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2012年9月24日 (月)

“ヒーリング能力を育てる7つのステップ” & 姫路城の歴史(107)

 7月30日のこのブログで、「天地一つ」という題名で、史上最年少の21歳で空手の世界王者になり、また、37歳にして、史上最年長の世界王者に返り咲いた塚本徳臣氏の話を紹介させて頂きました。その塚本氏のインタビューの文章の中で、塚本氏が最年長で世界王者に返り咲く前に、柳生石舟斎の師匠である上泉伊勢守の言葉 「 我が剣は、天地一つ 」という言葉の意味を悟られます。
 その伊勢守の言葉を理解させてくれたのが、16歳のカナダ人のアダムという天才ヒーラーの著書に書かれていた、グラウンディングという話だったのです。
その天才ヒーラー・アダムには、癒し(ヒーリング)という特別な才能を持ち、その特別な能力で殆どの病気を治す事ができます。
先日その天才ヒーラーの著書『ドリームヒーリング[光の手による量子のヒーリング]』
を読み、その中に、上記のグラウンディングを含め、誰でもヒーリング能力を育てることができる7つのステップというものが紹介されていたので、今またここで読み返し、その7つのステップが如何なるものだったのか復習し直してみようと思います。
 
 何故ヒーリングにより病気を治す事ができるのでしょうか? この本の中にその驚くべき内容が書かれていますが、簡単に言うと、その患者のエネルギーの流れを正しい流れに変えたりする様な事で、量子力学の基礎をいくらか理解する必要がある様です。

アダムのヒーリングについての次の言葉を抜粋します。
「ぼくはヒーリングのとき、・・・その人の量子ホログラムとつながり、意図的にその人の体に情報を送り、体に変化を起こさせる・・・」
 この本の中には、アダムのヒーリングにより、実際に末期といわれた膵臓癌を治した伝説のロッカーロニー・ホーキンスへの遠隔ヒーリングについても紹介されています。ヒーリングで末期癌も直してしまうことなど信じ難いことかもしれませんが、米国という国は、一般的には非科学的とも言えるヒーリングという事も、国家プロジェクトとして研究を進めているのです。
 殆どの病気を治せるアダムですが、ヒーリングを受ける人の心の状態がとても大きな影響を及ぼすともアダムは言われています。その言葉の幾つかを紹介します。
「人の体というのは驚くほど複雑で、体には、いつでも心の中が反映されるのだ。」
「心配をするのは時間の無駄だ。心配は病気を引き寄せるだけと知ること。」
「想像力は知識より重要だ。想像力は世界を包みこむ。」

 
 そろそろ本日のメインテーマ“ヒーリング能力を育てる7つのステップ”を紹介させ
て頂きます。ズバリ7つ順次ご紹介します。

 
1.自分のエネルギーを感じ、それを意識する。
 自分のエネルギーを感じるには、手のひらを円を描くようにこすり合わせる。手のひらの中央に意識を集中する。熱の発生を感じる。・・・そうしたら、手のひらを2、3センチ離して、互いにひきつけ合う感覚を確認する。・・・
エネルギーの流れがぼくたちの生命の力だ・・・。

 
2.腹式呼吸をし、それを意識する。
 深く呼吸をする。多くの人は通常とても浅い呼吸をしていて、実際は酸素不足のよう
な状態になっている。

 
3.エネルギーをグラウンディングさせ、その流れを意識する。
 この文章は、先に紹介しました、空手の世界王者・塚本氏が悟りを得た話でもあり、私も非常に大切に思う内容ですので全文紹介させて頂きます。
 1つ呼吸するごとに、頭の上やあなたの周りにある空気とエネルギーを吸いこむ。
息を吐くときは、体の前面からエネルギーを下のほうに押しやり、それが足の裏から地球の中心に向かって抜けていくところを想像する。足の裏が地球の核とつながっているのを感じよう。息を吐くことで、あなたはこの星の上のすべてのものとつながる。
息を吐くことがあなたを宇宙のすべてのものと結びつける。これがグラウンディングだ。これがエネルギーシステムのつながりに気づくということなのだ。
 グラウンディングはあなたのオーラをほかのエネルギーシステムと1つにすることで、身体的なエネルギーと強さを増進させる。あなたのオーラを清め、一般にあなたの健康を改善する。

