“ひとつ拾えばひとつだけきれいになる” & 姫路城の歴史(106)
先日、姫路商工会議所青年部が主催する講演会で、鍵山秀三郎先生のお話を聞
かせて頂きました。その題名は、本日の標題『ひとつ拾えばひとつだけきれいなる』
です。今日は、鍵山先生のお話を振返りながら、鍵山先生のお話された人間の根本
的な活き方について考え直してみたいと思います。
講演会の当日も先生は、朝4時半に起床され、関東での午前中の講演会の為に、
5時過ぎに自宅を出られ電車に乗られました。その朝の電車の中には、一人も幸せ
そうな人がいなかったそうです。疲れ果て朝から寝る人、不機嫌な顔をしている人、
携帯電話に釘付けになり小さな世界であがいている人。身なりはそれなりに立派で、
食べるに困っている訳でありません。
先生のお話の冒頭は、朝の電車の中の光景から、人の幸せってなんでしょう?と
いう問いかけから始まりました。そして、人の幸せとは、人を喜ばせる人、人に当てに
される人、人から頼られる人になる事だと。大きな事で無く、ほんの小さな事で良いから、毎日の生活の中で一つ一つ、いつも人を喜ばせようと活きて下さいと説かれました。
人を喜ばせる例えとして、タクシーの運転手さんにチップを渡す事。タクシーに乗って
何を言っても返事をしない不機嫌な運転手さんが、お支払いする時に、710円の料金
に、千円札で支払いをして、お釣りをどうぞお受け取り下さいと言った瞬間、人間が変
わった様に、愛想よく上機嫌になられたそうです。少しの気持ちで、運転手さんに喜ん
でもらう。それは、自分の見栄の為ではなく、小さな喜びを作ること、また、次にその
タクシーに乗った方が、少しでも気分よく応対してもらえるようにとの気持ちでチップを
お渡しするそうです。
また、先生は、成功と失敗のお話もされました。
成功の反対は、なんですか? 多くの人は即座に、「成功の反対は失敗」と答えるかも
しれません。先生は説かれます。本当の失敗とは、「何もしないことである。」
何もしないという失敗ほど、大きな失敗はないということです。
よく私は、「そのうちそのうち、」といってやるべき事を先延ばしにしてしまっているのでは
ないかと反省させて頂きました。
出来る人と出来ない人の考え方の差を次の様に表現されていました。
出来ない人は、「そのうち、まとめて、一氣にやろう!」そして、あげくの果てには、
誰かがやってくれる、と思ってしまっている。
出来る人は、 「毎日、出来るだけ、少しでも、私がやる!!」
鍵山先生が二十歳の時、車の部品会社に就職されます。その会社の職場環境は、
劣悪でとても汚かったそうです。先生は決意されます。その会社を変えるんだと。綺麗
な職場にするんだと。先生は、朝早く起きて、7時から一人で掃除を始めます。
住込みの環境下で、先輩達から途轍もない苛めも受かられたそうです。
その会社を変えるか、それとも自分が辞めるか。そういう状況の中で、辛抱強くその
会社を変革されていかれたそうです。
その会社の経営者も鍵山先生の努力に賛同し、会社は変わり、有名な俳優さん達が
来るお店に変貌していったとの事です。しかし、経営者の経営に対する基本的な考え方が、人を喜ばせるという様な心から、全くかけ離れていた為、そこで得た地位と高額な
給与を捨て、若き日の鍵山先生は、独立の道へと進まれて行くのです。
市川団十郎氏の言葉も紹介されていました。
貨車に沢山の重い重い荷物が載せられていました。その貨車を最初に動かす時には、
沢山の人が精一杯の力で押さなければ動き出しません。しかし、一旦動きだすと、僅か
一人の力で、ほんの少しの力でも動き続けるのです。それは、0(ゼロ)から1(いち)、
何もない所から何かを始める時は、とても大きな力が必要であるということです。
あるユダヤ人の言葉を紹介されていました。
「0から1への距離は、1から1000までの距離より遠い。」
人は、どのような活き方をすればよいのかということにもふれられていました。
大阪の佐藤さんという詩人が、19歳で事故で亡くなった 天才詩人奥井理(みがく)を評して、『あなたは死んでも、なお活き続けているんですね。』と言われています。
佐藤さんは、天才詩人の逆の生き方を『一方で、生きていても死んでる様な人がいる。』
