『スマイルズの自助論より『時間厳守』& 姫路城の歴史(109)』
『スマイルズの自助論より『時間厳守』& 姫路城の歴史(109)』
先日、生まれて初めて、サミュエル・スマイルズの“自助論”を読みました。
『神は自ら助くる者を助く』という言葉で有名なスマイルズの“自助論”です。
訳者の竹内均氏がこの本の最後の解説でいわれる通り、自己鍛錬のための
不朽の名作です。
スマイルズは、人は夢や目標をしっかりと持ち、正しく日々努力する者こそしか
成功しないといわれています。
自助論の中で語られている内容は、スマイルズの次の言葉である程度を要約
出来るのでないかと思い以下その短い文章を幾つか上げてみます。
*人生の最高の目的は、人格を強く鍛えあげ、可能な限り心身を発展向上させ
ていくことである。これこそ唯一の目標であり、それ以外のものはこのため
の手段にすぎない。
*最高の人間性を獲得し、他人の役に立つ仕事に打ち込み、人間としての義務
を果たしていくことこそ、いちばん立派な生き方だ。
そして、第6章 “≪時間の知恵≫「実務能力」のない者に成功はなし”の第3項に、
「ビジネスを成功させる六つの原則」という具体的な説明がなされています。
先ずその「六つの原則」を次にご紹介します。
『事業を成功させる6つの原則』
1.注意力
2.勤勉さ
3.正確さ
4.手際のよさ
5.時間厳守
6.迅速さ
そして、今日はこの中から特にこの5番目の 『 時間厳守 』 について、
スマイルズの言葉を幾つか上げながら、時間厳守がいかに人生にとって大切で
あるかを再考してみようと思います。
・人はよく「時は金なり」というが、むしろ正しくは「時は金以上なり」と言う
べきだ。
・失われた富は勤勉によって元通りにできかもしれないが、失われた時間だけは
永遠に戻って来ない。
・その人が時間に厳格かルーズかを見れば、彼が尊敬に値するかどうかが分かる。
・時間厳守はまた、人間の良心の問題である。
・約束というものは、暗黙の了解であれ、一つの契約に他ならない。
・約束を守れない人間は、相手の時間を不当に浪費するばかりではなく、誠意に
そむく背反行為を犯しているに等しい。そんな人間は必ずや世間の評判を落とす。
以上のように考えてくると、当然のごとく一つの結論に達するとして、スマイルズ
は次の様に続けています。
「つまり、時間に無頓着な人間はビジネスにも無頓着であり、そんな人間に重要
問題の処理を信用してまかせることはできないのである。」
そして、ワシントン大統領が、自分の秘書の一人が遅刻の理由を時計が狂って
いたせいにした時の答えも紹介しています。
「それなら、ただちに新しい時計に代えるべきだ。さもなければ、私の方で秘書を
新しい人間に変えなくてはいけなくなるからね。」
誠に厳しい言葉ではありますが、時間厳守が如何に大切であるを心に焼き付けて
くれる話だと思います。
時間厳守について、中村天風哲人はその著書『真理のひびき』の中で、西洋の諺
としてこれまた厳しい、次の言葉を紹介されておられます。
「時間を重んじない人は、礼儀を知らない人間よりも以下の人である。」
私は、時間厳守というものが仕事だけではなく、人生をいき抜く上で如何に大切
であるかということを『自助論』を読み、ここに正しく認識させて頂いた事により、
会社の経営に活かすべく、先日行った中間経営計画決断式で、この『時間厳守』を
当社の“鉄板ルール”の一つに決定致し発表致しました。
そして、時間厳守ともう一つ、頂戴した案内に対しては、必ず迅速、的確、正確に
返事(返信)を返すという事も鉄板ルールとさせて頂きました。
最初に紹介させて頂いた、次のスマイルズの言葉の最も基本になるのが時間厳守
であると肝に銘じ、時間厳守を徹底していきます。
「最高の人間性を獲得し、他人の役に立つ仕事に打ち込み、人間としての義務を
果たしていくことこそ、いちばん立派な生き方だ。」
最後に、『自助論』の中で述べられている、珠玉のことばを上げながら、本日の
“おたまはん日和”を締め括りたいと思います。
*受難は天に登るための階段だ。
*逆境は、貧困に打ち勝ち障害を乗り越える勇気を与えてくれる。
成功や繁栄のほうが、むしろ人間にとっては危険なワナとなる場合が多い。
*困難と闘いながら、人間は勇気を高め、才能を磨き上げていく。
われわれの敵は、実はわれわれの味方なのだ。
*人間にとっては努力がすべてだ。
*日々のありふれた仕事をきちんと果たしていくことで、人間はより高い能力を身に
つけるものなのだ。
以上、最後までお読み頂きありがとうございます。
* * * * * 姫路城の歴史(109) 姫路ぶらぶらから原文のまま紹介 * * * * *
姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。
第109回目は、姫路城の歴史『 姫路城の資材を運び込んだ「車門」跡 』をお届けします。
「西国街道」の標石の向かいにある「車門跡」は中曲輪に置かれた11の城門の一つ
「車門」の遺構で、この門は2重の「枡形」と3棟の門からなる珍しい形状の「枡形門」
です。この門の外門前には荷車が通れる「木橋」が架けられ、西国街道から直接荷車を
引き入れたため、この門は「車道門」と呼ばれていました。
また池田輝政の築城時には、ここから直接資材を積んだ荷車を運び入れたと伝えられ、
そのために「車門」と名付けられたといわれています。
以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P68 から
『 姫路城の資材を運び込んだ「車門」跡 』
を紹介させて頂きました。
*藤橋家homepage http://www.fujihashiya.com/
*たまごや通心(こだわりの通販)http://www.tamagoya.org/
*姫路ケーブルテレビ WINK“たまごや”放映番組~いま、輝いてます~のYou Tubeです。
http://www.youtube.com/watch?v=GJ15H13ZaRw
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