4.水を飲む
 水を飲むこと。それもたくさん!ぼくたちは水を基本とした生き物だ。体は、毎日コップ8杯の水を飲むことを要求する。ぼくたちの体の80%は水でできており、ぼくたちはそのことに気を配らなくてはならない。コーヒーや紅茶、ミルク、炭酸飲料は水の代わりにはならない。・・・
・・・ぼくたちはとてつもない能力を持った体を与えられている。それを当り前だと思ってはいけない。

 
5.ほかの人たちとの情緒的な結びつきを育てる。
 愛情に満ち、安定した人間関係は、健康にも強く、ポジティブなな影響を与えることがわかっている。・・・

 
6.現在形でポジティブに考え、その効果を感じる。
 自己のポジティブな思考の力は、心と体、感情、精神の各面でのバランスをとるために役に立つ。このバランスがぼくたちみんなに力を与え、夢をかなえさせ、ぼくたちを健康に保たせる。過去は終わったこととして、未来への恐れは不毛なものとして、現在にとどまることだ。
 本当にしたいと思うことを心に思い描き、実際にやってみよう。自分に長続きのする変化をもたらすことができるのは、自分自身しかない。自分の内側を見つめることで、新しい自分を生み出すことができる。自分の気持ちと自分の力に注意して、それを調節し、コントロールする。
 心静かに迷走状態に入っていこう・・・
 

7.あらゆるもの、あらゆる人がつながっていることを理解(そして感謝)する。
  クモの巣の様に、あらゆるものは、全宇宙のあらゆるものに影響を与えている。
 ぼくたちのうちのうちの1人がとったポジティブな考え方や行動は、他のすべての人に影響を与える。・・・
  人生に感謝しよう。これが大事だ。・・・
 
 ここまで、徳間書店から出版されてる。
 “[光の手による量子のヒーリング]ドリームヒーラー” の文章を紹介させて頂きましたが、270ページの内容のほんの僅かを紹介出来ただけです。
 実際にこの本をお読み頂ければ、驚きの世界を垣間見ながら、人間はどの様に生き
れば、健康的に恵まれ、幸福な人生を実現できるのかということを学べると思います。
お勧め致します。

 
本日は、これにて締め括らせて頂きます。
最後までお読み頂きありがとうございます。

 
* * * * * 姫路城の歴史(107) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * * * * 

 
姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。
第107回目は、姫路城の歴史 『 榊原政岑 と 高尾大夫 』をお届けします。
 48人もいる歴代姫路城主の中で、異彩を放つのは、35代城主・榊原政岑(まさみね)です。

政岑は1741年(寛保元)、江戸新吉原・三浦屋の太夫(たゆう)・十代目「高尾」を、2500両
もの大金で落籍し、側室としたことで有名で、「風流大名」とか「好色大名」などと
呼ばれており、側室となった「高尾」が暮らしたのが、現在「好古園」となっている
「西御屋敷」でした。

 大名が遊女を側室とすること自体は珍しいことではありませんが、政岑が「高尾」
を落籍したのは、8代将軍・徳川吉宗が、質素倹約を旨とする「享保の改革」を行って
いた最中のことで、政岑のこの派手な行動は、将軍への反逆行為と看做され、政岑は、
蟄居(ちっきょ)・隠居を命じられ、榊原家は越後国高田への懲罰的な転封となります。
 姫路では毎年6月、立町の長壁神社で「ゆかた祭り」が行われますが、この祭りは、
姫路を去ることになった政岑が、高尾太夫から江戸・神田の祭りの楽しい模様を聞く
内、姫路でもそんな祭りをと考えて始めたもので、この時、政岑は自らゆかた姿で、
高尾とともに城下に浮かれ出たと伝えられます。

