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2020年3月30日 (月)

『ドラッカーの教え 致知3月号より 仕事・組織とは?』

 『ドラッカーの教え 致知3月号より 仕事・組織とは?』
  人間学を学ぶ月刊誌致知3月号の連載「仕事と人生に活か
 すドラッカーの教え」は、「調和とは、一方の利益が他方の
 利益でもあると言う分野が一つでもあれば可能になる。
 その共通の利益を基盤に協力が行われる。」という副題が
 ついており、仕事とは何か? 組織と仕事を如何に捉えれ
 ば良いのかということを解りやすく解説されています。
 致知に毎月文章を寄稿されているのはドラッカー協会理事
 で公認会計士の佐藤均さんです。
  佐藤さんの文章を読みながら、仕事や組織を如何に捉え、
 自分の磨き方を考えてみようと思います。
 先ず、組織をどう捉えるのかについてです。
 そして、組織をどう捉えワクワクする仕事に結びつけて
 いくかという話です。
 「自らの目的の達成」は自己成長のために組織を使うこと
  で実現します。人生百年時代においては、ますます組織が
  個人の成長の場として機能することが求められます。
   組織で働く者が自己成長の場と感じれば、仕事は犠牲で
  はなく未来への投資に変わり、時間をより効果的に組織
  活動に使おうと考えるはずです。そのためには、組織の
  目的が人を成長させることであるとの認識共通認識が
  経営者と従業員の間で醸成される必要があります。」
 「われわれは、(中略)組織をもって自己実現と成長の機会
  とすることを当然のこととしなければならない」
                 著書『断絶の時代』より
 「一人ひとりの仕事が組織を通じて顧客の役に立つことを
    知る事は働きがいに直結します。
 「何のために働くのかの理解は、時間を金銭的報酬と単に
  バランスさせるだけの人生から脱却する鍵です。
  組織のミッションの実現と顧客に満足をもたらすことに
  寄与することをとおして自己成長という報酬を手にする
  という調和の原理がこれを可能にします。
  組織人として天分を発揮する方法は、これに尽きると言え
  ましょう。」
 「調和」という原理は誰か一人が用いれば良いと言うもので
  はありません。それは「共通の利益」を導き出すために
  共有すべき組織の文化にまで高めなければなりません。」
 「組織の文化とは、仲良くやっていくことではない。
  大切な事は、仲の良さではなく、仕事ぶりの良さである。
  そもそも、仕事から得られる満足や、仕事上の関係から
  得られる調和に基づかない人間関係は、うまくいってる
  ように見えても貧しい関係であって、組織の文化を腐ら
  せる」            著書『現代の経営』より
  佐藤さんは次の言葉で今回の連載を締め括られています。
 「豊かな人間関係と組織の文化を築くためにも侃喧諤諤
  (けんけんがくがく)と意見を戦わせ、共通の利益を基盤
  に対立構造の中から活路を見出すという姿勢を貫きたい
  ものです。」
  
   私は経営者として、組織=我社を素晴らしい会社に
  したいという強い思いを持ち続けています。経営者で
  あれば当たり前のことですが、そんなことを考えていると
   鈴木秀子先生の次の文章が目に飛び込んできました。
  「良き友を得るには、いつも高い志を持って生きることが
   大切です。「誰かの幸せのために」「誰かを喜ばせる
   生き方をしたい」と言う志を抱いて生きていると、
   いつの間にかそれに共通する人が集まってきます。」
  「考えてみれば不思議なことですが、私たちの社会は、
   良きにつけ悪しきにつけ、同じ波長を持った人たちが
   集まって集団を形成します。
   高い波長の人のところには、同じような高い考え方の
   人が集まり、世の中を良くする方向に動きます。
   欧米列強による植民地化の危機から立ち上がり近代日本
   の礎を築きあげた明治維新の志士は、まさにそのような
   高い志を持った人たちでした。
   自らが“幸せ発信地”となり、明るく輝いている人の周り
   には、いつしか良き仲間が集うようになります。
   魂を深め合うことができる人間同士の強い絆もしっかり
   生まれてくるはずです。」
 
