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2012年12月17日 (月)

“清濁を併せ呑む” & 姫路城の歴史(118)

 私の愛読書に中村天風哲人の“叡智のひびき”という本があります。
同じ様な題名と構成の“真理のひびき”と言う本もあります。
この二冊は、箴言(しんげん)注釈という副題がある通り、カレンダー様式の天風先生の短い31の箴言(=教訓の言葉)集に、天風先生創見の心身統一法の立場から解りやすく詳細に注釈を述べられたものです。

 私は、この“叡智のひびき”と“真理のひびき”を毎月交互に、毎朝一つの箴言と注釈を読み進める様にしています。

 今日の“おたまはん日和”では、“叡智のひびき”の箴言十六(昨日)の文章に改めて大いなる感銘を受けましたので紹介させて頂きます。
 
 
箴言十六:
『清濁を併せ呑むという事の出来得ない人は広い世界を狭く活き調和ある人生を知らず識らず不調和に陥れる人である。』
まず注釈の冒頭に、中国の儒教の聖人の言葉と西洋の哲学者の言葉が紹介されています。

儒聖:「およそ安楽の要訣は、すべからく人の一善を見て、
    その百非を忘れるに如くはなし」

西哲:「できるだけ人のなすことをほめることにつとめ、みだりに人を批判しないように
    心がけ、万一、人の失策を見出したら、それを許すと同時に、忘れるように
    しよう。そうすることで、汝の人生のもっとも幸福の日が楽しめる。」

 
この二つの言葉は、天風先生はこれらを、恒に清濁を併せ呑むという事を訓(おし)えている尊い言葉であると述べられておられます。
 まさに尊い言葉であり、日頃、人の短所や失策を見たらそれを指摘して直してあげようなどと言う傲慢な驕った気持ちを反省させられました。
 そして、清濁を併せ呑まない心でこの混沌たる人生に活きると人生世界が極めて狭いものとなり、不調和を感じ、人生を知らず識らずの間に不幸福なものにしてしまうと言われ、そして、人様とのご縁についての心の持ち方について次の様に厳しく述べられています。

・・・しかるにこの人智で究明することのできない因縁という不可思議な作用によって結ばれて、知り合う仲となった者を、己の気に食わぬとか、あるいわ心にがっちしないとか、彼にはこういう欠点があるとか、または与(くみ)しがたき習癖があるとか等々の理由をつけて批判排斥して、せっかく結ばれた因縁を無にするというのは、むしろ極限すれば、天意を冒瀆(ぼうとく)する者というべきである。
天風先生の御言葉を噛み締め、そして、冒頭にご紹介した、儒聖のことばを再び掲げ自らの戒めとします。

 
「およそ安楽の要訣は、すべからく人の一善を見て、
                   その百非を忘れるに如くはなし」
 
 
追伸:(ご参考までに)
本日このブログを書くにあたりインターネットで世界の人口を調べてみると、なんと71億人を超えており、しかも、1分に137人、1日で20万人、1年で7千万人、増えているとのことです。これは言い換えると、1年に6千万人が亡くなり、1億3千万人が産まれているという事なのだそうです。
http://www.arkot.com/jinkou/
 
 71億人を超える人の中で、生涯にお目に掛れる人は何人になるのでしょうか。
そして、日頃から御世話になっている方々と云うのは本当に掛替えのないご縁であると云う事を改めて気づかせて頂きました。
 
 
最後までお読み頂きありがとうございます。
 
 
* * * * * 姫路城の歴史(118) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * * * * 
 
 
姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。
第118回目は、姫路城の歴史『 幕末の姫路藩 』をお届けします。
 
幕末、鳥羽伏見の戦いに参戦し、幕府方として戦った姫路藩ですが、この藩にも多くの勤王派の志士がいました。しかし1860年(万延元)、46代城主となった酒井忠積(ただしげ)は「酒井家は累世徳川家の家臣である。徳川家と存亡を共にする外はない」との信念を持ち、積極的に幕政に参加していきます。そのため姫路藩では、こうした藩主の行動に失望し、脱藩する藩士が現れ、これをきっかけに姫路藩の勤王派への弾圧が始まります。「甲子(かっし)の獄」と呼ばれた事件では、家老や番頭といった上級藩士を含む70名もの藩士たちが処分されます。その後、佐幕派の藩士たちに支えられた酒井忠積は、江戸幕府最後の大老となり、姫路藩は幕府方の雄藩として幕末を迎えることとなります。
 