 
以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P67 から
    『 榊原政岑 と 高尾大夫 』を紹介させて頂きました。

 
*藤橋家homepage     http://www.fujihashiya.com/
*たまごや通心(こだわりの通販)http://www.tamagoya.org/
*姫路ケーブルTV WINK“たまごや”放映番組~いま、輝いてます~のYou Tubeです。
http://www.youtube.com/watch?v=GJ15H13ZaRw

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2012年9月17日 (月)

“ひとつ拾えばひとつだけきれいになる” & 姫路城の歴史(106)

 先日、姫路商工会議所青年部が主催する講演会で、鍵山秀三郎先生のお話を聞
かせて頂きました。その題名は、本日の標題『ひとつ拾えばひとつだけきれいなる』
です。今日は、鍵山先生のお話を振返りながら、鍵山先生のお話された人間の根本
的な活き方について考え直してみたいと思います。

 講演会の当日も先生は、朝4時半に起床され、関東での午前中の講演会の為に、
5時過ぎに自宅を出られ電車に乗られました。その朝の電車の中には、一人も幸せ
そうな人がいなかったそうです。疲れ果て朝から寝る人、不機嫌な顔をしている人、
携帯電話に釘付けになり小さな世界であがいている人。身なりはそれなりに立派で、
食べるに困っている訳でありません。
 先生のお話の冒頭は、朝の電車の中の光景から、人の幸せってなんでしょう?と
いう問いかけから始まりました。そして、人の幸せとは、人を喜ばせる人、人に当てに
される人、人から頼られる人になる事だと。大きな事で無く、ほんの小さな事で良いから、毎日の生活の中で一つ一つ、いつも人を喜ばせようと活きて下さいと説かれました。

 人を喜ばせる例えとして、タクシーの運転手さんにチップを渡す事。タクシーに乗って
何を言っても返事をしない不機嫌な運転手さんが、お支払いする時に、710円の料金
に、千円札で支払いをして、お釣りをどうぞお受け取り下さいと言った瞬間、人間が変
わった様に、愛想よく上機嫌になられたそうです。少しの気持ちで、運転手さんに喜ん
でもらう。それは、自分の見栄の為ではなく、小さな喜びを作ること、また、次にその
タクシーに乗った方が、少しでも気分よく応対してもらえるようにとの気持ちでチップを
お渡しするそうです。

 また、先生は、成功と失敗のお話もされました。
成功の反対は、なんですか? 多くの人は即座に、「成功の反対は失敗」と答えるかも
しれません。先生は説かれます。本当の失敗とは、「何もしないことである。」
 何もしないという失敗ほど、大きな失敗はないということです。
よく私は、「そのうちそのうち、」といってやるべき事を先延ばしにしてしまっているのでは
ないかと反省させて頂きました。

 出来る人と出来ない人の考え方の差を次の様に表現されていました。

出来ない人は、「そのうち、まとめて、一氣にやろう!」そして、あげくの果てには、
誰かがやってくれる、と思ってしまっている。

出来る人は、 「毎日、出来るだけ、少しでも、私がやる!!」

 鍵山先生が二十歳の時、車の部品会社に就職されます。その会社の職場環境は、
劣悪でとても汚かったそうです。先生は決意されます。その会社を変えるんだと。綺麗
な職場にするんだと。先生は、朝早く起きて、7時から一人で掃除を始めます。
住込みの環境下で、先輩達から途轍もない苛めも受かられたそうです。
その会社を変えるか、それとも自分が辞めるか。そういう状況の中で、辛抱強くその
会社を変革されていかれたそうです。
 その会社の経営者も鍵山先生の努力に賛同し、会社は変わり、有名な俳優さん達が
来るお店に変貌していったとの事です。しかし、経営者の経営に対する基本的な考え方が、人を喜ばせるという様な心から、全くかけ離れていた為、そこで得た地位と高額な
給与を捨て、若き日の鍵山先生は、独立の道へと進まれて行くのです。