   経営理念の大切さも教えてくれる尊いお話です。
  私も『自らが“幸せ発信地”』となり、仕事を通して自分を
  強い絆で結ばれる我社の組織の中で磨き上げてまいります。
 
 本日も最後までお読み頂きありがとうございます。
 
 
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2020年3月23日 (月)

『洋菓子の神様に魂を捧げた男 辻口博啓氏 致知3月号より』

『洋菓子の神様に魂を捧げた男 辻口博啓氏 致知3月号より』
   致知3月号の連載第104回「二十代をどう生きるか」に登場
  されているのが、パティシエ辻口博啓さんです。辻口博啓
  さんと言えばほとんどの方もご存知だと思います。
 
   私も姫路城門前の「たまごや」を開店する前に勉強の為に
  東京まで辻口さんのお店を見に行ったことがあります。
  また、辻口さんは人間学を学ぶ致知で、以前二度ほどインタ
  ビューか対談なのど登場されています。
   今日は「好きなことを極め尽くして掴んだ未来」という
  題名で文章を寄稿されているパティシエ辻口博啓さんの
  お話を紹介しながら、何故辻口さんが若い頃からパティシエ
  として世界の頂点に立ち、スイーツ会を牽引し続けているの
  かを学び、自らの仕事や活き方に役立てて行こうと思います。
   先ず、辻口さんがなぜパティシエになったのかというエピ
  ソードから紹介します。そのきっかけは小学生の3年生の時
  に、まだパティシエと言う言葉は一般的ではなく、「ケーキ
  職人」と呼ばれていた時代でした。友達の誕生日会で初めて
  イチゴのショートケーキを食べ、あまりのおいしさに感動し
  て生クリームがついてお皿を舐めつくしたのが始まりだった
  と言うことです。
  この瞬間、辻口さんは洋菓子のおいしさの虜になり、自分は
  「洋菓子職人」になると決めたのでした。
   高校卒業後はパティシエになるべく上京し、住み込みで
  働ける洋菓子店で修行をスタートさせました。ところが、
  二ヶ月もたたないうちに至急実家に戻るようにと母親から
  連絡が入り、父親が失踪し、祖父が創業した紅屋という
  和菓子屋が倒産したと言うことを告げられるのです。
   当然、店舗と一体だった自宅を手放すことになり、母親が
  一人矢面に立ち会社の整理にあたったそうです。母親から
  「浮き沈みのあるパティシエよりも、安定したサラリーマン
  になってほしい」と懇願され県内の大手蒲鉾メーカーへの
  手筈まで整えてくれていたのです。その会社の給料は十二万
  円であり、自分の勤めている菓子店の給料は四万五千円
  だったそうです。
   辻口さんは「自分の人生は自分で決めるべき」だと決意。
  そして「3年で一人前になる」と覚悟を決めて、再び故郷を
  立って洋菓子店に戻るのです。
    
   
   製菓専門学校に通わず、いきなり菓子店で働き始める人は
  ごく少数派です。当然高卒の辻口さんは数年間、店の掃除や
  在庫管理など下働きに従事せざるをえませんでした。
  
   給料は専門学校卒制と比べて少なく、その劣悪な状況に
  耐えられずやめていく人が大勢いました。しかし辻口さんは
  やめて帰る場所がなく掃除をしながら先輩の作業を盗み見、
  クリームの絞り方や力の入れ方具合など仕事のコツを掴んで
  いきます。
   職人だったお父様は失踪する前に東京に修行に出る辻口
  さんに次の言葉をかけていました。
  「博啓、職人の世界は目で盗んでなんぼや。お前に技術を
   教えてくれる先輩ないと思え。目で盗むことを覚えるのだ」
  