以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P72 から
             『 幕末の姫路藩 』を紹介させて頂きました。
 
*藤橋家homepage     http://www.fujihashiya.com/
*たまごや通心(こだわりの通販)http://www.tamagoya.org/
*姫路ケーブルテレビ WINK“たまごや”放映番組~いま、輝いてます~のYou Tubeです。
http://www.youtube.com/watch?v=GJ15H13ZaRw

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2012年12月10日 (月)

“笑顔に咲いた天の花” & 姫路城の歴史(117)

 今週のおたまはん日和では、人間学を学ぶ月刊誌致知12月号から、ロンドンパラリンピックのゴールボール(女子)という種目で金メダルに輝いた、主将の小宮正江氏と副主将の浦田理恵氏の対談から“笑顔”についての話を紹介させていただきます。

対談の題名が標題に掲げた『笑顔に咲いた天の花』です。

 このロンドンパラリンピックのゴールボールでは、中国が圧倒的な優勝候補で、大会前迄の日本との実力はかなりあったと言われていた様です。それを決勝で1-0で破り金メダルの輝いたのです。

 

主将の小宮さんが決勝戦を振り返り次の様に話されています。

  「・・・それと試合前の入場の際、中国人選手はしかめっ面のような感じだった
  そうですが、私たちは笑顔で観客席に手を振っていた。そして選手同士皆で
  手を繋いで、これまで支えてきてくれた人たちやコーチ、日本で応援してくれて
  いる人たちへ『ありがとう』と言う感謝の気持ちを心の底から伝えようとしていた。
  そいうところも、もしかすると天の力を借りられたのかもしれないと思うんです。」

 

 そして、このチームの江黒直樹コーチは、日頃から『勝利の女神はニコニコ笑顔』と言われており、この試合直前の円陣になっての打ち合わせの最後の指示も『笑え』だったと副主将の浦田さんは振返っています。だからコートの中では終始笑顔でいられ、力が発揮出来たのだと。

 また浦田さんが言われているのが、厳しい練習は勿論ですが、最後の局面を左右するのはメンタルな部分であり、使う言葉に注意し否定語を言わず、いつもプラスの言葉を使って脳をコントロールしていくのが大切であると。この浦田さんの好きな言葉が森信三先生の『笑顔に開く天の花』で、言葉の力が凄く大きいという事を強いく感じたとも述懐されています。

 小宮さんは小学2年生の頃から少しずつ視野が狭くなり目が不自由になられましたが、浦田さんは二十歳の頃に突然ガクンと左の目が急に見えなくなり、すぐに右の目も悪くなられたそうです。

熊本出身で福岡で専門学校に一人暮らしをしながら、家族にも一年半以上相談も出来ず一人で苦悩されていた事もありました。28歳の時に苦難を乗り越え自立して生きて行く為にマッサージ師の免許を取りに行った時に、ゴールボールの世界の舞台で活躍さる小宮さんに出会い勇気をもらい、ゴールボールを始めるのです

。浦田さんは子供の頃から運動もろくにしたこともなく、先輩の小宮さんのの体を触らせてもらいながら、体の使い方やどういう姿勢で投げればよいかを体得されていかれたそうです。

 

対談のお二人の言葉を紹介させて頂き締め括りたいと思います。

 

小宮さん:
  「自分を成長させるために、常に心を磨いて高めていかなければなりません。
  私にも、周りの人が笑顔で元気になってもらいたいという気持ちが強くあります。
  自分が笑顔で笑っていることができれば、みなも笑顔になりますし、まず自分
  自身が幸福でいることがすべての源ではないかと思います。」

浦田さん:
  「・・・金メダルのその先にあるものを目指すことが、私のビジョンです。 
  自分が関わったことで他の人の何かの一歩に繋がるような存在でありたい、
  そういったことを伝えていける人間になりたいと心からねがっています。」

 

以上です。最後までお読み頂きありがとうございます。

 


* * * * * 姫路城の歴史(117) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * * * * 

姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。
第117回目は、姫路城の歴史『 姫路藩の藩獄跡と勤王志士終焉之地碑 』をお届けします。
 「備前門」の南にはわずかかに「外濠」の跡が残っており、その傍には「大蔵前公園」と呼ばれる児童公園があります。江戸時代、この辺りは「大蔵前町」と呼ばれ、藩の米蔵が置かれていたことからこの名が付き、この公園の北の「備前門」内には、姫路藩の監獄(藩獄)があり、多くの者が獄死したと伝えられています。特に幕末には、姫路藩の勤王派の志士たちが投獄され、多くの命が失われたため、この地に「姫路藩勤王志士終焉之地」の碑が建立されました。しかし戦後、進駐軍の意向により、この碑は撤去されてしまいますが、1968年(昭和43年)、この公園が完成したのを機に、この公園内に再建されました。

以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P72 から
        『 姫路藩の藩獄跡と勤王志士終焉之地碑 』を紹介させて頂きました。

 
*藤橋家homepage     http://www.fujihashiya.com/
*たまごや通心(こだわりの通販)http://www.tamagoya.org/
*姫路ケーブルテレビ WINK“たまごや”放映番組~いま、輝いてます~のYou Tubeです。
http://www.youtube.com/watch?v=GJ15H13ZaRw

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2012年12月 3日 (月)

たまごや 夢前卵のおはなし & 姫路城の歴史(116)

当社は、国宝・世界文化遺産の姫路城の門前で 「たまごや」 という、美味しい“玉かけめし”や、大きな“厚焼きたまご”などの卵料理を提供させて頂いております。
 開店したのは平成21年3月20日です。
私たちが自然豊かな夢前町で愛情込めて生産する、新鮮で美味しいたまご やお米を世界からお越しになられる皆さまに食べて頂きたいからです。
 今日のおたまはん日和では、この『たまごや』の玄関上に掲げている額に綴っている私たちの思いのその文章 と その額の写真をご紹介させて頂きます。

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『たまごや』
夢前卵(ゆめさきたまご)のおはなし
 
~~モーツァルトを聴きながら~~
“創業大正四年、九十七年の歴史が培った匠の鶏餌創り。”
“弊社「藤橋家」の歩みに裏付けされた 安全安心の生みたて卵です。”
 魚粉・ヨモギ・木酢酸など十数種類の原料をブレンドした厳選飼料で育った健康な親鶏が、モーツァルトを聴きながら、衛生的で居心地の良い環境の中で生む新鮮卵を毎朝農場から運んでいます。

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【主人あいさつ】
 私ども「たまごや」は姫路夢前町で卵農場を営んでおります。
二十万羽の健康親鶏が一日一個の卵を産みます。
文字通り「命のかたまり」の尊い卵です。
平成二十一年、その卵本来の美味しさを楽しんで頂く為「たまごや」を開きました。
 世界遺産 日本一の姫路城の門前で襟を正してお作りする「玉かけめし」卵の持つ不思議な力で、ほんわか にっこり 幸せ気分 になって頂けたら卵作りに命をかける私達は幸せです。
 
 お替りもご自由。お召し上がり方もご自由。どうぞ沢山召し上がれ。
 
                   たまごや主人 藤橋拓志拝

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最後までお読み頂きありがとうございます。
是非、たまごや へお越しください。

* * * * * 姫路城の歴史(116) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * * * * 
 
姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。
第116回目は、姫路城の歴史『 姫路城の西の大玄関「備前門」 』をお届けします。
 「福中橋」と呼ばれる橋の南東には、かつて「備前門」と呼ばれる城門がありました。
西国街道は、「車門」の手前で右に折れて、南に下り、この門に至ります。つまりこの門こそ西国街道からの敵を防ぐ最大の防御の拠点で、内門の櫓門の西には二層の櫓、外門の南には「多門櫓」などが築かれ、その規模や構造は特に厳重となっていました。
ちなみにこの門は、「備前国」に向かって開かれていたため、「備前門」と呼ばれていま
したが、1820年(文政3)、41代城主・酒井忠道が隠居して「備前守(びぜんのかみ)」となったため、その名を憚(はばか)って「福中門」と改められたそうです。
 
 
以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P71 から
        『 姫路城の西の大玄関「備前門」 』 を紹介させて頂きました。
 
*藤橋家homepage     http://www.fujihashiya.com/
*たまごや通心(こだわりの通販)http://www.tamagoya.org/
*姫路ケーブルテレビ WINK“たまごや”放映番組~いま、輝いてます~のYou Tubeです。
http://www.youtube.com/watch?v=GJ15H13ZaRw

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