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2012年11月26日 (月)

神戸マラソンと東京マラソンに向けて & 姫路城の歴史(115)

 昨日平成24年11月25日(日)、近畿地方は最高の秋晴れの天気に恵まれ、近畿の2大都市である神戸と大阪でマラソン大会が開催され両大会で5万人以上ランナーが参加し汗を流しました。
 
 私は、神戸マラソン一本に絞り応募して幸運にも当選し、第1回大会に続き楽しく走らせて頂きました。完全な練習不足でしたが、天候のお陰もあり何とか3時間49分で完走出来ました。
 
 大会のテーマは昨年と同じで、阪神・淡路の復興支援に対する「感謝と友情」です。
そして、東日本大震災被災地をはじめとする被災地の皆さまに「元気と勇気」のエールを送ることも大切なテーマとして掲げています。
 今年も開会式には陸前高田市の県立高田高校の音楽部の生徒さんを招き、神戸高校、葺合高校の生徒さんと共に美しい歌声を披露してくれました。
 東日本の被災地からは昨年より90人多い935名の参加申し込みがあり、全員を当選とし本大会に参加されたそうです。
 
 次のフル・マラソン大会参加は、東京マラソンです。
前から達成したい3時間30分のブレイクを目指し、この神戸マラソンのランを練習のスタートして、大会当日までに1,000km走破を目指します。
 何事においても目標を達成する為には、如何に日々積み重ねていくかと言うことは、言わずもがなですが、走るだけでなく、体重のコントロールやストレッチを充分行い柔軟性のある体を作っていこうと思っております。
そして、東京の次は、5月に開催される250kmウルトラに3回目の参加を予定しています。
この大会では、40時間ブレイクを目指していきます。1回目が47時間、2回目が45時間でした。

 神戸マラソン大会の特徴的な良い所・嬉しい情報を少し宣伝させ頂きます。
大きな見どころは、須磨から塩屋の海岸線を走っている時に、その目の前の海で、沢山の漁船が列になりぐるぐると、勇ましく大漁旗を掲げて歓迎の船回しを見せてくれる事。
又、地元企業から盛りだくさんの協賛商品が提供されており、各エイドで、手造りおにぎり、羊羹、どら焼き、神戸コロッケ、あんぱん、バナナ等々も楽しませて頂きました。
 完走賞として、メダルと大きなタオルを頂い後にも、神戸風月堂からゴーフル、アンテノールからフィナンシェ、QBBチーズ、ゴンチャロフのチョコレートや、茨城空港の宣伝のために茨城県産のほしいも1袋などが配られており、嬉しいお土産を頂いてきました。

 以上、神戸マラソンの報告をさせて頂きました。
本日も最後までお読み頂きありがとうございます。
  
  
* * * 姫路城の歴史(115) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *
 
姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。
第115回目は、姫路城の歴史『 明治初期の「坂本町」 』をお届けします。
 右上の写真は、明治時代の初めの坂本町を船場川の西側から写したもので、写真の右側には、外濠沿いに築かれた土塀がはっきりと写っています。前頁の写真と右上の写真が同時期に撮影されたものとすると、前頁の写真は1875年(明治8)の頃の完成したばかりの「西国橋」を南から写したもので、その背後に見える櫓は「埋門」の櫓と思われます。そして右上の写真は「西国橋」の完成によって壊されつつある外濠の土塀ではないかと考えられます。
 
以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P71 から
             『 明治初期の「坂本町」 』を紹介させて頂きました。
 
 
*藤橋家homepage     http://www.fujihashiya.com/
*たまごや通心(こだわりの通販)http://www.tamagoya.org/
*姫路ケーブルテレビ WINK“たまごや”放映番組~いま、輝いてます~のYou Tubeです。
http://www.youtube.com/watch?v=GJ15H13ZaRw

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2012年11月19日 (月)

“加茂の大クス” & 姫路城の歴史(114)

 11月17日に、知り合いの会社経営者お二人と共に3人で徳島県東みよし町へ行って来ました。訪問の目的は、東みよし町のまちづくり(活性化)戦略の大きな柱である農業振興について、その責任者である局長様と若手社員3名と面談し、現場を視察させて頂きながら、その東みよし町の農業振興の取り組を学び、そしてまた、情報交換しながらお互いに協力し合えることを模索する為であります。
 
 東みよし町の役場で待ち合わせ、農業施設などの現場をご案内頂きました。
その最後に、連れて行って頂いたのが、東みよし町のシンボルでもある本日の標題に掲げた“加茂の大クス”です。
 
 どの様な楠木なのか、この日本一の国の特別天然記念物の楠木の横に立てられていた案内の文書を次にそのままご紹介致します。
そして、iphoneで撮った写真も添付致します。
 
