『歩歩是道場』(ほほこれどうじょう
人間学を学ぶ月刊誌「致知」7月号の特集(テーマ)が、標題に掲げた
『歩歩是道場』です。
「歩歩とはいま、ここのこと」、道場は静謐(せいひつ)な山中にだけあ
るのではない。いま、自分が置かれている立場、状況は、そのまま自
己を磨く道場である。いつであれ、どんな所であれ、心がけ次第で自
分を高める修行の場になる。また、そういう生き方をしなければならな
い。
——−これは、7月号の総リードに紹介されている禅僧松原泰道師(故
人)の言葉です。
そんな生き方を生涯通してされて来た、90歳になられるる清水咲栄
さんのお話が、この7月に「一歩一歩踏みしめていけば、必ず幸せに
辿り着く」というタイトルで紹介されてます。
新潟県との県境に程近い長野県飯山市涌井。大自然に囲まれたこ
の里は、冬になると積雪四メートルを超えるという。この地で、郵便局
の正社員がパイクで配達できなくなる、十二月から三月までの期間を、
一歩一歩歩いて周る郵便配達人として七十歳から九十歳になる二十
年間も続けて来られている清水咲栄さん。大雪の中を歩き続け、村の
人に元気と笑顔を与え続けてこられているのです。
そんな清水さんの人生は、悲劇の連蔵だったのです。赤貧、借金地
獄、愛する人との死別・・・。度重なる艱難辛苦を乗り越えてこられ九十
路を迎える清水さんの言葉に、ひたむきに活きてこらた、地味で目立た
ない日本を誇る偉人が居られる事に大きな感動を覚えました。
清水さんは、貧しい農家に生まれ二十二歳で結婚するも、そのご主
人も幼くして両親に死に別れ、親の借金を抱えて小学校から働く苦労
をされています。飯山炭鉱で共働きをして、貧しいながらも四人の子供
を授かり幸せな家庭を築きだしますが、炭鉱主に騙され大きな借金を
抱える事になります。でも二人で懸命に働き、十年ほどで、ほぼその
借金も返す目処が出来たその矢先に、ご主人が突然交通事故で亡く
なってしまうのです。それだけはありません。正に艱難辛苦の人生です。
そんな清水さんが、土木工事の現場で働いていた七十歳の時に、大
雪の中での郵便配達人をやってくれと頼まれます。郵便という大切な物
を扱う仕事に、過酷な仕事であるため一度は断りますが、結局他になり
手が見つからず引き受ける事になります。
それから、20年間、ある人から言われた次の言葉を大切にして、吹雪
でも決して休まず郵便を届け続けます。
「誰かの笑顔を、この山に住む人々に届け、一緒に喜ぶ事。誰かの悲し
みを、この山に住む人々に伝え、一生に涙すること。それがあなたの仕
事」
だから、二十年にわたって命の危険に直面する事が何度かあったと
言われています。雪崩に遭いながらも命拾いをされたり、暴風雪が吹き
荒れていて、体を支える事が出来ず、どんどん崖のほうへ流されていく。
そして、崖まで後二㍍という寸前でピタッと風が弱まったということもあっ
たそうです。
この様な艱難辛苦の90年間の人生を活きて来られた清水咲栄さんの
含蓄のある、心に染み渡る言葉を紹介させて頂きます。
「四季が巡ってくるように、厳しい冬の後には必ず春が来ます。人生とい
う畑に涙の種を蒔けば、その種がいつか喜びの花を咲かせてくれる。だ
からこそ、人生は忍耐と努力に尽きる。 − - - それが九十年の人生を
通して得られた実感です。」
「悲しみに浸って泣いてばかりいてもしようがない。どん底まで行ったら、
あとは這い上がるのみです。一歩一歩踏みしめていけば、必ず幸せに
辿り着く。本当に一歩一歩。そう思います。」
そして、90歳になられても、尚一層逞しく活きていかれようとしている
清水咲栄さんの言葉を掲げ締めくくらせて頂きます。
「あとどのくらい生きられるか分かりませんが、一日でも長く健康な人
生を送って、ピンピンころりで逝きたい。そんな幸せを心から願って、
きょうも全力の一歩を積み重ねていきたいと思っています。父ちゃん
とまっちゃ(末娘さん)のいる天国へと旅経つ、その日まで。」
最後までお読み頂き有難う御座います。
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コメント
清水様の実体験を読まして頂き涙が止まりませんでした、僕は今77歳に成りますが今迄何といい加減な生き方をして来たものかと今更ながら反省と、そして恥ずかしさに打ひしがれる気持ちで胸が苦しくなっております、今は幸い女房の日に三度の考えた献立のお陰で医者ににも掛からない健康体なので何か世の中の為になることが有れば積極的に関わる用に心掛けて行こうと思いました、今迄は何を言われても、「もう年だから」と繰り返しの自分に終止符を打って頑張ろうと心に決めました。
清水様を手本に頑張ろうと思います、勇気を与えてくれて有難う御座いました、清水様もいつまでも健康でご活躍くださいますように。
投稿: 山田茂男 | 2016年2月18日 (木) 16時10分