   この言葉「目で盗め」が修行時代の辻口さんを支えました。
  仕事が終わるのは大抵、夜中の12時。そこから風呂屋に直行
  し、汗を洗い直流してから再びお店に戻り、明け方の3時から
  4時まで一人で練習をしてたそうです。
   例えば、ケーキの上に乗せるメッセージプレートを書く
  作業にしても、誰よりもきれいに早く書けるように練習して
  おくと、「この仕事は辻口に任せてみよう」と思ってもらえ、
  信用を積み上げて行かれます。
   はじめの一年から二年目こそ掃除がメインだったものの、
  そうした努力の積み重ねで徐々に重要なポストを任せてもら
  えるようになっていくのです。当時、一日18時間は働いてい
  たそうです。
   しかし、辛かったと言う記憶は一切なく、大好きなスイーツ
  の世界に誰よりも長時間浸っていられることへの喜びで、生き
  生きと働いていたというのです。
   専門学校で働いて勉強していない分、休みの日には頻繁に
  本屋へ足を運び、製菓の勉強されますが、書籍を購入する余裕
 がなかったため、料理本を立ち読みしながら必死に内容を覚え、
 それをトイレでノートに書き写すなど苦肉の策をつくしえて自分
 を磨いて行かれるのです。辻口さんは言われています。
 「この作業が非常に尊いもので、ただ読むよりも、一つ一つを
  理解して覚えていくので、確実に頭に刻み込まれるのです。」
 「もちろん、デートをするなどプライベートの時間も作りまし
  たが、場所はもっぱらケーキ屋さん。遊びながらも意識の半分
  でお菓子の調査をしていたのです。今もそうですが、仕事と
  私生活の区別はありません。」
 こうでなければならない、いや、この様な生き方をされている
 からこそ世界の頂点に立っておられるわけですね。
  三年で一人前になると決めてこの世界に飛び込んだため、
 一年目から洋菓子店での仕事のほかに、コンクールに焦点を定め
 て努力していたそうです。当時の辻口さんへ、洋菓子店のストー
 カーだったと自らが言われるほど、正に狂人だと私も思います。
 そのお話を辻口さんの語りのまま紹介します。
 
 「休みの日にケーキ屋をめぐっては、購入せずに店内で2から
  3時間は過ごしていました。喫茶店で飲食するのではなく、
  ただケーキを眺めたり働いている人の様子を見たりして、
  良い点を盗みモチベーションを高めるのです。
 「そして帰り際に、お店の裏にあるゴミ箱漁って素材の仕入れ
  先を調べていました。後にそれを購入し、自分の店のものと
  比べをして、素材研究をするためです。」
 『巨人の星』という野球漫画の中で、父・星一徹が息子の
 星飛雄馬(ひゅうま)をプロ野球選手に育てるべく、幼い頃から
 大リーグボール養成ギブスをつけさせ、英才稽古をしています
 が、辻口さんの場合、一徹と飛雄馬の二役を一人でこなして
 いたようなものだと自分で言われています。
  最後に辻口さんのこれまでの人生が如何なるものだったのか
 辻口さんが語っておられる言葉をそのまま紹介し締め括りたい
 思います。
 『小学三年生で自分の進路を決めた時から、ケーキのデザイン
  や自分の店のレイアウトなどを書いては夢を膨らませていま
  した。そうした下地があったからこそ、腕を磨くだけでなく、
  ビジネスとしての視点を持つことができたのでしょう。
  中略
 『その中で最も重要なのは「辞めないことです」。この業界で
  も辞めていく人は多くいますが、私はパティシエを辞めたい
  と思った事は一度たりともありません。転職を繰り返した
  ところで、結局、新しい場では一からスタートで、一つの
  ことを極めた先にある世界は一向に見えてこないでしょう。
  私は日本一になったことで、世界と言う舞台の扉を開くこと
  ができましたし、世界一になったことで、その次のお店を
  持ってビジネスをすると言う目標が定まりました。
  これまでお菓子の神様に魂を捧げる思いで、仕事に打ち込ん
  できました。その情熱の原点は、やはりお菓子作りが好きだ
  と言う思い、初めてイチゴのショートケーキを食べ、お皿を
  なめた時の感動です。今でもあの時の気持ちははっきりと
  覚えています。』
   辻口さんの生き方は正に強烈な夢を持ち、人生を、仕事を
  辛い苦しいことを、極楽の楽しみに思って爆進されてこられ
  たことが羨ましいくらいに伝わってきます。
  これを知るものはこれを好む者に如かず。
  これを好むものはこれを楽しむ者に如かず。
  そして、論語の伊輿田覺先生が言われた次の境地だと
  感動致しました。
  これを楽しむ者はこれを遊ぶ者に如かず。
  
