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2013年2月12日 (火)

“ バレーボール全日本女子 眞鍋監督に学ぶ” & 姫路城の歴史(123)

 先月の1月29日火曜日に、姫路商工会議所青年部20周年記念式典が開催されました。その時に記念講演をして下さったのが、バレーボール全日本女子監督の眞鍋政義氏です。
 
皆様のご承知の通り、眞鍋監督率いるバレー女子代表は、2012年のロンドンオリンピックで銅メダルを獲得し、日本に28年ぶりのメダルを齎(もたら)しました。そして、代表監督に再任され、次回オリンピックリオデジャネイロで金メダルを獲得すると明確な目標を掲げておられます。
 
 その眞鍋監督が代表を務められる、「マナベバレーボール振興会」の主催で、「真鍋政義 バレーボールワールド」が2月16、17の両日、兵庫県姫路市西延末の市立中央体育館で開催されます。豪華講師陣による技術指導や、小学生チームによる「第1回真鍋杯」と題した大会などが行われる予定です。
 
 この週末、是非とも手柄の市立中央体育館に行き一緒に盛り上げたと思います。
是非、皆様もご参加下さい。詳しくは、次の産経ニュースを覗いてみてください。
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130131/oth13013108230001-n1.htm
 
 
 さて、その青年部の20周年記念講演では、短い時間ながらも、眞鍋監督からとても印象に残る、貴重なお話をお聞かせて頂きました。ここで改めて振り返ってみたいと思います。
 
 銅メダルを獲得したロンドン大会では、日本選手の平均身長は最低の175cmで、最も身長の高いロシア選手は189cm。身長差だけをみても、日本がメダルを獲得することは“ミラクル”だと言われていたそうです。
 
そのような状況下で如何にメダルを獲得したかのか。
 
 それは、先ず目標を明確にすること。目標を明確にする事で、ポジティブスパイラル起こしていく。監督と言うものはカリスマなどではなく、モチベータであり、最も力を入れてやったことは、選手とのコミュニケーションであり、先ず自分の心の扉を開いて、選手に絶えず関心を持ち、小さなことでも見逃さない様にされたそうです。そして、褒めるという事を積極的に行う事で、選手が少しずつ心の扉を開いてきてくれたとお話しされていました。選手たちの心の扉の鍵は外からは開けられない。選手たち自分自信が、内側から、心の中から鍵を開けてくれないと。
 
 選手だけでなく、コーチや、チームを支えるスタッフ皆の心を一つにする事にも力を入れられました。コーチの役割にもこれまでになかった分業制を採用しました。

各コーチをサーブ、レシーブ、ブロック、スパイク、戦略などの部門に分け成果を競わせたのです。客観的なデータを使い目標を明確にしました。この客観的なデータの活用は、試合中にも、敵味方各人のサーブ、レシーブ、ブロック、スパイクの数や成功率を逐次追いながら戦略を機敏に打ち出していかれたそうです。
 
 
 非常識を常識にする指導方法を取られました。常識の延長線上には、常識の答えしかない。つまり、リスクをあえて選択して挑戦をし続けて来られたのです。
 
 そして、メダルを取る為には、日の丸の重さをチームのみんなに認識してもらう為に知覧特攻平和会館に行かれたそうです。
 
 
 
知覧特攻平和会館 http://www.chiran-tokkou.jp/
ミラクルを起こすには、
心の団結しかない。
自分を信じること。
仲間を信じること。
心を一つにすること。

 
 
最後に、特に心に残った御言葉を記して締め括らせて頂きます。
最後までお読み頂きありがとうございます。

 
* * * * 姫路城の歴史(123) 姫路ぶらばらから原文のまま紹介 * * * * 
 
姫路円卓会議発行の“姫路ぶらぶら”から姫路城にまつわる歴史を紹介しています。

第123回目は、姫路城の歴史『 お菊神社と播州皿屋敷 』をお届けします。
 
 縁起によれば、1505年(永正2)、10代城主・小寺則職(のりもと)が、お菊の忠節に感じ、「十二所神社」の境内に祠を建てたのが「お菊神社」の始まりと伝えていますが、お菊さんはあくまでも物語に登場する人物で、実在の人物ではありません。
記録上「十二所神社」の境内に「お菊さん」が祀られていることが記されている最も古いものは1750年(寛延3)で、これは大坂の豊竹座が人形浄瑠璃として初めて「播州皿屋敷」を上演した1741年(寛保元)から9年後であり、恐らく「播州皿屋敷」を上演した一座が、お菊さんに縁のある「十二所神社」にお祀りしたのが、「お菊神社」の始まりだと考えられます。
 
 それから50年ほど経った1795年(寛政7)、姫路城下で奇妙な姿の虫が大発生します。その虫はまるで女が後ろ手に縛られ、吊り下げられたような姿をしており、背中には血痕のような赤色の斑点までありました。そのため人々は皿屋敷で惨殺されたお菊の怨霊が、虫の形を借りて現われたのだと噂し、その虫を「お菊虫」と呼びました。その後、お菊神社では「お菊虫」を守り神として崇め、三方に乗せて保存していたといいます。
 
以上、姫路円卓会議発行のガイドブック“姫路ぶらぶら”の P71 から
             『お菊神社と播州皿屋敷』を紹介させて頂きました。

*藤橋家homepage     http://www.fujihashiya.com/
*たまごや通心(こだわりの通販)http://www.tamagoya.org/
*姫路ケーブルテレビ WINK“たまごや”放映番組~いま、輝いてます~のYou Tubeです。
http://www.youtube.com/watch?v=GJ15H13ZaRw

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