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2020年3月23日 (月)

『洋菓子の神様に魂を捧げた男 辻口博啓氏 致知3月号より』

『洋菓子の神様に魂を捧げた男 辻口博啓氏 致知3月号より』
   致知3月号の連載第104回「二十代をどう生きるか」に登場
  されているのが、パティシエ辻口博啓さんです。辻口博啓
  さんと言えばほとんどの方もご存知だと思います。
 
   私も姫路城門前の「たまごや」を開店する前に勉強の為に
  東京まで辻口さんのお店を見に行ったことがあります。
  また、辻口さんは人間学を学ぶ致知で、以前二度ほどインタ
  ビューか対談なのど登場されています。
   今日は「好きなことを極め尽くして掴んだ未来」という
  題名で文章を寄稿されているパティシエ辻口博啓さんの
  お話を紹介しながら、何故辻口さんが若い頃からパティシエ
  として世界の頂点に立ち、スイーツ会を牽引し続けているの
  かを学び、自らの仕事や活き方に役立てて行こうと思います。
   先ず、辻口さんがなぜパティシエになったのかというエピ
  ソードから紹介します。そのきっかけは小学生の3年生の時
  に、まだパティシエと言う言葉は一般的ではなく、「ケーキ
  職人」と呼ばれていた時代でした。友達の誕生日会で初めて
  イチゴのショートケーキを食べ、あまりのおいしさに感動し
  て生クリームがついてお皿を舐めつくしたのが始まりだった
  と言うことです。
  この瞬間、辻口さんは洋菓子のおいしさの虜になり、自分は
  「洋菓子職人」になると決めたのでした。
   高校卒業後はパティシエになるべく上京し、住み込みで
  働ける洋菓子店で修行をスタートさせました。ところが、
  二ヶ月もたたないうちに至急実家に戻るようにと母親から
  連絡が入り、父親が失踪し、祖父が創業した紅屋という
  和菓子屋が倒産したと言うことを告げられるのです。
   当然、店舗と一体だった自宅を手放すことになり、母親が
  一人矢面に立ち会社の整理にあたったそうです。母親から
  「浮き沈みのあるパティシエよりも、安定したサラリーマン
  になってほしい」と懇願され県内の大手蒲鉾メーカーへの
  手筈まで整えてくれていたのです。その会社の給料は十二万
  円であり、自分の勤めている菓子店の給料は四万五千円
  だったそうです。
   辻口さんは「自分の人生は自分で決めるべき」だと決意。
  そして「3年で一人前になる」と覚悟を決めて、再び故郷を
  立って洋菓子店に戻るのです。
    
   
   製菓専門学校に通わず、いきなり菓子店で働き始める人は
  ごく少数派です。当然高卒の辻口さんは数年間、店の掃除や
  在庫管理など下働きに従事せざるをえませんでした。
  
   給料は専門学校卒制と比べて少なく、その劣悪な状況に
  耐えられずやめていく人が大勢いました。しかし辻口さんは
  やめて帰る場所がなく掃除をしながら先輩の作業を盗み見、
  クリームの絞り方や力の入れ方具合など仕事のコツを掴んで
  いきます。
   職人だったお父様は失踪する前に東京に修行に出る辻口
  さんに次の言葉をかけていました。
  「博啓、職人の世界は目で盗んでなんぼや。お前に技術を
   教えてくれる先輩ないと思え。目で盗むことを覚えるのだ」
  