 
『加茂の大クス』
 
“一樹、森成す三加茂大楠”と詠まれている本樹は、楠としては典型的な繁茂を遂げ、傘の開けるが如く壮大な樹冠でよく整った樹容を誇り、まさに日本一である。
 大正15年、内務省告示第58号をもって「クス」の代表的巨樹として天然記念物に指定され、昭和31年、文化財保護法により、国の特別天然記念物に指定された。
 樹齢は1000余年と推定され、根周り20m、目通り周囲13m、枝張り東西46m、南北40m、樹高約25mである。昭和40年以降、様々な保護対策が施され、現在も樹勢は旺盛である。
 
 樹齢千年を超える日本一の大きな楠木のそばに立った時、何か静かな優しい力の様なものを感じ、何故か心が落ち着きました。楠木の根を守るために柵がしてあり直接楠木に触れることができず残念でしたが、そばにいるだけで心を落ち着かせる力を持つ大樹から、この宇宙の不思議な霊とでもいう偉大で計り知れない力の存在を感じました。
 徳島に行かれる機会があれば、是非この偉大な大樹『大クス』を訪ねられることをお勧めします。

Photo_15 Photo_16
 
東みよし町のホームページでも「大クス」の紹介があります。
http://www.town.higashimiyoshi.lg.jp/kanko/kankoti/kamo.html
以上です。最後までお読み頂きありがとうございます。
 


 
* * * 姫路城の歴史(114) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * *


姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。
第114回目は、姫路城の歴史 『「内町(うちまち)」と「外町(そとまち)」』をお届けします。
 池田輝政の築城の際、姫路城下には78の町人町が生れ、総じて「姫路町」と称しました。しかし、姫路城の西側には「船場川」があったため、「外曲輪」の広さを十分に取ることができず、城郭の外である「船場川」の西側にも多くの「町場」が築かれました。
そして城郭の内側に築かれた町場は「内町」、城郭外に築かれた町場は「外町」と呼ばれました。
 1889年(明治22)に誕生した「姫路市」は、この「姫路町」だけを市域とした、日本で4番目に小さな市でした。
 
以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P70 から
        『「内町(うちまち)」と「外町(そとまち)」』を紹介させて頂きました。

 
*藤橋家homepage     http://www.fujihashiya.com/
*たまごや通心(こだわりの通販)http://www.tamagoya.org/
*姫路ケーブルテレビ WINK“たまごや”放映番組~いま、輝いてます~のYou Tubeです。
http://www.youtube.com/watch?v=GJ15H13ZaRw

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2012年11月12日 (月)

川端康成『有難う』 & 姫路城の歴史(113)

 私の愛読書 月刊致知に毎月、文学博士鈴木秀子先生の“人生を照らす言葉”という連載があります。その11月号のお話が、川端康成の『有難う』という僅か四~五ページの短い作品を取り上げ、次の題名を掲げて紹介されています。

「ありがとう。」
「ありがとう。」
「ありがとう。」

彼は十五里の街道の馬車や
荷車や馬に一番評判の
いい運転手である。

 人を動かすのは、必ずしも言葉ばかりではありません。誠実に、真摯に生きる姿は、何よりも人に大きな感化を与えるものです。文豪・川端康成が描いた、位地も肩書もない市井に生きる運転手の姿は、私たちにさわやかな感動と示唆を与えます。
この『有難う』という話は、貧しさゆえにこれから娘を売りに出さなければならなくなった母親が、娘と共に定期乗合自動車に乗る場面から始まります。
 
自動車の運転手は、その母親も含め、地元の人々から「有難うさん」と呼ばれて親しまれ、信頼を得ています。
「有難うさん」は、細い山道を乗合自動車で走りながら、通り過ぎたり、追い抜いていく為に道をあけてくれる、乗合馬車や、材木の馬力や、大八車、そして、人力車に馬たちに、
いつも「ありがとう。」と、澄んだ声ではっきりと言いながら、啄木鳥(きつつき)のように頭を下げていさぎよく敬礼をする。その母親と娘を乗せてはしる十分間に三十台の車を追い越しても、礼儀を欠かさない。
 
百里を疾走しても端正な姿を崩さない。それが、真直ぐな杉のきのように素朴である。
 
・・・ 中略 ・・・翌朝の場面にかわり、
 
 次の日の明け方、運転手は木賃宿を出て兵士のように広場を横切っていく。その後ろから母親と娘がちょこちょこ走りについて行く。車庫から出た大型の赤い定期乗合自動車が紫の旗を立てて一番の汽車を待つ。
 