   この対談には、この辻口さんの心を支えたのは何かなど、
  まだまだご紹介できない話がありますので、人間学を学ぶ
  月刊誌致知の原文を是非をお読み頂き堪能ください。
  最後までお読み頂きありがとうございます。
 
 
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2020年3月 9日 (月)

『意志と情熱が料理人の道を創ってきた!致知3月号より』

『意志と情熱が料理人の道を創ってきた!致知3月号より』
 
 私の夢の一つに我社の社員みんなが毎月発行される人間学
を学ぶ月刊誌致知をいつも読破し、そして、みんなで日頃か
ら致知に登場する方々のことや、正しい歴史を学びながら
語らい合い、共に切磋しあいながら成長していく会社環境
になることです。ですから、このブログで楽しみながら
致知の素晴らしい話を紹介させてもらっています。
 
 本日は、3月号のインタビューに登場されている帝国ホテル
東京料理長杉本雄氏の話を紹介します。致知の編集者がこの
インタビューの概要を次の様にまとめて紹介されています。
 
 
 日本の迎賓館として明治24年に開業し、130年の歴史と
伝統を誇る帝国ホテル。昨年4月、帝国ホテルの十四代目
料理長に38歳の若さで就任したのが杉本雄氏である。
 子供の頃から料理の道を志し、強い意志と並々ならぬ情熱
で自らの人生をひらいてきた杉本氏に料理に懸ける思い、
仕事・人生の要諦を語っていただいた。
 
 正に杉本氏は強い意志と並々ならぬ情熱を持った方で、
私は信念を持って生きるとは正にこの様な生き方をすること
であると唸りました。
 
 杉本氏はお爺様が大の料理好きなことなど家庭環境の中
で、子供の頃から料理を作ることが大好きになり、将来は
料理人になると料理の道を志す様になりました。
 
 そして、子供のころから帝国ホテルに憧れる様になり
父親に連れられて結婚式で帝国ホテルに訪れた時の印象が
強烈で、料理の道を目指すなら帝国ホテしかないと思い
高校卒業して就職しようと思います。
 
 しかし、就職氷河期で帝国ホテルに問い合わせたところ
全く採用を行なっておらず、調理師学校への進学を勧めら
れました。
 
 一年後も正社員の採用はなかったので、アルバイトとし
て入り、ラウンジでウェイターなどをして働いていると
一年立った頃にメインダイニング「レ セゾン」に欠員が
出て配属されて念願が叶います。
 
 その後4年間帝国ホテルで修行をしていると、フランス
から一流のシェフを招聘するフェアが開催され、そこで見
た一流のフランス人シェフのレベルの違いに大きなショック
を受けてました。そして、帝国ホテルを退社し、金なし、
言葉できず、就職先の保証も何もない状況でフランスに
行きたいという強い思いのみで、単身フランスに渡ります。
 
 杉本氏はフランスに渡りはじめはウェイターなどの仕事
を始めますが、自らの力で一流への道を切り開いていきます。
杉本氏の紹介はこれくらいにして、杉本氏のインタビューの
話の内容を紹介していきます。
 
 
 致知の編集者から38歳の若さで料理長に就任したこと
にプレッシャーはないかと聞かれたら、杉本氏は次の様に
明確に答えられます。
 
「プレッシャーはないんです。むしろ、やりたいことが
 たくさんあって毎日を楽しんでいます。」
 
また杉本氏はフランス料理について次のように語っています。
 
「フランス料理は、スープを長時間煮込む、ソースを作る、
 お皿に盛り付ける、サービスをすると言うように、いろ
 な人が携わって初めてお客様に提供できるものだと思うん
 ですよ。自分一人でできるのではなくて、お客様や食材
 の生産者の方を含め、人にお願いし、人に伝えて、
 人に理解してもらい、皆で作り上げていく総合的なもの
 がフランス料理。
 
