城主となった時、輝政の老臣たちもこの2つの小山の存在を気にかけ、別の城地を選ぶことを薦めますが、このとき輝政は「小分(しょうぶん)な事を申すものじゃ。何事も言わば、この城に籠城などするものか、大地に斬って出て大勝利を得るまでじゃ」と語ったといいます。しかし幕末、鳥羽伏見の戦いに敗れ、朝敵となった姫路藩に対し、岡山池田藩が姫路城に

迫り、この2つの小山に陣取って、姫路城に砲撃を加えました。この時、姫路藩は無抵抗のまま開城したため、戦闘には及びませんでしたが、一部の砲弾が城内に落下し、備前門の一部が壊れました。

 こうした弱点を羽柴秀吉や池田輝政も、ただほっておいた訳ではなく、両山の麓に寺や神社を建て、その周辺には侍屋敷を配置して、まるで小城のような造りとし、その周囲に近づけないような工夫がなされています。

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック姫路ぶらぶら P62 から
              『 姫路城の弱点 』を紹介させて頂きました。

 

 

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2012年7月 2日 (月)

インドネシアンパワー & 姫路城の歴史(95)

 昨日7月1日までインドネシアに行ってきました。インドネシアのジャカルタを拠点に車で日帰りで動ける地域を視察して来ました。
 
 インドネシアに行って一番に感じたのが、活気です。エネルギー漲るパワーです。
旅行の目的は、このエネルギーを丸ごと吸収してくる事と、2億4千万人近い、世界第4位の人口を誇り、経済の大きな成長途上にあるこの国とご縁を持ち、事業を通して何かの役に立ち、アジアにおけるビジネスを展開したいと願っての事です。
 
 今回は、インドネシアとお付き合いをされている方の紹介で初めて訪問さて頂きました。インドネシアといえば熱帯気候で、国民性は、とても明るく穏やかで、町の中で目が合うと、ほとんどの方が気持ちの良い笑顔を返されます。
 
 到着して翌日に視察に行った田園は、ジャカルタから距離としては150kmもなかったと思いますが、道路事情があまり良くなくこと、そして、交通渋滞にも度々巻き込まれ片道5時間近く掛りました。現地で視察や打ち合わせを行いジャカルタのホテルに戻ったのが夜中の2時を過ぎて居いました。
案内をして頂いた現地会社の会長様は、全く疲れを見せることもなくご対応頂きました。
そんなことからインドネシアの方は、かなり勤勉である事とも感じました。
 
 インドネシアの歴史を辿ると1800年ころからオランダの植民地となり、それ以来過酷搾取をされ続けますが、1万8千以上といわれる島の数や、国土の広さや、民族の多様から、インドネシアは独自の文化をしっかりと守ってこられたとも感じました。
 
 大東亜戦争で日本のインドネシア進攻によりオランダからの支配から逃れます。
その後、日本の敗戦の翌日1945年8月17日に独立を宣言し、1949年12月のハーグ会議で独立の承認を得るまでオランダと戦いますが、日本はインドネシアの独立にも大きな力となった事はまぎれもない事実です。オランダ植民地時代は、インドネシア国民への愚民化政策により行わていなかった教育も、日本の軍事統制化において初等教育らか高等教育までの教育制度の充実が図られました。この教育制度の充実化は、インドネシアの独立にとって大き意味があることは私でも充分理解できます。
 
 色々な方にお世話になり、パワー溢れるインドネシアを垣間見て、昨日帰国しましたが、到着したのが日曜日の夜10時前であったこともあり関西国際空港も余りにも閑散として
インドネシアとは対照的すぎて少し驚きました。神戸空港までベイ・シャトルで海を渡り、三ノ宮から電車で姫路まで帰ってきましたが、帰国して明確に気付き愕然としたのは、日本人の多くの人の目に力がないことです。これはかなり危険な状態であると、一緒にインドネシアに行かれた社長さんも同様にぼやいておられました。
 また、若い殆どの方が、周りの事に全く関心を持たず、絶えず携帯電話やスマートフォンに見入り、指を触れ続け一人きりの世界に埋没していることも異様に感じました。
唯一元気なのは、海外旅行から帰って来られたご婦人の方々でした。
 
 さて、インドネシアにご縁を求め、事業の可能性を求め行って参りましたが、何か大いな可能性とでもいうもを感じて帰国出来たと思います。
私の心の中にある国境という心の壁を打ち砕き、自己、そして、自社の存在がアジアという大きな世界の中で役に立ち、人の世のためになるという事を目標にし、そして、お役に立つという事を通して、自己と自社をより高い価値あるものにしていきたいと夢見ております。
 
最後までお読み頂きありがとうございます。
 
 
* * * 姫路城の歴史(95) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * * 
 
姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。
 
第95回目は、姫路城の歴史『千姫が遥拝した「千姫天満宮」』をお届けします。
 
 男山の中腹にある「千姫天満宮」は、1623年(元和9)に千姫が建立した神社で、千姫が城内の楼櫓(ろうろ)からこの神社を遥拝するために、その社殿は東に向かって建てられているといいます。
 言い伝えによれば、千姫は1621年(元和7)、愛息・幸千代が夭逝(ようせい)して以来、子宝に恵まれないのは、前夫・豊臣秀頼の祟りだとして、この地に「千姫天満宮」を建立し、自らの念持仏である「天満大自在天神」の木像を安置したのだと伝えられています。
その際、千姫はその所持した金泥法華経、観音経などと共に羽子板を寄進しており、姫路城大天守3階に展示されているのは、その羽子板のレプリカです。
 今日、「千姫天満宮」には見事、想いの人を射止めた千姫にあやかろうと、恋愛成就を願う女性が多く訪れ、社殿の横には羽子板の形をした絵馬がたくさん掛けられています。
この羽子板型の絵馬は、社殿の下にある「水尾神社」で購入できますが、社務所が閉まっている際は、神社の東になる「定行酒店」で購入できます。
 
 
以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”のP  から
               『「」 「」』を紹介させて頂きました。
 
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