   この言葉「目で盗め」が修行時代の辻口さんを支えました。
  仕事が終わるのは大抵、夜中の12時。そこから風呂屋に直行
  し、汗を洗い直流してから再びお店に戻り、明け方の3時から
  4時まで一人で練習をしてたそうです。
   例えば、ケーキの上に乗せるメッセージプレートを書く
  作業にしても、誰よりもきれいに早く書けるように練習して
  おくと、「この仕事は辻口に任せてみよう」と思ってもらえ、
  信用を積み上げて行かれます。
   はじめの一年から二年目こそ掃除がメインだったものの、
  そうした努力の積み重ねで徐々に重要なポストを任せてもら
  えるようになっていくのです。当時、一日18時間は働いてい
  たそうです。
   しかし、辛かったと言う記憶は一切なく、大好きなスイーツ
  の世界に誰よりも長時間浸っていられることへの喜びで、生き
  生きと働いていたというのです。
   専門学校で働いて勉強していない分、休みの日には頻繁に
  本屋へ足を運び、製菓の勉強されますが、書籍を購入する余裕
 がなかったため、料理本を立ち読みしながら必死に内容を覚え、
 それをトイレでノートに書き写すなど苦肉の策をつくしえて自分
 を磨いて行かれるのです。辻口さんは言われています。
 「この作業が非常に尊いもので、ただ読むよりも、一つ一つを
  理解して覚えていくので、確実に頭に刻み込まれるのです。」
 「もちろん、デートをするなどプライベートの時間も作りまし
  たが、場所はもっぱらケーキ屋さん。遊びながらも意識の半分
  でお菓子の調査をしていたのです。今もそうですが、仕事と
  私生活の区別はありません。」
 こうでなければならない、いや、この様な生き方をされている
 からこそ世界の頂点に立っておられるわけですね。
  三年で一人前になると決めてこの世界に飛び込んだため、
 一年目から洋菓子店での仕事のほかに、コンクールに焦点を定め
 て努力していたそうです。当時の辻口さんへ、洋菓子店のストー
 カーだったと自らが言われるほど、正に狂人だと私も思います。
 そのお話を辻口さんの語りのまま紹介します。
 
 「休みの日にケーキ屋をめぐっては、購入せずに店内で2から
  3時間は過ごしていました。喫茶店で飲食するのではなく、
  ただケーキを眺めたり働いている人の様子を見たりして、
  良い点を盗みモチベーションを高めるのです。
 「そして帰り際に、お店の裏にあるゴミ箱漁って素材の仕入れ
  先を調べていました。後にそれを購入し、自分の店のものと
  比べをして、素材研究をするためです。」
 『巨人の星』という野球漫画の中で、父・星一徹が息子の
 星飛雄馬(ひゅうま)をプロ野球選手に育てるべく、幼い頃から
 大リーグボール養成ギブスをつけさせ、英才稽古をしています
 が、辻口さんの場合、一徹と飛雄馬の二役を一人でこなして
 いたようなものだと自分で言われています。
  最後に辻口さんのこれまでの人生が如何なるものだったのか
 辻口さんが語っておられる言葉をそのまま紹介し締め括りたい
 思います。
 『小学三年生で自分の進路を決めた時から、ケーキのデザイン
  や自分の店のレイアウトなどを書いては夢を膨らませていま
  した。そうした下地があったからこそ、腕を磨くだけでなく、
  ビジネスとしての視点を持つことができたのでしょう。
  中略
 『その中で最も重要なのは「辞めないことです」。この業界で
  も辞めていく人は多くいますが、私はパティシエを辞めたい
  と思った事は一度たりともありません。転職を繰り返した
  ところで、結局、新しい場では一からスタートで、一つの
  ことを極めた先にある世界は一向に見えてこないでしょう。
  私は日本一になったことで、世界と言う舞台の扉を開くこと
  ができましたし、世界一になったことで、その次のお店を
  持ってビジネスをすると言う目標が定まりました。
  これまでお菓子の神様に魂を捧げる思いで、仕事に打ち込ん
  できました。その情熱の原点は、やはりお菓子作りが好きだ
  と言う思い、初めてイチゴのショートケーキを食べ、お皿を
  なめた時の感動です。今でもあの時の気持ちははっきりと
  覚えています。』
   辻口さんの生き方は正に強烈な夢を持ち、人生を、仕事を
  辛い苦しいことを、極楽の楽しみに思って爆進されてこられ
  たことが羨ましいくらいに伝わってきます。
  これを知るものはこれを好む者に如かず。
  これを好むものはこれを楽しむ者に如かず。
  そして、論語の伊輿田覺先生が言われた次の境地だと
  感動致しました。
  これを楽しむ者はこれを遊ぶ者に如かず。
  
   この対談には、この辻口さんの心を支えたのは何かなど、
  まだまだご紹介できない話がありますので、人間学を学ぶ
  月刊誌致知の原文を是非をお読み頂き堪能ください。
  最後までお読み頂きありがとうございます。
 
 
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