と言っているそうです。それは、自分さえよければよいという生き方をしている人のことを
評しての言葉なのです。
『死んでも、なお活き続ける人』とは、「あなたも良ければ」、「あなたさえよければ」と
言う、いつも人様を喜ばせ、人の世の為に役立つ活き方をしている人のことなのです。
鍵山先生は、なぜ便所掃除や、ゴミ拾いを実践されているかというと、心は取りだして
磨けないから、心にゴミがたまってしまうし、心の鏡は曇ってしまう。だから、磨けるもの
を磨いていれば心は磨かれる。先生が、便所掃除をするのは、ゴミを拾うのは、自分の
心のゴミを取り省き、心を磨く為にされているのだそうです。
ゴミを拾いましょう。周りを奇麗にしましょう。少なくとも自分の半径3メートルの所から。
本日、鍵山先生のお話をまとめ直しながら、先生の優しいオーラが伝わってくる様な
感じがしています。ゴミを拾います。何事も、人様を喜ばせることを念頭に置いて活きて
いきたいと感じています。
最後に、奥井理氏の 『 生きることの素晴らしさ 』 という詩を紹介させて頂き締め
括りたいと思います。この詩は、『19歳の叫び』という奥井理氏の遺作・遺稿集から
紹介させて頂くもので、鍵山先生が、以前 月刊誌致知 で、奥井氏の事を紹介されて
いたので、求めたものです。
『 生きることの素晴らしさ 』
朝、風呂に入って思った。
エゴを捨てて、自分にとらわれないで
前向きにやっていれば、人生は楽しくなる。
自分にとらわれなければ
人生に対しても、見方が180度変わってくる。
僕は奇跡的にこの世に生まれてきた。
そして今、人間として生きている。
しかし生れてなかったら、人間という生物のいる
地球という素晴らしい惑星のことも知らないで、というより無い。
そう思ったら、すごく生きていることが素晴らしいことに思えた。
常にこんな風に思えたら良いと思う。
自分にとらわれて、エゴに支配されても
何一つ良いことがない。エゴを捨てて生きるのはすごく辛いけど
いいことがたくさんある。
生れてこなかったら、一つも知ることができない。
奇跡的に生れてきたのだから、一つでも多く知りたい。
目に見える物すべてを、素晴らしいと思いたい。
本日も、最後までお読み頂きありがとうございます。
* * * * * 姫路城の歴史(106) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * * * *
姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。
第106回目は、姫路城の歴史『 姫路藩の藩校「好古堂」 』をお届けします。
好古園前にあった「好古堂」は酒井家の子弟のために建てられた藩校の学校で、こう
した学校は「藩校」と呼ばれます。日本で初めての藩校は、1669年(寛文9)に備前藩主・池田光政が開いた「岡山学校」で、この光政は池田輝政の孫で、幼い頃、姫路城の20代城主を務めた人物です。酒井家の藩校「好古堂」は、1692年(元禄5)、上野国前橋で開校され、1749年(寛延2)、40代城主・酒井忠恭(たたずみ)が前橋から姫路に移封になるのに伴い、「好古堂」も移設されました。ここ「好古堂」では、儒教の経書である四書五経の素読と習字を中心に、剣術・槍術・柔術など武道も行われ、家老・河合道臣(みちおみ)(寸翁)の開いた私塾「仁寿山(じんじゅざん)高校」とともに、藩の行政改革に携わる優秀な藩士を数多く輩出しました。
以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P67 から
『 姫路藩の藩校「好古堂」 』を紹介させて頂きました。
藤橋家homepage http://www.fujihashiya.com/
たまごや通心(こだわりの通販)http://www.tamagoya.org/
姫路ケーブルテレビ WINK“たまごや”
放映番組~いま、輝いてます~のYou Tubeです。
http://www.youtube.com/watch?v=GJ15H13ZaRw
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