 市川団十郎氏の言葉も紹介されていました。
貨車に沢山の重い重い荷物が載せられていました。その貨車を最初に動かす時には、
沢山の人が精一杯の力で押さなければ動き出しません。しかし、一旦動きだすと、僅か
一人の力で、ほんの少しの力でも動き続けるのです。それは、0(ゼロ)から1(いち)、
何もない所から何かを始める時は、とても大きな力が必要であるということです。
 あるユダヤ人の言葉を紹介されていました。
「0から1への距離は、1から1000までの距離より遠い。」

 人は、どのような活き方をすればよいのかということにもふれられていました。
大阪の佐藤さんという詩人が、19歳で事故で亡くなった 天才詩人奥井理(みがく)を評して、『あなたは死んでも、なお活き続けているんですね。』と言われています。

佐藤さんは、天才詩人の逆の生き方を『一方で、生きていても死んでる様な人がいる。』
と言っているそうです。それは、自分さえよければよいという生き方をしている人のことを
評しての言葉なのです。

『死んでも、なお活き続ける人』とは、「あなたも良ければ」、「あなたさえよければ」と
言う、いつも人様を喜ばせ、人の世の為に役立つ活き方をしている人のことなのです。

 鍵山先生は、なぜ便所掃除や、ゴミ拾いを実践されているかというと、心は取りだして
磨けないから、心にゴミがたまってしまうし、心の鏡は曇ってしまう。だから、磨けるもの
を磨いていれば心は磨かれる。先生が、便所掃除をするのは、ゴミを拾うのは、自分の
心のゴミを取り省き、心を磨く為にされているのだそうです。
ゴミを拾いましょう。周りを奇麗にしましょう。少なくとも自分の半径3メートルの所から。

 本日、鍵山先生のお話をまとめ直しながら、先生の優しいオーラが伝わってくる様な
感じがしています。ゴミを拾います。何事も、人様を喜ばせることを念頭に置いて活きて
いきたいと感じています。

 最後に、奥井理氏の 『 生きることの素晴らしさ 』 という詩を紹介させて頂き締め
括りたいと思います。この詩は、『19歳の叫び』という奥井理氏の遺作・遺稿集から
紹介させて頂くもので、鍵山先生が、以前 月刊誌致知 で、奥井氏の事を紹介されて
いたので、求めたものです。


『 生きることの素晴らしさ 』

朝、風呂に入って思った。
エゴを捨てて、自分にとらわれないで
前向きにやっていれば、人生は楽しくなる。
自分にとらわれなければ
人生に対しても、見方が180度変わってくる。
僕は奇跡的にこの世に生まれてきた。
そして今、人間として生きている。
しかし生れてなかったら、人間という生物のいる
地球という素晴らしい惑星のことも知らないで、というより無い。
そう思ったら、すごく生きていることが素晴らしいことに思えた。
常にこんな風に思えたら良いと思う。
自分にとらわれて、エゴに支配されても
何一つ良いことがない。エゴを捨てて生きるのはすごく辛いけど
いいことがたくさんある。
生れてこなかったら、一つも知ることができない。
奇跡的に生れてきたのだから、一つでも多く知りたい。
目に見える物すべてを、素晴らしいと思いたい。


本日も、最後までお読み頂きありがとうございます。

 

 

* * * * * 姫路城の歴史(106) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * * * *

 
姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

第106回目は、姫路城の歴史『 姫路藩の藩校「好古堂」 』をお届けします。

 好古園前にあった「好古堂」は酒井家の子弟のために建てられた藩校の学校で、こう
した学校は「藩校」と呼ばれます。日本で初めての藩校は、1669年(寛文9)に備前藩主・池田光政が開いた「岡山学校」で、この光政は池田輝政の孫で、幼い頃、姫路城の20代城主を務めた人物です。酒井家の藩校「好古堂」は、1692年(元禄5)、上野国前橋で開校され、1749年(寛延2)、40代城主・酒井忠恭(たたずみ)が前橋から姫路に移封になるのに伴い、「好古堂」も移設されました。ここ「好古堂」では、儒教の経書である四書五経の素読と習字を中心に、剣術・槍術・柔術など武道も行われ、家老・河合道臣(みちおみ)(寸翁)の開いた私塾「仁寿山(じんじゅざん)高校」とともに、藩の行政改革に携わる優秀な藩士を数多く輩出しました。

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P67 から
             『 姫路藩の藩校「好古堂」 』を紹介させて頂きました。


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2012年9月10日 (月)

“日本人の誇りを取り戻せば子供たちは変わる” & 姫路城の歴史(105)

 荒廃する一方の日本人の教育界において、日本人の誇りを徹底して植え付けることで子供たちを問題行動から立ち直らせている教育者がいる。熊本県の勇志国際高校学校校長・野田将晴氏である。

 上の言葉は、人間学を学ぶ月刊誌『致知』9月号の、『教育の本質を問う』という対談の冒頭の紹介文です。この対談は、野田校長と現役の中学校教師時代、日教組と戦い、多くの非行少年たちを更生させてきて、現在環境ビジネスの社長をされている木村社長との対談である。

 この対談の文章の副題であり、本日のこのブログの標題に掲げた“日本人の誇りを取り戻せば子供たちは変わる”という事について、お二人のお話を紹介させて頂きながら、大東亜戦争後の戦勝国アメリカにより、3S(スポーツ、スクリーン、セックス)作戦や、日本の歴史の否定、日本の神話を子供教育から排除するなどの、日本人を骨抜きにしてしまおうという人間獣化作戦がどれだけ日本人の心を蝕んできたか、そして、野田校長と木村氏はどの様に考え、行動されているのかという事を、本分を読み返しながら、考えて行きたいと思います。

 野田市は、高校卒業後熊本県の警察官になります。元号を廃止して西暦に一本化するという動きが巻き起こった時に大きな危機を感じ、30歳で警察を退職し反対運動に没頭します。その後熊本市会議員を一期、県議会議員を三期務めた後、政治の同士だった熊本叡径氏という方から、戦後の教育に真っ向から立ち向かう為に、勇志国際高校という通信制の学校を立ち上げるから手伝ってくれと言われ平成16年に学校を立ち上げ校長となられます。

 勇志国際高校の教育の基本は、一に生徒の長所を見て、それを伸ばす教育に徹すること。二つ目は日本人としての誇りを取り戻すという、二本柱であるそうです。
 
 生徒の七~八割が不登校経験者、残りの二~三割がやんちゃな行為ではみだしてしまった生徒たちで、通常の勉強は、通信教育である毎日の自宅学習ですが、大きな柱として行っているのが、二十数回実施するという四泊五日の集中スクーリングという、厳しい時間管理の下で集中して行われる、特別な合宿授業があります。
 近現代史についても徹底的に真実の歴史について考えてみる試みを行っておられます。
近現代史の中で、日本はアジア諸国を植民地化し、自ら戦争への道を突き進んでいった様に言われていますが、本当にそうなのか?