  ですから、フランス料理は「人」なんですね。
 その「人」に対するリスペクトを忘れてしまっては、
 決して良い仕事はできません。」
 
 
 この話は、フランス料理だけでなく、全ての仕事につい
ても同じことで、仕事の真髄をついておられると言葉である
と感心させられます。
 
 
 また致知の編集者から、仕事の中で心掛ていることがあれ
ば教えて欲しいと言う質問に対して、
 
「私は「努力」「がんばる」と言う言葉が好きではなくて、
 とにかく仕事を楽しむことを常に意識していました。
 
  努力しよう、頑張ろうとするとどうしても苦しくなって
 続かなくなります。でも楽しいことをしている時には、
 あっという間に時間が過ぎてしまいますよね。
 
  ですから、若手がコンクールなどに出る時でも、
 「頑張れ」ではなくて、「その時間、空間を楽しんでこ
  いよ」と伝えています。
 
 
 
  最後に杉本氏がこのインタビューで最後に語っておら
 れる料理人としての熱い思いを短くまとめてお伝えします。
 
「料理人もあらゆることから学び吸収し、それを料理に込
 めて表現していく。そしてその料理を食べれば、そこに
 込められた表現、思いや願いと言うものは、必ず相手の
 方にも伝わるはずなんです。
  それと、「杉本さんのスペシャル(得意料理)は何です
 か」とよく聞かれることがあるのですが、私は現場の様々
 な人たちと「こうしよう」「ああしよう」とキャッチ
 ボールを繰り返しながら、共に一所懸命作り上げたもの
 が、いつも自分のスペシャルだと思ってきました。
 
  皆で良いものを作ろうと言う意思を持ち、心を合わせて
 出来上がった料理は、やはり素晴らしいんですよ。
 
  これからも、料理に携わるすべての人を大切にし、
 帝国ホテルの料理長として使命を果たしていきたいと
 思います。」
 
 
  仕事人としてどうあるべきか、どう生きるべきか、
 仕事とは何たるものなのかということを再度教えられます。
 
  強い意志と並々ならぬ情熱もさることながら、謙虚、
 素直の心と、感謝の強い思いで生きておられる杉本氏の
 話が静かに心地よく心に染み渡ってきて、新たな仕事への
 夢と希望を膨らませ、心を躍らせ何事も喜んで、楽しんで
 励んで参りたいと思います。
 
 そして、いつしか、我社のみんなで慰安旅行で帝国ホテル
 に行って、杉本料理長にお目に掛かり、お話を聴きながら、
 素晴らしい料理に舌鼓を打ちたいと念願いたします。
 
 最後までお読み頂きありがとうございます。
 
 
 
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2020年3月 2日 (月)