と続きますが、
結局この度は、母親は娘を売りに出さず家に連れて帰ることになります。
昨晩いったい何があったのか、本文に記述は一切ないそうです。

ただ、母親が娘を売りに出すことを思いとどまったその理由を、鈴木秀子先生は次のように綴られています。
「この運転手は特別な才能も肩書もない、平凡な市井(しせい)の人です。しかし自らの生業を日々一生懸命に務め、自分の出合うすべての出来事を「ありがとう」と心からの感謝をもって受け止めている。そういう生き方が、本人の自覚しないところで母親を感化し、二人の人生をよい方向へと転換させたのです。」
 
そして、次の言葉で今月号の連載を締め括られています。
「・・・私たちは自らを振り返り、ささやかなりとも周囲によい影響を及ぼすことの できる人間を目指してゆきたいものです。」
 
 心洗われる文章に接し、是非ともその内容をご紹介したいと思い、本日の題材に上げさせて頂きました。
最後までお読み頂きありがとうございます。
 
 
* * * * * 姫路城の歴史(113) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * * * * 
 
姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。
第113回目は、姫路城の歴史 『 埋まってないのに「埋門」』 をお届けします。

 「車門跡」のすぐ南には、「埋門(うずみもん)」と呼ばれる門跡があります。
通常「埋門」と言えば、姫路城の「はノ門」のように、内側から土砂などで埋めて塞いでしまうことをいいます。しかしこの「埋門」は、どこからどう見ても普通の「枡形門」で、埋門的な要素はどこにもなく、この「埋門」という名称は単なる固有名詞としか思えません。
 なぜこのような名前が付けられたのかわかりませんが、この門のある場所は姫路城の「中曲輪」の南西、つまり裏鬼門に当たっていることから、「埋」という字を使うことよって、城に入ろうとする鬼たちに「ここは城門ではない」と主張しているのだといわれ、この門は普段は決して開けられる事のない「開かずの門」でした。
また姫路城の北東の鬼門にある「竹の門」も「他家(たけ)の門」として「ここは姫路城の城門ではない」と主張しているのだといわれています。
 
以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P70 から
           『 埋まってないのに「埋門」』を紹介させて頂きました。
 
*藤橋家homepage     http://www.fujihashiya.com/
*たまごや通心(こだわりの通販)http://www.tamagoya.org/
*姫路ケーブルテレビ WINK“たまごや”放映番組~いま、輝いてます~のYou Tubeです。
http://www.youtube.com/watch?v=GJ15H13ZaRw

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2012年11月 5日 (月)

“サービスの真髄を追求する” & 姫路城の歴史(112

 今日は、人間学を学ぶ月刊誌致知の11月号から『サービスの真髄を追求する』という元リッツカールトンホテルの日本支社長・高野登氏と山形新幹線つばさレディーで驚異的な売上記録を保持しつつ、現在も2ヶ月更新のパート契約で社内販売で活躍する齋藤泉氏の対談を読み返し、サービスとは何かということ通じて、仕事とは何かと言う事を考え・学び直して見たいと思います。
 
 特に、短大在学中の平成4年、山形新幹線つばさレディー第一期生としてアルバイト入社した齋藤泉氏のサービスの実践に注目し学びたいと思います。
 
 齋藤氏は、スキーが好きで、学生の時に求人情報でつばさレディー第一期生募集を見て、もしかしたら山形に行ってスキーが出来るかもしれないと云う動機でアルバイトを始めます。安易な気持ちで働きだしたその当時の労働環境は劣悪だったそうです。
 往復準備や休憩を入れると8時間の勤務を、一日二本という事もざらで、そういう負荷が自分を鍛えてくれたと学生時代の自分を齋藤氏は振返っています。
短大を卒業してアパレル業界に就職しますが水が合わず、このアルバイトに戻ってきますが、就職したそのお陰で社会保障制度や有給休暇について知ります。
 
 このつばさレディーの仕事は、立ち仕事で、ワゴンは一つ120kg位あり肉体的にはかなりきつい仕事です。過酷な労働条件の中、倒れたら・怪我をしたらどうなるのかとい不安を抱きます。パートでも長時間働くと社会保険にも入れることを会社に申し出ようと思いますが、「嫌なら辞めれば」と言われるのが関の山と知り、「じゃあ売り上げでトップになろう」と思い、会社に「あいつの云う事なら聞こう」と思ってもらえるよう結果を出そうと心に誓い、齋藤氏の心にスイッチが入ったのです。
 
 売るためには何でもやる。まずは自分より売れている人に話を聞いて真似をする。
自分にない視点が生まれて実績も上がる、さらに、その人がやっていない事を考えやってみる。例えばその人が一回の乗車で車両販売を三往復しているとしたら、私は五往復行ってみよう。次は六往復行ってみようと。そうすると当然成績が伸びていったそうです。そうする中で会社にも認められ社会保険にも加入出来る様になります。その時、ふと自分の仕事を振返り「なんでこんなに仕事がつまらない。」んだと思ってしまいます。それは、これまでの仕事のやり方は、ただ自分が売上を挙げて、会社に自分を認めさすのが目的で、その目的を果たし燃え尽き症候群みたいになってしまったそうです。
 
