“サービスの真髄を追求する” & 姫路城の歴史(112
今日は、人間学を学ぶ月刊誌致知の11月号から『サービスの真髄を追求する』という元リッツカールトンホテルの日本支社長・高野登氏と山形新幹線つばさレディーで驚異的な売上記録を保持しつつ、現在も2ヶ月更新のパート契約で社内販売で活躍する齋藤泉氏の対談を読み返し、サービスとは何かということ通じて、仕事とは何かと言う事を考え・学び直して見たいと思います。
特に、短大在学中の平成4年、山形新幹線つばさレディー第一期生としてアルバイト入社した齋藤泉氏のサービスの実践に注目し学びたいと思います。
齋藤氏は、スキーが好きで、学生の時に求人情報でつばさレディー第一期生募集を見て、もしかしたら山形に行ってスキーが出来るかもしれないと云う動機でアルバイトを始めます。安易な気持ちで働きだしたその当時の労働環境は劣悪だったそうです。
往復準備や休憩を入れると8時間の勤務を、一日二本という事もざらで、そういう負荷が自分を鍛えてくれたと学生時代の自分を齋藤氏は振返っています。
短大を卒業してアパレル業界に就職しますが水が合わず、このアルバイトに戻ってきますが、就職したそのお陰で社会保障制度や有給休暇について知ります。
このつばさレディーの仕事は、立ち仕事で、ワゴンは一つ120kg位あり肉体的にはかなりきつい仕事です。過酷な労働条件の中、倒れたら・怪我をしたらどうなるのかとい不安を抱きます。パートでも長時間働くと社会保険にも入れることを会社に申し出ようと思いますが、「嫌なら辞めれば」と言われるのが関の山と知り、「じゃあ売り上げでトップになろう」と思い、会社に「あいつの云う事なら聞こう」と思ってもらえるよう結果を出そうと心に誓い、齋藤氏の心にスイッチが入ったのです。
売るためには何でもやる。まずは自分より売れている人に話を聞いて真似をする。
自分にない視点が生まれて実績も上がる、さらに、その人がやっていない事を考えやってみる。例えばその人が一回の乗車で車両販売を三往復しているとしたら、私は五往復行ってみよう。次は六往復行ってみようと。そうすると当然成績が伸びていったそうです。そうする中で会社にも認められ社会保険にも加入出来る様になります。その時、ふと自分の仕事を振返り「なんでこんなに仕事がつまらない。」んだと思ってしまいます。それは、これまでの仕事のやり方は、ただ自分が売上を挙げて、会社に自分を認めさすのが目的で、その目的を果たし燃え尽き症候群みたいになってしまったそうです。
そこで齋藤氏が考えたのは、自分には絶対に売上を挙げなければならない理由はないのだから、自分の好きにサービスをしたいと考えます。好きなサービスとは、“お客さまにぱあっと笑顔になってもらったり、「ありがとう」と喜んで貰ったりすることに基準を置くこと”と決められるのです。それから新しいサービスを始めて行かれるのです。例えば、つばさ号のメインのお弁当「牛肉どまん中」、「すきやき弁当」、「はらくっち弁当」と三種類あるそうですが、お客様から「どんな中身なの?」と聞かれるので、自分で写真を撮って簡単なメニュー表を作ったそうです。そして、それを他の乗務員たちの分もつくって配ったら皆にも喜ばれ、全体の売上もかなり上がったそうです。
今では当り前のお弁当の写真ですが、こういう齋藤氏などの知恵が活かされてい
るのだと教えられます。
だから、齋藤氏はまず自分の目標である売上を挙げるという目標の達成を転機に、これからは
“売ろうとはせずに、お客さまに喜んでもらおうと思う様になる。”
“お客さまとお互いに「嬉しいね。ありがとう」という出会いに変わった時、
この仕事って楽しいなと思う様になりました。”
と言う様に、仕事対する考え方がまるっきり変わっているんですね。
齋藤氏は、仕事の準備にも徹底しています。天気予報は必ず見て、天候や気温の変化による商品の種類や量や配列を考えます。また、高野氏の言葉になる、“想像力に翼をつけないと夢には届かない”と言うくらい、通勤途中でも周りの人達の服装や、持ち物などからもお客さまのことを考えながらモチベーションを高めていくそうです。
そして、毎日新鮮な気持ちで、昨日よりきょう、きょうより明日を成長していくために五つのルールを自分で設けておられます。
一、予測を立てる
二、考えて準備する
三、確認する
四、修正する
五、反省する
齋藤氏は仕事への準備に対する考えを次の様に語っています。
「私は半分くらいお客さまにお会いする前にサービスは終わっている様に感じがしてならないんですよ。特に私たちは出発してしまえば取りに返ることは出来ないですからね。」
そして、ご自分の仕事観についての言葉も紹介させて頂きます。
「パートであっても社員であっても仕事をしている時間は自分の人生の時間です。
特に私たちの仕事は往復で七時間、休憩をあわせたら八時間以上拘束されて、普通の会社勤めとなんら変わらないですよね。その時間の中で“この程度でいいや”と手抜きをしたり、仕事を楽しんでいないというのは、限りある自分の人生を無駄にしていると思います。」
齋藤氏の仕事に対する考え方・実践方法に大いに勉強させて頂きました。
特に、齋藤氏が自ら設けられている『五つのルール』です。
一般的によく言われる P⇒D⇒C⇒A ⇒P⇒D⇒C⇒Aのサイクルがありますが、齋藤氏のこの五つのルールの方が解り易く、準備が如何に大切であるかという事をと、実践の過程、そして、反省なくして積み上げも成長もないという事を改めて勉強させて頂きました。
本日も、最後までお読み頂きありがとうございます。
* * * 姫路城の歴史(112) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *
姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。
第112回目は、姫路城の歴史 『 将軍の娘が眠る「瑞松山景福寺」 』をお届けします。
景福寺の麓にある「瑞松山景福寺」は、元々、河内国にあった寺院で、天正年間(1573~1592年)に戦火を逃れて姫路に移り、池田輝政の築城時に「坂田町」に移築されました。
そして、1749年(寛延2)に前橋から酒井家が入府すると、景福寺は酒井家の菩提寺となり、この地に移されました。景福寺の境内には11代将軍・徳川家斉の娘で、43代城主・酒井忠学(ただのり)の妻となった喜代姫(きよひめ)と、その娘の喜曾姫(きそひめ)、46代城主・酒井忠績(ただしげ)の妻・婉姫(えんひめ)などの酒井家に縁のある人々の墓があるほか、裏手にある景福寺山には、38代城主・松平明矩(あきのり)の墓をはじめ、歴代の姫路藩士たちの墓石が建ち並んでいます。
以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P69 から
『 将軍の娘が眠る「瑞松山景福寺」 』を紹介させて頂きました。
*藤橋家homepage http://www.fujihashiya.com/
*たまごや通心(こだわりの通販)http://www.tamagoya.org/
*姫路ケーブルテレビ WINK“たまごや”
放映番組~いま、輝いてます~のYou Tubeです。
http://www.youtube.com/watch?v=GJ15H13ZaRw
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