『皇統の断絶をいかに防ぐか』

  『皇統の断絶をいかに防ぐか』
  私たち日本人は大東亜戦争に敗れアメリカの国際法を無視
 した非人道的な策略で征服され、歴史を否定されてきました。
  今日は、人間学を学ぶ致知3月号から、憲政史研究者 倉山
 満氏の標題に掲げた『皇統の断絶をいかに防ぐか』という話
 を読みながら、皇室とはいかなるものかを理解していきたい
 と思います。
  倉山氏の話を抜粋していきますので、文脈として繋がらな
 いところもあるかと思いますが、出来れば致知3月号の本文
 を読んで頂きたいというのが私の願いです。 
  先ずは、この倉山氏の文章の最後の一節を紹介してはじめ
 たいと思います。
 「日本はどんな国かと問われれば、皇室がある国、天皇陛下
  がおわす国ということになるでしょう。皇室がなくなり、
  天皇陛下が存在しなくなれば、日本の国体は失われ、これ
  までとは異なる別の国になる。その自覚が国民の間に広が
  り、皇室に対する認識が深まっていくことを私は心から
  願っています」
 倉山氏の文章は次の様に始まります。 
「昨年5月、30年余り続いた平成が終わり、令和新時代が幕を
 開けました。平成28年に国民に向けて表明された天皇陛下
 (現•上皇陛下)のお気持ちを受け皇太子殿下(現•天皇陛下)
 へのご譲位が恙(つつが)無く行われた事は、まことに慶賀に
 堪えないことです。」
  しかしながら、皇室を巡る不穏な動きのあることをご存知
 でしょうか?
  ご譲位が決まった頃から秋篠宮家は、激しいバッシングを
 受けるようになり、ついには悠仁(ひさひと)さまの通われる
 学校の机の上に刃物が置かれる事件まで発生する異常事態に
 なっているのです。2680年にも及ぶ皇室の歴史をたった一人
 で背負う立場にある13歳の男の子が、天皇になるのを辞退し
 ろと脅迫される。ことの重大さを、私たちはよくよく認識し
 なければならないと倉山氏は警笛を鳴らしておられます。
  その前に、そもそも皇室・皇統とは如何なるものか倉山氏
 の文章をまたそのまま引用します。
 「皇室を語る際にまず大切なことことは、先例を守るという
  ことです。そして、この先例の最たるものが、男系男子、
  すなわち、父親の父親をずっと辿っていくと初代神武天皇
  に辿り着く、そういう血筋の男性のみによって皇統が継承
  されてきたという事実です。これは2680年にも及ぶ皇室の
  歴史で、一度の例外もなく守られてきた先例です。」
 「この洗礼に則れば、まず女系天皇は論外と言うことになり
  ます。女性天皇は存在しますが、例外なく未亡人か生涯
  独身です。女性天皇が民間の男性と結婚され、その息子に
  皇位を継がれると女系男子になるからです。
   ましてや女性天皇の配偶者である民間人が皇位に就く
  ことは絶対に許されません。奈良時代に怪僧道鏡がこれを
  狙いましたが、結果的に阻止されました。以来、女系は
  不可という先例が絶対の掟となって1300年にもわたり
  継承されているのです。」
  では皇統断絶の危機を回避するにはどうすれば良いのか?
 倉山氏は次の様に語っています。
 「やはり悠仁さまに早くご結婚いただき、多くの皇嗣に恵ま
  れる環境を整えて差し上げるしかありません。悠仁さまの
  ご結婚は、日本という国が存続していく上での最重要課題
  といっても過言ではないのです。
   悠仁様がよき伴侶に恵まれてめでたく皇嗣が誕生したと
  しても、それだけでは皇室は安泰とは言い切れません。
  そこで私が支持したいのは、旧宮家の皇籍復帰です。
   戦後、マッカーサーの横暴によって無理やり臣籍降下さ
  せられた旧皇族の方々に皇籍復帰をしていただき、悠仁様
  をお支えする宮家を充実させようという議論です。
  該当する宮家の例として、東久邇(ひがしくにの)宮家と
  賀陽(かやの)宮家の名前も公開されています。」
  「旧皇族の方々の皇籍復帰には、現在の皇室の御活動を分
   け持ち、お支えできるという利点があります。さらに、
   復帰後に宮家でご誕生されるお子様は、生まれながらの
   皇族としてお育ちになります。悠仁さま以降の世代では、
   複数の宮家が天皇陛下の直宮家を支え、各宮家に皇位
   継承が可能な皇嗣も増え、皇室は末広がりに安泰となる
   でしょう。そうやって、将来にわたり皇室を守っていく」
   というのが倉山氏の提案です。私も大いに賛同します。
   今日は、人間学を学ぶ月刊誌致知3月号から憲政史研究
  者倉山満氏の『皇室の断絶をいかに防ぐか』というお話を
  抜粋しながら、我国の大本とである皇室、皇統について
  学んできました。
   私は、我国の歴史をあまりにも知らないと痛切に反省し、
  強い意志を持って、正しい我国の歴史を学んで行きます。
  そして、人間学を学ぶ「致知」を一人でも多くの方に読ん
  で頂きたいというのが私の願いです。
  本日も最後までお読み頂きありがとうございます。
 
 
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