 そこで齋藤氏が考えたのは、自分には絶対に売上を挙げなければならない理由はないのだから、自分の好きにサービスをしたいと考えます。好きなサービスとは、“お客さまにぱあっと笑顔になってもらったり、「ありがとう」と喜んで貰ったりすることに基準を置くこと”と決められるのです。それから新しいサービスを始めて行かれるのです。例えば、つばさ号のメインのお弁当「牛肉どまん中」、「すきやき弁当」、「はらくっち弁当」と三種類あるそうですが、お客様から「どんな中身なの?」と聞かれるので、自分で写真を撮って簡単なメニュー表を作ったそうです。そして、それを他の乗務員たちの分もつくって配ったら皆にも喜ばれ、全体の売上もかなり上がったそうです。
 
 今では当り前のお弁当の写真ですが、こういう齋藤氏などの知恵が活かされてい
るのだと教えられます。
だから、齋藤氏はまず自分の目標である売上を挙げるという目標の達成を転機に、これからは
 
“売ろうとはせずに、お客さまに喜んでもらおうと思う様になる。”
“お客さまとお互いに「嬉しいね。ありがとう」という出会いに変わった時、
 この仕事って楽しいなと思う様になりました。”
と言う様に、仕事対する考え方がまるっきり変わっているんですね。
 
 齋藤氏は、仕事の準備にも徹底しています。天気予報は必ず見て、天候や気温の変化による商品の種類や量や配列を考えます。また、高野氏の言葉になる、“想像力に翼をつけないと夢には届かない”と言うくらい、通勤途中でも周りの人達の服装や、持ち物などからもお客さまのことを考えながらモチベーションを高めていくそうです。
 そして、毎日新鮮な気持ちで、昨日よりきょう、きょうより明日を成長していくために五つのルールを自分で設けておられます。
 
一、予測を立てる
二、考えて準備する
三、確認する
四、修正する
五、反省する
 
齋藤氏は仕事への準備に対する考えを次の様に語っています。
「私は半分くらいお客さまにお会いする前にサービスは終わっている様に感じがしてならないんですよ。特に私たちは出発してしまえば取りに返ることは出来ないですからね。」
そして、ご自分の仕事観についての言葉も紹介させて頂きます。
「パートであっても社員であっても仕事をしている時間は自分の人生の時間です。
 特に私たちの仕事は往復で七時間、休憩をあわせたら八時間以上拘束されて、普通の会社勤めとなんら変わらないですよね。その時間の中で“この程度でいいや”と手抜きをしたり、仕事を楽しんでいないというのは、限りある自分の人生を無駄にしていると思います。」
  
 齋藤氏の仕事に対する考え方・実践方法に大いに勉強させて頂きました。
 
特に、齋藤氏が自ら設けられている『五つのルール』です。
一般的によく言われる P⇒D⇒C⇒A ⇒P⇒D⇒C⇒Aのサイクルがありますが、齋藤氏のこの五つのルールの方が解り易く、準備が如何に大切であるかという事をと、実践の過程、そして、反省なくして積み上げも成長もないという事を改めて勉強させて頂きました。
 
本日も、最後までお読み頂きありがとうございます。
 
 
* * * 姫路城の歴史(112) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * * 
 
姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。
第112回目は、姫路城の歴史 『 将軍の娘が眠る「瑞松山景福寺」 』をお届けします。
 景福寺の麓にある「瑞松山景福寺」は、元々、河内国にあった寺院で、天正年間(1573~1592年)に戦火を逃れて姫路に移り、池田輝政の築城時に「坂田町」に移築されました。
 
そして、1749年(寛延2)に前橋から酒井家が入府すると、景福寺は酒井家の菩提寺となり、この地に移されました。景福寺の境内には11代将軍・徳川家斉の娘で、43代城主・酒井忠学(ただのり)の妻となった喜代姫(きよひめ)と、その娘の喜曾姫(きそひめ)、46代城主・酒井忠績(ただしげ)の妻・婉姫(えんひめ)などの酒井家に縁のある人々の墓があるほか、裏手にある景福寺山には、38代城主・松平明矩(あきのり)の墓をはじめ、歴代の姫路藩士たちの墓石が建ち並んでいます。
 
 
以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P69 から
         『 将軍の娘が眠る「瑞松山景福寺」 』を紹介させて頂きました。
 
*藤橋家homepage     http://www.fujihashiya.com/
*たまごや通心(こだわりの通販)http://www.tamagoya.org/
*姫路ケーブルテレビ WINK“たまごや”
放映番組~いま、輝いてます~のYou Tubeです。
http://www.youtube.com/watch?v=GJ15H13ZaRw

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