 逆に東南アジア諸国から日本がどれだけ評価されているのか、大東亜戦争前、日本はいかにアメリカから追い詰められていたか、天皇陛下は国民にとってどの様な存在でいらっしゃるのかという視点でこの時代を紐解(ひもと)いて行くのです。
 日本人の誇りさえ取り戻したら、子供たちは目の前で明らかに変わって行くそうです。
ある生徒さんは、小学校4年生からずっと不登校で、週に2回心療内科に通い、手のひらいっぱいになるくらいの安定剤を毎日飲んでいたのに、スクーリングで日本人の誇りを教えたら一回でそれが治ってしまったそうです。

 その子は不登校だったお陰で、日教組の教育に毒されていなかったことが良かったのかもしれないというコメントも有りました。
 そして、日本人としての誇りを取り戻すことさえできたら、人間としての誇りも自分に対する自信も取り戻せる。そこから夢や希望が湧いてくる。人を愛することもできるようになるということを、7年間の教育を通して、野田校長は確信したと言われています。

 また、野田校長が県警時代、二十四歳の時に青年海外協力隊でマレーシアに行った時、柔道と逮捕術の教え子(若くない)のラフティフさんというインド系のマレー人から、次の話を聞かされます。

「僕はマレー人だ。しかし誰よりも天皇陛下を尊敬している。マレーシアは何百年もの間、イギリスの植民地下にあり人々は奴隷の如く扱われた。独立は絶対に不可能と思っていた。そこに日本軍が来て僅か五十日でイギリスを追い払ってくれた。その経験が戦後マレーシアの独立に繋がった。大東亜戦争の後、日本人は謝ってばかりだけども、なぜそんなバカなことをするのか。日本人は祖国の歴史をもっと誇り高く思ってほしい、それに気づいてほしい。」と語気を強めオイオイ声を上げて男泣きに泣きながらうったえたそうです。

 このラフティフさんの言葉が、野田校長が教育というものを考える切っ掛けになったそうです。

 野田校長はこの対談の後半で次の様に語っておられます。次の言葉を紹介しながら、本日の“おたまはん日和”を締め括りたいと思います。
 『・・・、その中で一つ確信を得たのは、教育の本質とは祖国の尊い歴史と文化を次の世代に語り継ぐ営みだということでしたね。生徒と教師が祖国への誇りを取り戻せば、いまマスコミを騒がせる問題の多くは解決できるのではないでしょうか。』
本日も、最後までお読み頂き有り難うございます。

P.S.近現代史を学ぶ為の、私の推薦図書をご紹介します。
  今までにも何度か紹介させて頂いておりますが、まだお読みでない方は、
  是非一度お読みください。
 『おじいちゃん戦争の事を教えて-孫娘からの質問状』
  中條高徳著(アサヒビール名誉顧問)小学館文庫 単行本600円

 

* * * * * 姫路城の歴史(105) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * * * *

姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。
第105回目は、姫路城の歴史『 さまざまな庭園が楽しめる「好古園」 』をお届けします。
 市之橋の東に作られた「好古園」は、1992年(平成4)に開園した池泉回遊式の日本庭園で、江戸時代末期、この前にあった藩校「好古堂」に因んで、その名が付けられています。

 ここ好古園内では、 1985年(昭和60)以来の発掘調査をもとに、「西池袋」と呼ばれた武家町の町並みが再現されており、映画やテレビのロケ地にも使用されています。
 そして、各屋敷内には「築山池泉の庭」や「夏木の庭」など、趣きの異なる9つの日本庭園があり、各庭には素晴らしい石灯篭が飾られており、初夏にはホタルが舞うなど、その季節に応じた風景を楽しむことができます。

 また、この好古園の奥にある「御屋敷の庭」は21代城主本田忠政が造営した「西御屋敷」と呼ばれる下屋敷があった場所で、庭園内にあるレストラン「活水軒」では、播磨の名物である穴子料理などを楽しむことができます。さらに「茶の庭」には裏千家家元の設計・監修により建てられた本格的な茶室「双樹庵」があります。ここ双樹庵では、作法を気にすることなくお茶を楽しんでもらうことを第一と考えているため、積極的に作法を教えることはありませんが、尋ねればわかりやすく教えてもらえます。

 好古園への入場は、「姫路城好古園共通入場券」がお得で、姫路城シルバー観光ガイド
さんにガイドをお願いすることもできます。

開園時間:9:00~17:00(入園は午後4時30分まで)
 ※夏期(4月25日~8月31日)は、1時間延長
休園日 :12月29日~30日
入園料 :一般300円、小・中学生150円
     姫路城・好古園共通入場券 大人:720円 小人:280円
お問合せ:「好古園」電話079-289-4120

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”のP から
               『「」 「」』を紹介させて頂きました。

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*たまごや通心(こだわりの通販) http://www.tamagoya.org/
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2012年9月 3日 (月)

“ 素麺は、発酵食品である。” & 姫路城の歴史(104)

 昨年から入会させて頂いている姫路西ロータリークラブの先週の例会で、あの “米のささやき” で御馴染みの龍力 本田商店の本田社長様のお話を聞かせて頂きました。その卓話の題名は、『播州の発酵食品』で、播州の代表する4つの発酵食品のお話しでした。その4つの発酵食品とは、お酒、味噌、醤油、そして、なんと4つ目は素麺だったのです。
 素麺が発酵食品であるとという事を、驚きと種感動の思いで初めて教えて頂きました。

 クラブ会報に素麺がなぜ発酵食品であるのかというその話を簡単にまとめた文章がありますので、そのまま紹介させて頂きます。 

素麺・・・

 現在の形の素麺は大和の国・三輪から習って来たと言われている。
素麺には大量の綿実油が使用される。しかし素麺を茹でても油は浮いてこない。
兵庫県工業試験所が素麺の熟成過程で綿実油を分解する微生物を発見した。
微生物の力で人間にとって有利に働く事を発酵と言うことから、素麺も発酵食品と言われている。
現在、 揖保の糸の素麺組合の努力により、揖保の糸が最も高品質の素麺と言われている。
・・・管理された会員の生産したものに限って「揖保の糸」の銘柄を使用できる。

また、ヤフー百科事典に次ぎの文章を見つけましたので、素麺についての知識を少し補足して覚えておこうと思います。

手延べ素麺は寒いとき製造したものがよく、曲げてみて直に折れず、よくたわむものが良品である。できたてのものよりも梅雨期を経過したもののほうが味がよい。
素麺製造者間で「厄」ということばがあるが、梅雨期その他何かの関係で空気中の湿度が高くなると、素麺は湿気を吸収し、酵素が働いて旨味が出る。

・・・ということであります。

素麺はすぐ食べるより、一年、二年とおいた方が美味しく、“ ひね ” と言って珍重される理由がこれで理解出来ました。

本日も、最後までお読み頂きありがとうございます。

   

  

* * * * 姫路城の歴史(104)姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * * * * 

姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

 

第104回目は、姫路城の歴史『姫路城西部の守りの要「市之橋門」』をお届けします。
 姫路城の西には船場川が流れているため、姫路城の西側には「外曲輪」がなく、「清水門」と「市之橋門」の間は姫路城最大の弱点となっており、「中濠」と「船場川(外濠)」の二重の濠が敵の侵入を防いでいるものの、この二つの城門の役割は極めて重要です。
木橋を落とし専守防衛に務める「清水門」に対して、ここ「市之橋門」は敵を殲滅しようと築かれた攻撃的な城門で、むしろ城門を開け放ち、敵を門内に誘い込み、急激に狭くなった枡形で身動きの取れないくなった敵に、激しい攻撃を加えようと、左袖の「櫓門(やぐらもん)」と「隅櫓(すみやぐら)」が待ち構えています。

 
そして守兵が少ない時には、木橋を落として専守防衛に務めることも可能となります。
ちなみに姫路城の中曲輪には11の城門がありますが、これは十一を十と一と口に分解し、組み合わせると吉の文字となるからだそうです。

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P65 から
        『姫路城西部の守りの要「市之橋門」』を紹介させて頂きました。

 

藤橋家homepage     http://www.fujihashiya.com/
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         http://www.youtube.com/watch?v=GJ15H13ZaRw

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